このクイズのヒント
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ヒント知らないよ
このクイズの参加者(6人)
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難易度:
![]() ![]() 小さい子が時計の読み方を覚えるのに苦労している。指の数が10本なのだから、一日は10時間(または20時間)、時計は10時間刻み、1年は10ヶ月・・・というふうに決めればわかりやすいのに。どうして10進法でなく12進法になってしまっているのか。歴史的な解説も知りたいところですが、事実に基づかなくてもいいので、わかりやすい、気の利いた説明を期待しています。
解答は返信中にあるかも。答えがわかっり、誰かに解いて欲しいときは右上の
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![]() ![]() 起源は古代バビロニアですね
フランス革命時には10日の一週間や時間の10進法が採用されたが 不便なのですぐ廃止になってます 時間の計算は普通大雑把です 「15分休憩して」といわれても 12分で戻る人もいるし20分休む人もいる 「2時間遅刻した」とはいいますが 「1時間54分遅刻した」とは普通はいいません 17分×8 というような計算は普通はしません だから10進法でなくてもいいのです ざっと一時間の4分の1で15分とか 一時間の3分の1で20分とか 感覚で把握できる60進法は時間を表すのに便利です 20mの角材が欲しいのに19mや21mしかないと家は立ちません だから長さや重さは計算に適した10進法が必要です 時間なら「だいたい15分くらいかな?8人が15分で2時間か」 これで十分です ![]() ![]() フランス革命時に10進法が採用されなかったり、今の感覚で60進法が便利だとするのは、今の方法が人々に身についてしまっているからだと思いますから、あまり説得力はないですね。
原因は、古代バビロニアにあるようです。 古代バビロニアの人たちは、時間感覚を指で数えることはしなかったのでしょうか。また、半分とか四分の一も表せる20進法は考えなかったのでしょうか。三分の一も大雑把な感覚では7であらわせると思うんですが。 いったい古代バビロニアに何があったのでしょう。 余談ですが、日本では1年は10ヶ月のほうがあっていると思います。長く厳しい夏・冬は3ヶ月、短くあっという間の春・秋は2ヶ月で、日本らしい季節感を表せますからね。 ![]() ![]() 360度は60進法に近い感じがしますね。
指の数の10進法より優れたものが60進法にはあるように思います。 たしかに、数えるものは10進法、全体に対する割合を表すのは12進法や60進法のようです。 そうなった分りやすい説明があるといいんですが。 ![]() ![]() でも、
『ざっと一時間の4分の1で15分とか一時間の3分の1で20分とか感覚で把握できる60進法は時間を表すのに便利です』という面では便利だが、数学とかで正確な値を求めるときの単位変換などがややこしいですね。 ![]() ![]() そうなんです。
誰もが感じたことだったんじゃないですか。でも誰も言い出せなかった! 「60進法がそんなに便利なら、その根拠を示してくれ」と言いたい!(誰に言ってるんだ?) もし割合を示す方法が10進法だったら、ややこしい単位変換もいらないし、三角関数だってもっと単純になっていたかもしれない。いろんな計算が簡単にできたかもしれない。 私自身もう60進法にどっぷりつかっているから実感できないけれど、計算に基づいた近代社会にとっては「目からうろこ」かも知れない。 かといって、対立して10進法に改革せよと社会問題にする気はなく、あくまで数学史問題としての回答を得たいだけ。 しかし、「60進法より10進法のほうが便利だ」という結論が見えているうちは議論を続けたい。そんな結論が出たら、古代バビロニアでは、計算に用いる10進法はなかったか、6進法や12進法とかだったというような仮説を立てなければならない事にならないか? ![]() ![]() >「60進法より10進法のほうが便利だ」という結論が見えている
見えている・・・ですか??? 論理性の欠片を少しも感じさせないような、とっても詩的な文章ですね〜? ![]() ![]() ![]() この問題は論理性をもってある結論を導き出すような性質のものではないと思うんです。
何千年という歴史の中で、この話題は、あるときは数学的に、あるときは政治的に、あるときは雑談の中で繰り返されてきたと思います。そして大方は確信的な結論が出ないまま、「どちらかというと」ぐらいのことで落ち着いてきていると思うんです。 算数には答えがあり、数学には結論があります。そして、結論には「分らない」「決まらない」ということもあります。私自身この問題についての結論の行方は分らないですから、矛盾した論理や対立した論理を統一させる論理を探しながらすすめているところです。 結論を数学的に表せば、「条件aではA、条件bではB、条件cでは不能・・・」とかになるのかな。結論の表し方は、論理的であってもどんな方法を使うのかで大きく異なりそうです。 ですから、数式のように理屈や客観性だけに基づく簡潔な結論を導き出すような論理性にはあまり関心がありません。 本題に戻れば、 何千年もの議論の中で、「60進法の方が比較的優れている」という結論を出したのだと思います。その議論に触れてみたいという思いがあります。 「・・・という結論が見えている」とは「・・・という(まあ、これを結論ということで締めくくりましょうというような)落としどころとなることが感じられる」ぐらいのこととご理解ください。 ![]() ![]() 乱派さんの発言は、単に
『60進法より10進法のほうが(全てにおいて)便利だ』という考え方に疑念を示しただけでしょうから、 過剰に反応する必要は無いかと思いますよ。 それと、出題者様が『論理性』という言葉をどのように感じていらっしゃるのか、 私には分かりませんが、 『完全なる歴史的事実』以外の、いわゆる『気の利いた説明(推論)』 を示すためには、それなりの説得力のある『論理性』が必要かと思われます。 論理を省き、ただお互いに感覚的なものだけで、 「便利だ(と感じる)」「いや、便利じゃない(と感じる)」 と言い合うだけでは、せっかくの疑問が、 単なる水掛け論で終わってしまい、とても勿体無いかと思います。 ![]() ![]() 水子心さん、ご指摘ありがとうございます・・・、と「ご指摘」と受け取ること自体過剰反応ですね・・・、とわざわざ書く事自体過剰反応ですよね・・・、と考えること自体過剰反応なのかな・・・。
というような、感覚的な感情の堂々巡りって大事だと思うんです。一見無意味な話になぜ感情が揺り動かされるのかをちょっと冷静に考えてみるときの論理の発見は、客観性は十分ないかもしれないけれど、「生きた論理」として認められると思います。ひとつの回答を導き出す客観性のある論理のほかに、無数の条件と仮説に基づいた無数の可能性を導き出すという生きた論理もあるということです。 >論理を省き、ただお互いに感覚的なものだけで、 「便利だ(と感じる)」「いや、便利じゃない(と感じる)」 と言い合うだけでは、せっかくの疑問が、 単なる水掛け論で終わってしまい、とても勿体無いかと思います。 水掛け論でもやることで、きっと「生きた論理」が発見できると期待していますから、単なる水掛け論で終わることはしません。「とても勿体無い」と評価(?)していただきほんとにありがとうございます。 学問としての数学、それを気軽に面白く深めていくクイズ。この場こそ、単なる言い合いやひとつの答えの発見にとどまらず、数学的な生きた論理性を展開できる場だと思っています。 割合も10進法に基づいていたら便利だとは思いませんか。「10進法が便利だ」でも「いや60進法の方が便利だ」といろいろな感情があるでしょう、その感情が出てくる根拠を「分析」すること、そしてそれぞれの分析したことを(こういった掲示板でもいいですから)出し合い、あらゆる条件や仮説を立てて総合すること。これは数字とか式はないけれども、分析と総合という解析であり、数学的論理展開です。「答え」や「結論」は出ないかもしれないけれども、解析の過程が重要だと思います。 こんなことを思って出題しました。 ![]() ![]() 感覚的な割合は60進法のほうがいい、ということが、分らないでもないが、確信とまでは・・・。
でも、こんな議論をもしかすると本当に何百年もの間あちこちでやられてきたのかなと想像すると、この「数学クイズ」も、「・・・とさらに議論は続く」と結論付けてもいいかな、と。 あとしばらく情報や考えが出なければ、ロックします。 ![]() ![]() 円が360度なのは1〜9を約数に持つ数を考えた場合、該当するのが一番多いから(7以外該当)だから。とかそんなことを聞いたことがあります(説明下手ですみません)
何かの参考になればと思い投稿してみました。 ![]() ![]() 進数や進法がどうとかでなく年月や時間の算出基準が太陽の位置(正確には太陽に対する地球の位置や角度の事)になっているからではないですか?
つまり地球の円軌道や回転を黄道十二星座を用いて数えたので12で割る事が基本になりそれを土台にして概念に数字をつけていったという見方をするのが適当なのではないでしょうか。 ![]() ![]() sinさんの十二星座を基にしているとは分りやすいですね。
歴史的に可能性としては確からしいとは思います。 でもいくつかすっきりしない事があります。 12星座ではなく13星座だという話がありますね。本当は13正座だったけれども、時間とか年月を表すには13は面倒なことが多いので、無理やり12にしたのでしょうかね。 12星座だったから12が基本になったのなら、星座を考えた大昔の西洋人が黄道上に(たとえば)17星座を見つけていたなら、17が基本になり、1年は17ヶ月とかになっていたのかな? 日本には(中国か?)十二支がありますが、この12も時間に使われています。十二星座が伝わって十二支になったのか、それとも偶然の一致なのか? こう考えてくると、「12」という数字が先にあって、それにあわせて星座を決めていったという見方もできそうです。・・・とすると、「なぜ12なの?」と振り出しに戻ってしまう気もするんですが・・・。 長距離運転手さんの「円が360度なのは1〜9を約数に持つ数」は、数学的に分りやすいですね。 もう少し情報や考えが出そうですね。 ![]() ![]() まずは感覚的な話になる事をご了承下さい。(何にも基づいてない私なりの意見です。)
数を数える上で基本はやはり指であると思います。数字が0〜9になったのも指を基にしていると私は思います。 ではその上で一つの物事を分割する等「表現」する最小単位はといえば2と3ではないかとも思う訳であります。(1は根源なので除外します。)ですからその2と3の最小公倍数である6を基礎にして単位付けするとその表現は理解されやすい物となるのではないでしょうか?ですから、のんちゃんさんの言われるように本当は13星座でも12にしたでしょうし17星座有った場合はそれを基礎にしなかったでしょう。 結論を言えば「12」ではなく、先ず「6」ありきなのではないでしょうか? ![]() ![]() sinさんに習って、「何かを分ける」ということを単純にやってみました。最初は何かを分割することが後に数学的に割合となったのでしょうから、素朴な発想で試みました。
たとえば食べ物を分け合うとかで、2分割、3分割、4分割程度までは意味があるでしょうが、それ以上の分割はどんどん小さなものになるので、どうにでも処分できる単位になってしまいます。そこで、2分割は分りやすいし、4分割は2分割の2分割で、これも分りやすいと言える。しかし、単純にいかないのが3分割。 そこで、sinさんの考えを参考に、私の結論では、分割という発想では、まず「2と3」ありきなのではないでしょうか。そして時間を割合として分割することは相当後になってからでしょうから、もっと細かな分割が必要になって、「2と3」をもとに、6や12や24分割が出てきて今のようになったと考えてもいいのかな。 決定的なこととして、分割するとき、指は使いませんね。 結論が見えてきたようですが・・・。 |