このクイズのヒント
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ヒント知らないよ
このクイズの参加者(25人)
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クイズ大陸関連書籍
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ITEMAE
そういう答は大好きです
ITEMAE
説明補足お願いします
グーがパーより強いのは変です。
ジャンケンの役の場合、「強い」ではなく、正しくは「相性がよい」です。 グーがチョキに対して相性がよく、チョキがパーに対して相性がよいからといって、 グーがパーに対して相性がよいという根拠にはなりません。 続きネタですか・・・・・・・・・・・・・。
炎タイプ は 草タイプに強い。 草タイプ は 水タイプに強い。 よって、炎タイプ は 水タイプに強い・・・・・・・・・・。 ゲームの世界ですね・・・・・・・。すでに・・・・・・・・・・・。
ITEMAE
あくまでも、「1.2.が正しいならば」
という条件がついてますので、 条件そのものへのクレームは却下されます。
ITEMAE
そんなことはありません。
A 10は5より大きい。 B 5は2より大きい。 これが正しいならば、 C 10は2より大きい。 は正しい。 ・・・にツッコミ入りますか? 桂三枝は明石家さんまより強い。
「グー」は「アホちゃいまんねんパーでんねん」より強い。 または桂三枝は林屋パー子より強い(以下略) ロンリー的な思考は苦手ですわ
ITEMAE
>桂三枝は明石家さんまより強い。
ギャラで勝負? (「グー」といえば、三枝師匠より、エドはるみ )
ITEMAE
こういう答えは大好きです
ITEMAE
いちおう、
1.2.が「正しいならば」、という前提になってます。 正しいに決まってると思う。
グーは石 パーは紙 石で、紙に穴をあけられますが、 紙で石にはそう簡単にはあ縄あけられない。 水にぬらしても、石の方が強いと思う。 火にも石の方が強いと思う。 どっちが強いか明白ですね。
ITEMAE
「美味しんぼ」で、
「石が紙に負けるのが納得できん 」という外国人の話がありました。 「強い」という言葉が実数の大小と同じように、あるいは集合の包含関係と同じように使えるのなら結論は正しい。
A⊂BかつB⊂CならA⊂C A<BかつB<CならA<C しかし今回の「強い」というのが果たして順序や包含のような関係を満たすのかどうか…? そういえば「ねずみの嫁入り」では、 太陽<雲<風<壁<ねずみ ということでねずみは太陽より強いらしい…? 似たような感じかなと思う例を… 中国は日本の西にある。 トルコは中国の西にある。 スペインはトルコの西にある。 アメリカ本土はスペインの西にある。 ハワイ諸島はアメリカ本土の西にある。 ということでハワイ諸島は日本に西にある? ということで、強いという性質が一軸的で、数直線の大小と同様な扱いなら成り立つが、地球の東西のようにループしている場合は成り立たない、という感じが答えになるのかな…? うーん、書いていて分からなくなってきました
ITEMAE
そんな感じです
1.2.が正しいとして、は前提になります。 実際にパーに対してグーを出してみて、
グーが勝てば、正しい。 負ければ正しくない。 A「ジャンケンしましょ。」
A,B「じゃ〜んけ〜ん ぽん」 A グー B パー
ITEMAE
どっちが勝ちでしょう。
エドはるみと ますだおかだ だった。
というネタなら大陸内で見た記憶があります。 じゃん・けん・マン!ゴーゴー♪ ・・・あれ、難波さんのスレじゃなかった。
ITEMAE
なるほど
そのコメントの内容は結果的には正しいですが、それは三段論法ではありません。
三段論法にするならこうすべき A 10は5より大きい。 B 5より大きいなら2より大きい。 これが正しいならば、 C 10は2より大きい。 は正しい。 >>4 コメント
ITEMAE
Bのあとに「なら」が重複しています
No.4 のレスに対するツッコミ。それは三段論法になっていない。
三段論法は、以下のようでなければならない。 「AならばBである。 BならばCである。 故にAならばCである。」 だから、正しい三段論法は 10ならば5より大きい。 5より大きいならば2より大きい。 故に10ならば2より大きい。
ITEMAE
10ならば5より大きい。
5より大きいならば2より大きい。 まず、日本語として「主語述語関係」がありませんが・・・。 ちなみに、「三段論法」自体の解釈ですが、 そのABCに「言葉を当てはめる」というものではありませんよ。 あくまで「理論」ですから。 1989日本シリーズ。
近鉄・加藤哲の発言。 「巨人より、ロッテのほうが強い。(当時のロッテは最下位常連)」 というのも、おっさんは覚えてます ※ちなみに、「コーギーは犬である。」は、 「コーギー = 犬」ということを意味しません。 こまかくいえば、「すべてのコーギーは、犬、という集団に属している」
ITEMAE
シンプル・イズ・ベスト
編集すると囁きが崩れるので別発言で
>>12のレスは趣旨不明です。 重複してたら何か問題でも? ---------- 重複してるといっても、別の文章ですので。 「10は5より大きい。」「5より大きいなら2より大きい。」これが正しいならば まあレスの文章の方が分かりやすいとはいえますが、主語の省略は良くあることです。 それよりも本題「それは三段論法ではありません」の部分が重要なんですが。
ITEMAE
元の文章の意味が不明なんですよ。
(主語述語関係もわからんし) >B 5より大きいなら2より大きい。 > これが正しいならば ・・なら・・・が正しいなら・・ って、「仮定」が重なってるんですが。 たとえば、 「5より大きいものは2より大きい。」が正しいなら・・・ というふうにすれば、「仮定」は絞れますし、「主語述語」もわかります。 >主語の省略は良くあることです。 「会話」ならありますが、 「論」として、「何が、どうだ」というのが明らかになってなければ、話になりません。
ITEMAE
「屁」の三段活用・・・
コーギー、犬、哺乳類の方は、
哺乳類の中に犬があって 犬の中にコーギーがあるので 哺乳類の中にコーギーがあり、 コーギーは哺乳類だといえる グーチョキパーの場合は、 それぞれが独立しているので、 グーとチョキ チョキとパーの関係が固定されても、 グーとパーの関係が固定されるとは がきらない。 どうかな?
ITEMAE
「固定」ってのが、いまいちわかりませんが・・・
その3段論法自体は 正しい と考えます。
ただ、ジャンケンにおいて、「・・・ま、そぅなんだけどさ、グーはパーに負けるってルールにしてょ」って、事情が入ってるんだと考えます。 ナス以下ですね
ITEMAE
ま、実は、そうなんです・・・。
プアー(貧乏)な人より、財布的にグー!!な人の方が、なにかと強い。
すべてのコーギーは、イヌ…だと思ったら、
若干、怪物かもしれません。
ITEMAE
怪物のコーギーでも、犬であればOK
(怪物のモスラは、蛾なんだろうか・・・?) ドラえもんは、バルタン星人に勝ち
バルタン星人は、パーマンに勝つ ...で、ドラえもんは、パーマンに勝つ。 パーマン 「あ!、チョキを出しちゃった...。」 おはよう御座います。 おっちゃんジャンルで.....
ITEMAE
藤子F先生としては、やっぱり、ドラちゃんのほうに軍配・・?
ウルトラマンがバルタン星人を倒すときの 「スペシウム光線」は、パーだったな・・・。
ITEMAE
「角 盈男」
この一発で、「名前を記録に残した男」・・・。(三振だったら記憶にも残らない ) 当時、西武に「かく:郭」がいて、 日ハムに「つの:津野」がいて、 読み方を間違えると、別人になりました 犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬
犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬コーギー コーギー 犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬コーギー コーギー 犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬コーギー コーギー 犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬コーギー コーギー 犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬コーギー コーギー 犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬 犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬 「すべてのコーギーは、犬である」
ITEMAE
最終兵器・・・
「グーチョキパー」が "じゃんけん" の「グーチョキパー」とは書いていない!?
だからやっぱり「強い弱い」という関係が包含関係や実数の大小と同じであるなら成り立つ!? 「グーチョキパー」がじゃんけんで使っている「グーチョキパー」なら話は別ですが… ホップ?ステップ??ジャンプ???
ITEMAE
ひらたくいえば、そういうことです
ITEMAE
例として、「コーギー」を描いてみたつもりです
これがじゃんけんの話ならば正しくないと思います
もとからじゃんけんはそういうルールなので、3のようなことはあり得ません ちなみに、友人曰く
グー>チョキ>パー>グー>チョキ・・・ の無限ループだからだ!だそうです
ITEMAE
考え方は、そういうことです。
1.2.が正しいとして、 というのが前提で。
ITEMAE
そういうことです。
もしジャンケンを誰も知らない国へ行き
1.「グーは、チョキより強い。」 2.「チョキは、パーより強い。」 とみんなに教えたならば 当然「グーは、パーより強い。」となる 私たちの知ってるじゃんけんで グーがチョキに勝つのは 単にそれがルールだから 何か強度的な数値の比較で チョキが勝者と決まるのではない だから「グーはチョキより強い。」 という表現は正確ではない ルールのみの適応で勝ち負けが決まった場合 その対戦結果は他の対戦を推論する 材料にはならない 減量失敗で自動的に負けた ボクサーを考えればいい >「グーは、パーより強い。」は正しい。
もちろん正しい
ITEMAE
>もちろん正しい
そりゃ、私はウソは申しません。 「強い」というのが実数の大小や包含関係と同じか?<br>というのを前の囁きでも書いていましたが、その疑問と関係していると思われるものを見つけたので囁いておきます。<br><br>http://ja.wikipedia.org/wiki/推移関係<br><br>大小と包含関係は推移律が成立しているので、<br>「AならばB」「BならばC」の二つの命題が正しいとき「AならばC」は正しい。<br>「A<B」「B<C」の二つの命題が正しいとき「A<C」は正しい。<br><br>となるのかな、と思います。<br>今回「強い」というのは二項関係になると思われますが、これが推移律を満たしていない場合、この三段論法は正しくなくなります。
上の囁きでも気になっていたことについてです
↓わかりました では楽しみにしてます
ITEMAE
もう少しして、緑色にしたときに解説する予定です
補足
そもそも「三すくみ」は現実性が薄い 1.「AはBより強い。」 2.「BはCより強い。」 するとAはBをたくさん従わせて自分の警護をさせる さらにBを集めてC討伐隊を組織する だからCがAに勝つことはない 実際にいろんな社会において 上に立つ者とその下の者さらにその下 そんなヒエラルキーは非常に単純です 「三すくみ」はありえません 1.「AはBより強い。」 2.「BはCより強い。」 ならば 3.「AはCより強い。」 「強い」という表現のあいまいさが少し気になりますが これはまず妥当な推論といえるでしょう >ジャイアンツはタイガースに勝ち、 >タイガースはカープに勝っているけれど、 >カープはジャイアンツに勝っている… それは結果論 ジャイアンツはいつもタイガースに勝つという事ではない 単に3チームの力がほぼ均衡してる事がわかるにすぎない 「三すくみ」ではなくただの「三すくみを思わせる結果」
ITEMAE
「三すくみ」
たとえば、 ・ジャイアンツは、タイガースに勝ち、 ・タイガースは、カープに勝っているけれど、 ・カープは、ジャイアンツに勝っている… が昨シーズンのセリーグ。 (今年も似た傾向のような) ヒミツ
こういうことかな?
(No.29とNo.30のコメントを元に考えてみました) (No18のは 「グーとチョキ」と 「チョキとパー」の関係と、 「グーとパー」の関係は、 関係ないってことを言いたかったです。)
ITEMAE
基本的にはそういうことです。
永久駆動さんはじめ、「本質に迫る回答」がでてきましたので、
答えを。 >「グーは、パーより強い。」は正しい。 もちろん正しい が、大正解です。 「グー」「チョキ」「パー」を見て、「じゃんけんの勝ち負け」で考えた方は、 「先入観」に支配されています。 出題で示された条件は、 1.「グーは、チョキより強い。」 2.「チョキは、パーより強い。」 です。 他の条件は指定されていません。 勝手にグー・チョキ・パーの属性を決定してはいけません。 「強い」モノサシは、いろいろありますが、 (力の強さであれば、kgfとか、電圧の強さであればVとか、音の強さであればdBとか・・・) なんにせよ「弱い・・・・・・・強い」の一方向であらわされます。 順序として【弱←・・・パー・・・・チョキ・・・・グー・・・→強】 とうぜん、グーは、パーより強い。 じゃんけんで勝つか負けるか、というのは、まったくの「別問題」 (世の中、必ずしも「強い」ものが「勝つ」わけではない、というのも、おまけで) ちなみに、今回は、 強さのモノサシを「折った指の数」で表してみました。 5>3>0 ですから、5>0はもちろん正しい。 >なんにせよ「弱い・・・・・・・強い」の一方向であらわされます。
というのは「当たり前」でいいのでしょうか? 実数の順序に対する「推移律」は公理だったと思います。 実数が「小さい・・・・大きい」の一方向で表されるのは、結局推移律から導かれることなので、なぜ「推移律」が成り立つか、ということは証明できないのでは? 同じように「弱い・・・強い」も自分で定義しない限り推移律の成立は何も言えないかと… たとえば、「音の強弱」など、「証明出来ない」ことでしょうか?
「音」を、振動エネルギーだと定義すれば、「強弱」はおのずと決まってくると思いますが。 (だからこそ、単位を設定して、「実数」であらわす事が可能になる。 実数であらわせなければ定義できない、では逆) No.32でITEMAEさんが返信コメントされていますように、
二つの間の「強い・弱い」を「互いの直接対決の戦績で決める」という定義をしてしまえば、それは推移律をなさないことがあるのは簡単に分かりますよね。 音の強弱も定義のしかた次第で、強い弱いが推移律をなすかどうかというのも変わるかと。 振動エネルギーと定義したなら、実数と同じ物として扱えるので、結局実数に大小があるのと同じことです。 例えば検査師Aさんが二つの音を聞いて、よりうるさいと感じた音を強い、と定義するような数値化しない音の強弱の付け方もあり得ます。 この強い・弱いが果たして順序だっているかどうかは…? 僕自身も "現実的に" 音の強弱に順序があると思いますが、"論理的に" 「順序」や「推移律」は当たり前のものではないと思います。 実数も推移律がなければ 「5>3」「3>0」ならば「5>0」 は正しいかどうかの証明ができません。
ITEMAE
>No.32でITEMAEさんが返信コメントされていますように、
私は、「3すくみ」の例をあげただけで、 「勝ったほうが強い」とも、「強いほうが勝つ」とも、コメントしていません。 引用Wikiより。
例えば、「AはBより大きい」「AはB以上である」「AはBと等しい」といった関係は推移関係である。 大小も強弱も同じだと思います。 「体積」とか「面積」とかの定義がなくても、大・・・・小や、強・・・・・弱は、推移関係でしょう。 例えば検査師Aさんが二つの音を聞いて、よりうるさいと感じた音を大きい、と定義するような数値化しない音の大小の付け方もあり得ます。 と言われたら、どうしようもない。 「仮にそのような強い弱い」という定義をしたら、の話です。
仮に直接対決の戦績で「強い弱い」を決めるという決め方をした場合、三すくみが起こる、つまり推移律が破綻する、ということです。 ↑「実数の大小関係は推移律を持つように定義した」→「だから推移律を持つ」 という論理展開だったと思います。
ITEMAE
「仮にそのような強い弱い」という定義をしたら
・・・ですね。 上で述べましたように、仮に互いの直接対決の戦績で強弱を決めたときには推移律が成り立たない。
ただし実際は違う強弱の付け方を決めているからその強弱の付け方に従った「強い⇔弱い」があるのですが、強弱に対して推移律が成り立たない強弱の付け方もあるということです。 今回最初の段階では、「グーチョキパー」のおのおのに対して強弱の付け方が書かれていない状態でした。 最初に「強さのモノサシを「折った指の数」で表す」という文章があれば正しいですがそれがない状態です。 それにも関わらず答えが「強弱は推移律を満たす」となぜ言ってしまっていいのか?という疑問が根本です。
ITEMAE
何も指定がなければ、「強・・・弱」は一方向です。
たまたま「じゃんけん」のルールという「特別な条件」で、 「勝ち」「負け」があり、 「勝ったほうが強い」という定義をした場合にのみ、 「強い」=「勝ち」が成り立ちます。 でなければ「強度」という言葉が成り立ちません。 「特殊な場合」を規定すれば 「大きい」「小さい」だって、「三すくみ」がありえます。 >>3のコメントで、 ジャンケンの役の場合、「強い」ではなく、正しくは「相性がよい」です。とありますが、 ゲームの上で「そういうルールに決めた」だけで、「強さ」が定義されてるわけではありません。 何の前提も無く 1+1の答えは?という問題で2と答えたら
正解は1でした。なぜならそう定義した世界での答えですから。 というのと同じくらいナンセンスです。 −−−−−−− 前提は正しいというのは問題上の仮定なので全く問題ありませんが、 この論理は三段論法とは似て非なるものですので、結論が正しいという保証はないし、 強弱の基準が不透明なままですので判断できません。 じゃんけんとは限らないといっていますが、 そもそも「グー」「チョキ」「パー」という表現自体がじゃんけんから来ているものですので、普通はじゃんけんを想定しますし、普通に数字が書いてあるときに10進数だと思うのと同じくらい当たり前だと思います。 さらに、回答に「勝手にグー・チョキ・パーの属性を決定してはいけません」と書いている一方で仮定はじゃんけんの判定と相反していないのに「じゃんけんではない」と勝手に決めています。
ITEMAE
前提は、
1.「グーは、チョキより強い。」 2.「チョキは、パーより強い。」 が正しい。 です。 出題に明記してあります。 (「じゃんけんの勝ち負け」は、単なる「連想」にすぎません。) 日常でも「じゃんけんしよう」という合意なしに、 カメラの前で「ピースサイン」をしてる友人に、いきなり「グー」をつきつけて 「オレの勝ちだ 」と言っても、通用しません。 ある知能テストで、 「 ねずみ は ねこ よりおおきい。 ねこ は ぞう よりおおきい。 ならば、ねずみ は ぞう より おおきいか、ちいさいか?」 ってのがあります。 与えられた条件は、ねずみ > ねこ >ぞう ですから、 「なんで rat が elephant 大きいんや!! 」 ・・・とクレームをつけてもしかたない。 (例えば、 チワワの名前が「ぞう」で、ゴールデンリトリバーの名前が「ねこ」 かもしれない・・・、というのは、まったくの「余談」であり、 別に「そんな説明」はしなくても問題ではない。 ) 強弱が推移律を満たさないような付け方もあるのに、前提に書いていないものを勝手に仮定しては、論理的とは言えないのでは?
当然「大きい」「小さい」にも推移律を満たさない可能性はありますから、上の知能テストでも「大小は推移律を満たす」という仮定無しに、その論理の真偽を確かめるすべはありません。 「大きい小さい」を体積として比較することに決めるのなら、実数と同一視できますから推移的でしょう。 これなら「ねずみはぞうより大きい」は真です。
ITEMAE
>強弱が推移律を満たさないような付け方もあるのに
>当然「大きい」「小さい」にも推移律を満たさない可能性はありますから それは「特殊な場合」です。 (引用Wikiでも「大きい小さい」は推移律の代表として使われています。 非推移の代表は「母である」など。 「強弱」が、「大小」と「母子」と、どっちの関係に属するか、ですね。) 普通名詞で「強度」というような単語がある段階で、強〜弱の推移が前提で存在してるのが当たり前で、 非該当は「特別な設定の場合」でしょう。 何も条件をつけずに「強弱」といわれたならば、推移、でなくては、 リモコンの「強弱」スイッチが信用できなくなります。 ※Wiki ついで。「じゃんけん」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%98%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%91%E3%82%93 当然、「強い」「弱い」という単語は一切使われていません。「勝つ」「負ける」だけ。 (使ったら、突っ込まれるもん) 引用されているwikiのページは実数の「大小」です。
「ねずみがねこより大きい」と言っているときの大きいとは、とりあえずは異なるものと考えるべきです。 二つの集合の要素一つずつに対して、その要素の間に関係を持たせること考えたときに、その二項関係が推移的かどうかは、その二項関係の付け方次第で後から決まるものであって、必ず推移的かどうかはわかりません。 公理として決めていない場合は、推移的なら論理的証明が必要になります。 (包含関係の推移性は別の公理から証明できるので公理ではない) ところがこの問題に「強い」という二項関係が推移的という論理的証明も、公理のような仮定もありません。 ですので「「強い」という二項関係は推移的である」という命題が常に真であるということを証明できなければ、今回の命題は「「強い」という二項関係が推移的」ということが成り立つための必要条件であることがわかるだけです。 とはいっても、この問題に「強い」という二項関係の決め方もありませんので、こちらで論理的証明を与えることはおそらく不可能です。 >強度 今は論理学的に考えるべきなので、実生活における感覚との合致などは関係ないはずで、強度という単語は特に関係ないと思われます。 (それで証明が済むなら大きさという単語があるから実数の大きい小さいが推移的なのはそこから証明すればいい) それに実生活うんぬんを言い出すと、ジャンケンルールを持ち出して考えこの問題の結論が間違っているという主張、この主張を認めないことと自己矛盾しています。 ちなみに 「5は3より大きい」「3より大きいすべての数は0より大きい」の二つの命題が真ならば「5は0より大きい」 という命題は実数という集合に入れた「大きい」という二項関係の推移性に依存せず常に真です。
ITEMAE
「ねこの大きさ」をあらわすのに、モノサシを何につかうにしろ、
「実数」の範囲であるのは当然でしょう。(虚数では比べられん) 大〜小関係にしろ、強〜弱関係にしろ、本来は、一方向に推移していく関係であることに違いない。 だから、「強度」にしても「硬度」にしても「面積」にしても、それを計測する方法が考えられます。 「実生活」は、「法則」にしたがって「言葉」を作っているだけです。 (そういう言葉があるから、そういう法則である、とは言ってない) 「勝ち負けルール」を設定することで、 感覚的に「勝つ」=「強い」というのは、勝手な思い込みであり、 それを「特殊な場合があるから成り立たない」はおかしいと思います。 引用Wikiより
例えば、「AはBより大きい」「AはB以上である」「AはBと等しい」といった関係は推移関係である。例えば、a = b でかつ b = c であれば、a = c が成り立つ。 一方、「AはBの母である」は推移関係ではない。アリスがブレンダの母で、ブレンダがクレアの母だった場合、アリスがクレアの母であるとは言えない。 推移関係の例として以下のものがある。 「AはBと等しい」(等式) 「AはBの部分集合である」 「AはBより小さい」、「AはB以下である」(不等式) 「AはBで割り切れる」(約数) 「AならばBである」(含意) 「AとBは等しくない」は非推移関係の例である(集合に少なくとも2つ以上の元がある場合)。 ・ジャンケンは強弱ではなく勝ち負けで定義されている。
・一般的にはグー・チョキ・パーの強さは定義されていない。 という前提なら、 元の問題に強さの定義がないので、 「ジャンケンしたときに勝つ方が強い」と定義してみましょう。
ITEMAE
「そういう定義」です、
という前提ならば、「強さ」に尺度はない、ということになります。 あとから定義したんでは、出題できませんが・・・ (ポーカーで、「ワンペアのほうがストレートより強いと定義してみましょう」と、手札が決まったあとで言うようなもんで・・・ ) おじゃましま〜す。
推移律とかは苦手なんで、理解できるものに置き換えてみました。 皆さんとは話が逸れてると思いますがご容赦を。 つまり、ITEMAEさんの仰りたいことは、 「狼とキャベツを一緒にしてもいいのはどうしてですか?」 という質問文を、回答者が勝手に脳内補完して 「川渡りの問題で、キャベツと狼をいっしょにしても 構わない理屈がわからないのですが、何故でしょうか?」 と読み換えちゃイカンよ、ということですね? ↓ 補完ありがとうございます
ITEMAE
基本的にはそういう発想での出題です。
もちろん、ボケ回答は歓迎します。 勝手な脳内補完はダメだと思うけど、
ある程度の脳内補完がないと、 問題文中の情報以外は全て未確定で、 さらに、 問題文中のモノが現実のモノと同じかどうかの判断も出来ないので、 「〜かもしれない」って感じの本解ばっかりに思います。 ってことで、 本解が「正しいかもしれない」ではなく「正しい」である理由を 教えてもらえると嬉しいです。
ITEMAE
「強い〜弱い」が、
「大きい〜小さい」「速い〜遅い」「高い〜低い」「広い〜狭い」 と同じように、「途中で尺度の変わるものではない」という前提に間違いがない というのは正しい、というなら、正しい、ことになります。 ボムボムさんは、「いや、そんなことは決まってない」という前提です。 (「大きい」「小さい」でさえ、定義を明らかにしないと決められない・・・という立場で) 私は、 あえて特殊な場合を設定しない限りは、それは決まってる、という立場です。 >一方向に推移していく関係であることに違いない
「に違いない」という言い方だと、「一方向」であることが常に真である証明はないように思われます。 そうなると仮定を置かない限り今回の命題は真偽の判定不可です。 言い切れるかどうか、つまり常に真かどうかは僕はわかりません。 「常に真」ならば単に僕の勉強不足なだけですので、その論理的根拠を教えていただきたいです。 「常に真」とは限らないのなら、仮定なり公理なりで設定しない限り真偽の判定不可、となるはずです。 また例外が一つでもあれば、論理的に「真」ではありません。 例外が一つだろうが半分ぐらいだろうが関係なく「真」ではありません。 例外が少ないときには「ほとんど真」とか「たいていは成り立つ」のような言い方をしないとおかしいです。 今回は頭の体操ではなく論理パズルです。 勝手な前提や仮定は排除して考えるべきです。 特に今回の問題では「強い」の推移性が鍵です。 問題文だけでは「強い」という言葉は、何か「グー」「チョキ」「パー」の少なくとも三つの要素があって、それらに二項関係があることが分かるだけです。 それを現実の強度とか大小と関連づけることは、「じゃんけんのぐーちょきぱー」と関連づけていることと同じことです。 結局この問題を論理学的に考えると 「A#B」「B#C」が真ならば「A#C」は真か? という風に書き換えても問題ないはずです。 なぜ「#」は推移的なのですか?というのが僕の質問です。 ↑
>「強い」の推移性が鍵です。 「もし・・・という定義だったら・・・」といえば、何でも設定できます。 (そもそも「じゃんけん」のルールは、「強い」「弱い」でなく、「三すくみ」の関係で設定されている。) ボムボムさんの引用Wikiでも、「例えば、「AはBより大きい」「AはB以上である」「AはBと等しい」といった関係は推移関係である」 ですが >当然「大きい」「小さい」にも推移律を満たさない可能性はありますから を言い出したら、何をもって「推移関係」というのか、根本の問題になります。 「大きい〜小さい」も「高い〜低い」も「広い〜狭い」も「強い〜弱い」も、 その関係性の「違い」を設定するほうが無理なんじゃないですか? そもそも、推移関係がなければ「単位」の設定ができません。 たとえば、「あいつは人間が大きい」なんていう「表現」はありますが 「A君はB君より大きい」 が正しい と断定するならば、そこには何らかの「尺度」がなければなりません。 (「・・・と思う」ではダメ。「いや、B君のほうが大きい」と言わせない根拠がいる) どういう尺度かはともかく、「きちんとした尺度」が設定されてる場合。 さらに「B君はC君より大きい」 が正しい ときには、 「A君はC君より大きい」ことになります。 >「もし・・・という定義だったら・・・」といえば、何でも設定できます
それでいいはずです。 仮定が他の公理や定理から偽であることが証明されている命題であっても、「仮定を真として…」というように議論することが許されるくらいですから。 (←じゃんけんルールを仮定しているため例として不適切かと思い訂正。「実数において1>3ならば…」と考えることも許されるなど。) ですから「他の公理や定理からの証明」が必要では?と上で述べたのです。 そもそも二項関係は「比較のしかたを決めて初めて推移的かどうかを判断できる」はずです。 大小も実数と同一視することで推移的と考えられる。 面積も実数と同一視することで… 高い低いも推移的でないため決められない、なんてこともあるでしょう。 (例えば円電流における電位の高低とか) じゃあ二つの間の強弱は? 実数と同一視するなら推移的です。 「同一視する」=「比較の決め方を決める」ということです。 「強弱」=「直接対決して勝った方を強い」ということに決めてもいいはずです。 (例:モース硬度とヌープ硬度の違い) 実数と同一視したあと初めて単位がつけられるのであって、例えばモース硬度に単位はありません。
ITEMAE
「実数において1>3ならば…」と考えることも許されるなど。)
この場合、たとえば、 A: 1>3 である。 B: 3>5 である。 が正しいならば、 C: 1>5 は正しい、という理屈になるだけです。 「円電流」は、くわしくやってないのでわかりませんが、 たとえば、 同じ電流の中で「A点における電位、B点における電位、C点における電位」が、「三すくみ」になるんでしょうか? あるいは、「モース硬度」の中で「三すくみ」になる鉱物は・・・? (「硬い〜軟らかい」が一方向に推移していく関係だと前提があるからこそ、「硬度」が設定できるはず。) 推移であれば、単位がある、ではなく、 推移関係でなくては単位が設定できない、ということへの反証にはなりません。 本当に何かの基準を設けて 「グー」と「チョキ」を対戦させて「グー」が勝ち、それによって「グーが強い」と定義する条件で、 1.「グーは、チョキより強い。」 2.「チョキは、パーより強い。」なら、 グーはパーに勝つことになります。 (「三すくみ」は、「そういうルールにした」、というだけで、 お互いの関係が、「切る」「包む」というのはこじつけです) 紙はハサミを包むこともできるし・・・ 石はハサミを切れないし・・・ 「強弱」の基準がない。 反対派に加勢します。
>「特殊な場合があるから成り立たない」はおかしいと思います。 特殊な場合でも成り立たなければ、論理的に正しいとはいえないでしょう。 特殊な例を考えてみました 2つの塔の高さを比較する場合、片方の塔のてっぺんから水平に線を伸ばして、 他方の塔にその線が交わらないとき、こちらの塔はあちらの塔より大きいと定義しましょう。 これはごく自然な定義ですね。 100メートル間隔で塔が並んでいるとして、地球の裏側までそれが続いているとしましょう。 隣接する塔同士は大きい、小さいが判定できますが、 両端の塔を比較すると、お互いに自分の方が大きいことになり、大小が決められないことになります。 つまり、「AはBより大きい」「BはCより大きい」が成り立っても、 「AはCより大きい」とはいえないことがあるのです。 ↓要約するとそういうことですね(これはNo.54に対するものです) 正しいかどうかは「強い」の定義によって変わってくるので、一般的に正しいとはいえない。 というのが私の立場です。 --- あんまり自然ではなかったですかね でも論点がずれてますね。
ITEMAE
>片方の塔のてっぺんから水平に線を伸ばして
>これはごく自然な定義ですね。 自然な定義ならば、まず「塔が水平な場所に並んでいる」のが条件でしょう。 もし、地球の丸さをいうなら 「水平に線を伸ばして」は、地球の重力方向と90度むき→すなわち、「地表からの高さ」で比べることになります。 高さの違う足元に並んでる人の頭の位置を比べて、「背の高さ」を云々するようなもんで。 「真横」に伸ばさずに「高い」というのは、はじめの「正しい」が正しくないことになります。 (ちなみに、100m間隔で、1cmずつ差を付けるとして、 地球1周するためには、4000m以上の鉄塔を建てる必要があります) グー・チョキ・パーに対して
『1.「グーは、チョキより強い。」 2.「チョキは、パーより強い。」 これが正しい』 という情報しか無い状態で、 『「グーは、パーより強い。」は正しい。』 と言い切れるのか? (他の方の話とズレたこと言ってたらすみません)
ITEMAE
・・・という情報しかない、からこそ、純粋に強〜弱の関係として、
言い切らなきゃいけないでしょう。 じゃんけんの「勝ち負け」情報やらの、雑音があるから、あれー?ということになる。 では「単位の設定ができるからといって推移的とは言えない」ということを述べれば反証になるでしょうか?
緯度経度などがその例に挙げられると思います(これは円電流と同じことです)。 「部分的に」推移関係が成り立つが、全体として推移関係が成り立たない場合にあたります。 前後左右とかも同じですね。 モース硬度に三すくみがあるかどうかはわかりませんが、ないからといって、それが「強度が常に推移的とは言えない」ことの反証ではないですね。 そうだとしても「硬度」の決め方の一つが三すくみを生じないことを述べただけです。 肝心なのは「すべての決め方において」です。 モース硬度は、「互いを比較するような定義のしかた」が実在することを述べて、互いを直接比較することがおかしいわけではない、ということを言いたかったために例に出しました。 まとめると「互いの直接対決の勝ち負けで強弱を比べる」ことを排除される理由がない、ということです。 僕は論理的証明が知りたいのですが、その情報を得られない状態です。 このように証明がない状態で「ある強弱の決め方では三すくみが起こる」を排除して「常に真」となる根拠が分かりません。 「強弱の概念のない国に行ってAはBより強い、BはCより強いと述べて、果たしてAはCより強いと答えてくれますか?」
ITEMAE
たとえば、「東西」の問題。
これは、東・・東・・東・・にいけば、西に出てくる、ということを意味すると思いますが、 そもそも「東」とは、「日の昇る方向」です。 「富士山から真東」、というのは日の出(平均で、緯線方向)にまっすぐです。 5kmほどで160cmほど「空中」に浮きますし、200kmほど進めば、3000mほど浮きます。 地球の大きさからみれば、このへんは「大目に見る」レベルなので、 「東京は富士山の東にある」は、「誤差の中で正しい」とはいえるけれど、 論理的に正しいわけではない。 (「1億円」と「1億1円」は、感覚的には同じだけれど、理論的に、=ではない) 便宜的に、地球の中で「東西」を決める基準のために「経度」というものがあるけれど、「東経」「西経」ともに0度〜180度で設定してあるので、数字が大きいほど「東」ということになります。 x軸から、+方向に180度、−方向に180度とって、角度の大小をみるようなもんです。 >No16のコメント
…なら…が正しいなら という表現は論理として全く問題ない表現でしょう。 (A⇒B)⇒C という形になるわけで、確かに「会話」としてはどうかと感じますが「論」としては不自然なところはありません。 (A⇒B)⇒Cのカッコの位置が分からないような書き方だったら論としてもどうかという話になるんですが、そうでもないみたいですし。 「会話」が自然に通じることを重視してもいいかもしれませんが、コメントの後半分を見ると「会話」より「論」を重視してると感じたので。 それとNo4へのコメントは「そんなことありません」で始まっているのですが 「三段論法ではないよ」という意見に対し「そんなことありません」と書いてあるように見えます。そうだとしたらITEMAEさんの方が間違っていると思います。(あくまでその部分に関してだけど) 確かに「三段論法」とは違う理論でしょう。
ITEMAE
>>4は、
1の結論は 「チョキより強い」2の条件は「チョキ」。 A=B でなければ、三段論法は成立しない、という前提で 言葉を当てはめただけの言い方には、 「そんなことはない」ということになります。 「推移関係」「包含関係」すべて、三段論法の範疇ですから。 硬度が出てきたり東西とかが出てきたりして議論がうやむやになりそうなので、僕の主張と疑問もう一度書きます。
「強い」という関係は現実の"強弱"とは無関係で、日常の会話で使用する"強い"とは基本的に全く無関係。(「強い」という言葉から現実の"強い"を連想してはいけない) 「強い」を数値化するとも書いていなければ、「推移的」とも書いていない。 故に問題の条件文2文が真であるようなあらゆる強弱の付け方を考慮した後に、命題の真偽を導き出すべきである。 それなのに、じゃんけん勝敗ルールの順序を強弱に当てはめた関係が排除される理由が分からない。 一つでも例外があればその命題は「常に真」ではない。 …で、一番重要なところは 「どのような強弱関係を取り入れても強弱関係が推移的である、という命題が真であることの循環論法的でない論理的証明」を教えてください です。
ITEMAE
たとえば、
「どのような大小関係を取り入れても大小関係が推移的である、という命題が真であることの循環論法的でない論理的証明」を教えてください。 なんていうことは言わんでしょう。 「対戦して勝つものを大とする」というルール。 「対戦して勝つものを速という」というルール。 ルールだけなら、いくらでも作れます。 何らかの基準を設けて、それにしたがって勝ち負けが決まるのならば、 グー は パー に勝ちます。 私の考えを書きます
経度の話ですが 1 都市Aは都市Bより東にある 2 都市Bは都市Cより東にある ならば 3 都市Aは都市Cより東にある これは正しい たまたま地球が丸いため 都市Cが都市Aの東だともいえる しかし3が正しいことにかわりない 「三すくみ」とは違います ITEMAEさん は三段論法の説明から初めています そして12の条件から3を導けるかを尋ねています 論理学の問題なのですから 「結論の『クジラはすべてバナナである』?そんなわけない」 などと考えるは間違いです 一般知識や常識とは関係なく 12の条件から3を導けるかだけを考えるべきでしょう 私たちの知っているじゃんけんというゲームではたまたま 「三すくみ」という不自然で特殊な強弱関係が ルールで無理やり決められています それは参考例にも例外にもならないと思います くりかえしますが「三すくみ」は実際にはありえません 「強い」に限らず 1 AはBよりほにゃららです 2 BはCよりほにゃららです 3 CはAよりほにゃららです こんな関係は現実にはないはずです
ITEMAE
「三すくみ」
Aさんは、Bさんに頭があがらない。 Bさんは、Cさんに頭があがらない。 Cさんは、Dさんに頭があがらない。 Aさんが、Bさんの高校の後輩で、 Bさんが、Cさんを尻に敷く奥さんで、 Cさんが、Bさんの会社の上司。 公私混同はしない。 浜ちゃん、スーさん、佐々木さん・・・の関係というのはありそうですが、 「同じ基準」で「強い弱い」と言うことに間違いがあります。 >「A君はB君より大きい」 が正しい
>と断定するならば、そこには何らかの「尺度」がなければなりません。 と書かれていますが、「尺度」がなくても大小関係は考えられる、 さらに、AとB、BとCの大小が判断できても、AとCの大小が判断できないこともある という例を挙げたまでです(No.53)。 「三すくみ」の例も書いておきましょう。 過去の対戦実績をもとに、 AさんがBさんに勝った回数が多いとき、AさんはBさんより強いと定義しましょう。 このとき、A>B、B>C、C>Aとなる場合は容易に考えられます。 三すくみのサイコロなんてものもありましたし。 しかし、自然な例が考えられるかどうかは論理とは関係ないです。 どんなに非現実的なものであっても反例が考えられる場合、正しくないとするのが論理学です。 --- 三すくみのサイコロについて追記します。 サイコロA、Bを転がしたとき、 Aの目の方が小さくなる確率が1/2より大きいならばA<Bであると定義します。 サイコロには6つの面がありますが、対面には同じ数字が書かれているとして、 3種類の異なる数字が書かれているものを考えます。 サイコロA、B、Cに書かれている3種類の数字が次のようになっているとします。 A:4、9、2 B:3、5、7 C:8、1、6 Aの目がBの目より小さくなる確率は5/9ですので、A<Bです。 Bの目がCの目より小さくなる確率は5/9ですので、B<Cです。 Cの目がAの目より小さくなる確率は5/9ですので、C<Aです。
ITEMAE
「大小関係」が、その時々の設定で決まらない、
ということだと、 そもそもの理論自体がつくれなくなります。 何を証明するにも、「その前提は・・・かもしれない」 (三角形の面積をいうのに、「辺は曲線でもいいように設定されることがあるかもしれない」とか。) ジャンケンと同じだと決めてしまうのはダメですが、
ジャンケンと同じである可能性があると考えるのは間違いではないと思います。 ジャンケンと同じである可能性を完全否定できないと 「正しい」とは言い切れないのでは・・・?
ITEMAE
wikiで引用してありますが、
「じゃんけん」のルールは、最初から「勝ち負け」の関係だけで、 「強い弱い」とは設定されていないので、 「ジャンケンと同じである」のは「強い・弱い」を意味しません。 通常の意味での地球の東西で推移性を認めると、「東京は東京より東(以東ではない)」が成立し、さらに「任意の場所は任意の場所(同じでも別でもよい)より西でもあり東でもある」も成立します。
地球がたまたま丸いから除外する、というのは論理的ではありません。 問題の一番最初に「ユークリッド平面に置いて東西を〜と定義し…」というような文章があれば、その中において東西は推移的かもしれません。 「地球上において"東西"を〜のように通常の意味での東西で定義し…」というような文章があれば、その中では推移的ではない。 後者を勝手に排除する理由がありません。 a,xは実数でax=aである。 a≠0のときx=1 a=0のときxは任意の実数。 において勝手に後者を排除しているのと変わりありません。 「現実で例えば〜」と例を出して関係性が推移的かをどんなに議論しても、論理的には「ある〜」の一言で片付けられるだけ、あるいは現実における成立の妥当性を考えているだけです。 いま必要なのは「すべての」強弱関係で成り立つかを示すことです。
ITEMAE
基本円座標で、+方向を「大きい」(角度的に)としたら、
+方向に360度の点Aと、+方向に0度の点Bと、−方向に360度の点Cは、「同じ位置」にあることになりますが、 理論的にはA>B>Cは成り立ちます。 上でも書きましたが
対戦成績が結果として「三すくみを思わせる」場合は 「三すくみ」とは異なります >どんなに非現実的なものであっても反例が考えられる場合 「三すくみ」となる反例は現実にはありませんね 「三すくみ」が成立するのは 無理にそうなるようにルールを決めたゲームの上だけです そんなものは例として挙げるべきではないでしょう あくまで論理学です >地球がたまたま丸いから除外するというのは論理的ではありません。 除外していませんよ A→B B→C A→C はどんな場合でも成立すると言っているのです じゃあこんなのはどうかな? こんな問題を考えてください 論理パズル ライオン、クマ、サル、ネズミ、イヌの5匹の動物がいます 1 ネズミはイヌより強い 2 イヌはクマより強い 3 ライオンはイヌより弱い 4 サルはネズミより弱い 5匹の中で一番強いのは誰でしょう? 正解 ネズミ この論理パズルが成立するのであれば ITEMAEさんのこの出題も成立します
ITEMAE
上のほうで「知能テスト」の例を出しましたが、
基準をもって強弱が決まるのなら、ネズミは最強です。 「・・のほうが強いということにしよう」は、理論ではありません。 >対戦成績が結果として「三すくみを思わせる」場合は
>「三すくみ」とは異なります どうして異なるのでしょう。 どちらが強いかを対戦成績をもとに判断するのは合理的、現実的なことだと思いますが。 >「三すくみ」が成立するのは >無理にそうなるようにルールを決めたゲームの上だけです 私が挙げたサイコロの例は無理に三すくみになるようにルールを決めたわけではなく、 どちらのサイコロが有利かを合理的に考えれば自然にあの定義になるはずです。 あくまで論理学といっておきながら、論理的に考えられる反例を否定するのは論理的とはいえないと思います。 そして、上の論理パズルですが、もちろん成立しません。 この手のパズルは普通、「AがBより強く、BがCより強いとき、CがAより強いということはありません」 等の注意書きがあるはずです。ないものは配慮不足ですね。
ITEMAE
>どちらが強いかを対戦成績をもとに判断するのは合理的、現実的なことだと思いますが
勝った者が「強かった」というのは、結果として判断材料にする、というだけで、 理論的に、勝った者が強いのか? ということにはならんでしょう。 (ちなみに、出題で「グーはチョキに勝つ」という設定はしていません。 「川渡りの問題」で、「キャベツと狼をいっしょにした場合」の状況を、 「狼は肉食動物だから…」と勝手に判断してはいけません。) ネズミとイヌを比較してネズミが強い
イヌとクマを比較してイヌが強い ライオンとイヌを比較してライオンが弱い サルとネズミを比較してサルが弱い からといって、 ネズミとライオンを比較してライオンが強いことが ありえないとは言い切れないような?
ITEMAE
強弱関係の基準をちゃんと設定するなら、言い切れます。
清水宏保は、モーリス・グリーンより速い。 モーリス・グリーンは、野口みずきより速い。 野口みずきがマラソンをすれば清水宏保より速いけれど、 そりゃ、比較基準がおかしいでしょう。 wikipediaの推移関係を満たさない例
「AさんはBさんの母親である」「BさんはCさんの母親である」が成立するなら「AさんはCさんの母親である」も永久駆動さんの主張では必ず成立することになりますね。 三すくみは「A>B、B>CだけどA<C」ということですが、推移関係が成り立たないとは三すくみになることをいうのではなく、「A>BとB>C」から「A>C」の結論が得られない、といっているだけです。 だからといって「A<C」が成立しているかどうかは別問題です。 問題の仮定に「A#BとB#C」から「A#C」を導けることが定められていない状態で、勝手に導いてはいけないということです。 この問題は、三すくみになるかどうかを証明する問題ではありません。 与えられた前提のみで結論を導くことが求められているのです。 一般の二項関係は「推移的」かどうかは定まらないのに、「強い」という単語になった瞬間に「勝手に推移関係を暗黙の前提にする」ことがおかしいのです。 別な真の結論から「A#C」の関係が結果的に証明されるなら、少なくともこの三要素「ABC」に三すくみは成立せず、この要素間において関係「#」に推移関係が成立することは分かります。 しかしそのような情報が与えられていない状態です。
ITEMAE
「AさんはBさんの母親である」「BさんはCさんの母親である」が成立するなら「AさんはCさんの母親である」も永久駆動さんの主張では必ず成立することになりますね。
「大小関係」が推移的であるというのと 「母子関係」が推移的でないというのと 「強弱関係」がどっちなんだ? というのを比べる時点で不自然でしょう。 「母子関係」は、「直接産んだ、産まれた」関係です。 「売った買った」と同じ。実際にどうだったか、だけの問題。 「勝った負けた」も同じですが、 たとえばWBCで 「日本はキューバに勝った」 「キューバはメキシコに勝った」は、事実ですが、 「日本はメキシコに勝った」事実はない。 (勝ったから強い、と評価するのは自由ですが、理論的には正しくない。 本当に「理論的に強い」のなら、 「4回まではリードを許したが、後半逆転したあとリリーフ陣がふんばって逃げ切った」 なんてことはなく、「弱い」チームは完封され、強いチームはアウト1つ取られることなく打ち続けになるでしょう。 最初は強かったけど後から弱くなった ) まずいはら さんへ
>>「三すくみ」とは異なります >どうして異なるのでしょう。 100勝0敗ではないからです 勝ったり負けたりしてその結果になっただけ パーがグーより強いのは 戦績が88勝53敗だからではありません どちらが強いかを対戦成績で決めるのは難しいですよ 100勝0敗ならともかく 192勝189敗なら「強い」ではなく 「力はほぼ互角」という感じでしょ ならどのくらいの戦績なら強いといえるのか その線引きの基準がない 対戦成績は目安にはなりますが 対戦成績を根拠にどちらが強いかをいうのは難しい >無理に三すくみになるようにルールを決めたわけではなく、 出展があるのでは? 三すくみになるように不自然に配置したサイコロの目のはずです >ないものは配慮不足ですね。 「論理」パズル ↑これだけで十分な説明だと思います このj問題が普通にパズルの本に載ってれば 「答えは・・・ネズミだ」と即答しませんか?
ITEMAE
このサイコロの場合、
「1差でもあれば勝ち」のようなルールになってるので、 「大負け」1回を、「小勝ち」2回で取り戻すような計算で、 「三すくみ」になるような例ではあるんでしょう。 ばくちでいえば「本命に賭けつづければ得」だという錯覚。 >永久駆動さんの主張では必ず成立することになりますね。
私がいったのはこうですよ 1 AはBよりほにゃららです 2 BはCよりほにゃららです ならば 3 AはCよりほにゃららです 「AさんはBさんより母親らしい」「BさんはCさんより母親らしい」「AさんはCさんより母親らしい」 うん正しいですね >「A#BとB#C」から「A#C」を導けることが定められていない それが決まっているのが論理問題だと思います そもそも私たちは日常生活の中で数え切れないぐらい同じことをしてます ものさしを使って2つの長さを比べるとか つまり何かを中において直接比べられない2つを比べてたりしますよね 同じことだと思いますが
ITEMAE
「母親らしさ」の基準がはっきりしていれば、モチロン正しいです。
もう一度書きますけど「強い」は現実の強いとまずは切り離すべきです。
「円卓において三人座ったときに自分から見て右隣に座っている人を「強い」左隣を「弱い」と言うことにします。」 「AはBの右隣に座っている BはCの右隣に座っている CはAの右隣に座っている」 のもとで 「AはBより強い」「BはCより強い」ですが「AはCより弱い」です。 の論理を、「赤の部分が現実的にあり得ず例外」とおっしゃっていることになります。 「強い」がどんな関係のことかも書いていない。 極端な話、「現実の弱い」を「強い」と設定しても、不適切ではない(非現実的かどうかは別)。 それなのに「現実の強いと関連づけて非現実は排除」のようになるのはおかしいのでは、という疑問です。 現実の「強い」が推移的とか三すくみがないとか、と今考えている論理パズルの「強い」は別です。 「強い」という単語から勝手に連想してはいけない。 「グー」からじゃんけんを連想してはいけないように。 現実の三すくみが存在しないことを示せたら分かることは「現実の世界の強弱は推移的」であって、そこからこの問題の「強弱」と関連づけることは勝手な類推です。 何度も「例えば〜」というふうに上で例が挙がってきますけど関係ないです。
ITEMAE
理論的には A,B、Cが、(回転系の右・左の位置関係を前提とするとして)
AはBの右側に座っている BはCの右側に座っている が正しいならば、 AはCの右側に座っている は「正しい」ことになります。 たとえ、左隣にいようとも、 「右側」にいることには違いない。 「円座標」と同じ。右回りが「マイナス」の方向。 +90度の点と、−270度の点が「同じ場所」にあるようなもの。 右に向いても左に向いても、同じところに戻ってくるのは、 「右であるけれども、左でもある」ということ。つまりは、 「強いけれども、弱い」が並立する、という前提を作ることであり、 それが、「現実」と合わないからと言って、 「強い」はずのものが「弱い」のは矛盾だと、クレームをつけるのが矛盾です。 ※「隣」は、「母子」と同じ関係なので、 >AはBの右隣に座っている >BはCの右隣に座っている は、AとCの「隣」関係には結びつかない。 ↑
の回転方式でいえば、 1.「グーは、チョキより強い。」 2.「チョキは、パーより強い。」 これが正しいならば、 3.「グーは、パーより強い。」は正しい。 は、正しい。 ただし、 4.「グーは、パーより弱い。」は間違いだ。 は、かならずしも正しくない。 ということになります。 「間違い」だとする根拠は示されていない。 「どっちも同じやろが」 というのは、じゃんけんルールにこだわっているだけで、 理論的ではない。 >1.「グーは、チョキより強い。」
>2.「チョキは、パーより強い。」 > これが正しいならば、 >3.「グーは、パーより強い。」は正しい。 >ただし、 >4.「グーは、パーより弱い。」は間違いだ。 > は、かならずしも正しくない。 逆です。 推移関係が成立することが仮定されて、3の帰結が得られるので、仮定していない場合 "必ずしも3が正しいとは言えません" 。 また「グーはパーより弱い(No.69においての"AはCより弱い")」となる強弱関係の付け方を前提で書いた以上、"「(略)が間違いだ」が必ずしも正しくない" ではなく、「正しい」です。 >「隣」(=右隣を強い、左隣を弱いと定義したあとは強弱と同じ)は「母子」と同じ そのとおりです。 すなわち推移関係が成立しないということであり「AはBより強い」「BはCより強い」から「AはCより強い」の関係は得られません。 僕は「推移関係が成り立つこと」を循環論法でない方法で証明する必要がある、と書きました。 推移関係が成り立つと仮定している論理は、推移関係が成立することの証明にはなりません。 「A⇒B⇒…」が真であっても、「A」が「真」かどうかは決められないということです。
ITEMAE
右・・右・・右の回転系と、
左・・左・・左の回転系があって、 それぞれ別の示し方でABCの点が決められるなら、 A1→B1→C1→A2→B2→C2→・・・と続きます。 (「逆回転系」ならA1→C1→B1・・・・・になります) A1→B1→C1→A2→B2→C2→・・ のうち、「3点」をとって、 「Ax→By 」であり、 「By→Cz 」であるならば、 どういうとり方であっても、 「Ax→Cz 」は成り立ちます。 「・・の隣」である、と「・・よりほにゃらら」であるを同じに扱うのがなぜか理解できませんが。 (>>67永久駆動さんコメント参照) それが、引用wikiで説明されていることでしょう。 普通なら、途中で逆回転を入れるのは反則ですが、便宜的に 「【Aの右にBがいて、Bの右にCがいる】のに、【Aの左にCがいる】というのは間違いだ」 といわれたら、 「いや丸テーブルなら、そういうこともある」 と切り返すことができるので、 「間違いだ」と「断定する」のは正しくない、 という意味であり、 「Aより右の方向にCがいる」ことを、否定するものではありません。 (丸テーブルでも、指定席で、「上座」から席次が右回りに設定されている、といった場合は、どんなに席が離れていても、右回りに数えるのが正当でしょうね) >No56のコメント
メインである前半へのコメントが無いですが、「特に言うことはない」と解釈していいんですかね。 それとAがBより大きい、BがCより大きいならば、AはCより大きい、のような論理が三段論法の一例だとは辞書や検索使ってみたけど見つからなかったですね。 広辞苑では「三段論法外の推理」の欄でこのような例が見つかりました。 やはり「三段論法ではない」という部分はあってると思います。 まあ出題には最初の例のとこにしか三段論法としか書いてないわけでそこには特に問題ないですけど。
ITEMAE
図のある説明で、
http://www.sist.ac.jp/~kanakubo/ken_create_reasoning.html とか、 http://homepage3.nifty.com/manabizz/sandanronpou.pdf とか。 数直線を考えれば、大小関係が演繹的に成立してるのは明らかだと思いますが。 「AがBの右隣にいる」ことを「AはBより強い」のように定義し、「AはBの右隣に座っている、BはCの右隣に座っている、CはAの右隣に座っている」と前提をおいたので、定義や前提への疑問に意味はないです。
この関係は推移的ではない関係です。 >A1→B1→C1→A2→B2→C2→・・ > のうち、「3点」をとって、 >「Ax→By 」であり、 >「By→Cz 」… 「→」を「強い」(=「右隣である」)と考えるなら推移関係は成り立たないので、結論は得られません。
ITEMAE
「・・の隣」というのが「・・よりもほにゃらら」に対応する定義になってないので、
意味がないのです。 わざわざ、対応しないものをもってきて「定義する」というのが無理というもんです。 「・・よりもほにゃらら」の例をあげてください。 AはBの1段上にいる BはCの1段上にいる が、正しいならば、 AはCの1段上にいる 「1段」がなければ正しいですが、なぜわざわざ「1段」を入れる? 「右隣」というのは「1人右」でしょう。 (母子が成り立たないのも、「母」は「1代の先祖」だからであり、 普通に、 AはBの先祖である。 BはCの先祖である。 が正しいなら、 AはCの先祖 ですよ。) ITEMAEさん
>図のある説明で、 >とか、とか。 どういう意味ですかね? >数直線を考えれば、大小関係が演繹的に成立してるのは明らかだと思いますが。 明らかですよ。最後逆説で終わってるように見えるんですが、私の意見につながってるとは思えないですね。
ITEMAE
すみませんが
>私の意見 を再度、まとめていただけませんか? 「推移関係」の話題で手一杯で、どこを拾うのか、集中できませんので。 じゃあ「より右側」でも構いません。
「円卓においてAがBより右側である」とは次のように定義する。 「円卓の中心Oを上から見て、OBから見てOAとのなす角を右回りと左回りで測ったときに、右回りの正の最小角度が左回りの正の最小角度にくらべて大きくないときに、AはBより右側である」と定義する。 そして三人等間隔に座っている場合を考えます… あとはすべて「右隣」を「〜より右側」で置き換えてください。 三人の場合は間に人が入らないので「右隣」と「右側」が同じことを意味しますが、四人以上では違うことになります。 なおNo.71の僕のコメントへのレスのように、整数の大小と同一視して右側左側を定義すると、右左が通常の大小と同じように考えられることになります。今考えているのが{ABC}の三人の有限集合なので最大元、すなわち「一番右側」が存在することが言えます。 仮にそれがBだとして、A>BよりBが最大元(一番右)であることに矛盾します。 (ACでも同じ) したがって背理法より、このように右左の定義をすることは矛盾しています。
ITEMAE
下の永久駆動さんのコメントでも指摘されていますが、
ある線を越えたら右側でなくなる、 というような設定をしたら、途中でモノサシをかえることで、 最初の「・・より〜」と次の「・・より〜」が別物になります。 円座標のように、180度を越えようが、360度を越えようが、 回り続けるか、 あるいは、最初から「〜の範囲で」と設定しなくちゃなりません。 (共通のモノサシで) 「1点」より「2点」は多い。 「2点」より「2+X」点は多い。(X≧0) なら、「1点」より「2+X」点は多い、のは明らかだから、 9回の表まで後攻チームがリードしてたら9回裏は「X」で攻撃なしですが、 「別のモノサシ」があって、 途中で「ヒットが多いほうが勝ち」だとかルールを変えるようなもんです。 それだと3人でも4人で向いてる方向がバラバラですよね
Aの右側にいるBがどちらをむいているかによって その先の「Bの右側」はどこにするのも可能です もっと単純に Aの右に180度回転したBがいれば Bの右もAです BはAより右で AはそのBより右 BはそのAより右・・・・・ あっという間に論理は破綻します つまり「より右」の基準が変わっているんです Aのより右にB(Aの向き基準) Bのより右にC(Bの向き基準) AはBより強い(ボクシングで) BはCより強い(雑学クイズで) これと同じです
ITEMAE
ちゃんとモノサシとして、座標を設定して、
右回りでも左回りでも、位置を表せば A1→B1→C1→A2→B2→C2→・・・と続きます。 Aの右に180度回転したBがいれば Bの右もAです BはAより右で AはそのBより右 BはそのAより右・・・・・ Aの位置、Bの位置に、何周でも「より右」のA、Bがいてもおかしくはないんですが・・・。 >ITEMAEさん
>すみませんが >>私の意見 > > を再度、まとめていただけませんか? No.72で書いているのは二つです。 一つ目(こっちがNo.72のメイン)は 「No.4のコメの例は三段論法ではない」という部分はあってると思う。 です 二つ目は No.56のメインである前半へのコメントが無いが、「特に言うことはない」と解釈していいのか です。
ITEMAE
引用でなく、「それだけ」でわかるよう「再度まとめて」お願いしたいですが・・・
いちいち、引っ張ってくるのに切り取り場所が不正確になりますので。 一つめ
A 10は5より大きい。 B 5は2より大きい。 これが正しいならば、 C 10は2より大きい。 は正しい。 の例は三段論法ではない、という部分 REEさん>そのコメントの内容は結果的には正しいですが、それは三段論法ではありません。 うな丼さん>それは三段論法になっていない。 は、あってると思う。 二つ目 こみのち>…なら…が正しいなら という表現は論理として全く問題ない表現でしょう。 >(A⇒B)⇒C という形になるわけで、確かに「会話」としてはどうかと感じますが「論」としては不自然なところはありません。 >(A⇒B)⇒Cのカッコの位置が分からないような書き方だったら論としてもどうかという話になるんですが、そうでもないみたいですし。 > >「会話」が自然に通じることを重視してもいいかもしれませんが、コメントの後半分を見ると「会話」より「論」を重視してると感じたので。 へのコメントが無いが、「特に言うことはない」と解釈していいのか
ITEMAE
A 10は5より大きい。
B 5は2より大きい。 これが正しいならば、 C 10は2より大きい。 は正しい。 の例は三段論法ではない。 で A 10は5より大きい。 B 5より大きいなら2より大きい。 でなくてはならない。 というのは、 単に、 「AならばB」 「BならばC」が正しいなら 「AならばC」が正しい の、Bのところに「5より大きい」を言葉あてはめしただけ。 だから、日本語として主語述語がないおかしな文章になる。 理論的に比べるのは違うので、 最初の文章を否定することにならない。 A>Bである。 B>Cである。 が正しい →だから、B>Cである、が導けない。 という主張でしょうか。 演繹的に大小関係が明らかであれば、 3つの関係は明確です。 直接2つのものが比べられないときに、間に何か使うのは、古代エジプト以前から使われてきたことです。 (ソクラテス・・・の理論は、それが前提にあって、包含関係のもとで 1「ソクラテスは人間である」 2「すべての人間は死ぬものである」 3「だからソクラテスは死ぬ」を示したもの。) ※「いや、2は【人間ならば死ぬ】でないと三段論法にならない」とクレームつけますか? 「帰納的説明」では 「Aさんも死んだ、Bさんも死んだ、Cさんも死んだ・・・ならDさんも死ぬ」 という理屈だった。 (ガキが「ゲーム買って〜・・・。みんな持ってるもん」というのと同じだな) 「基準が違う」ではなく「基点が違う」
のほうが正しい表現かと思います。 天秤で二つの重い軽いを比較するときに、「AとBを比べてAがBより下になったとき、AはBより重い」と言うことにする。 「AはBより重い」(Aから見て) 「BはCより重い」(Bから見て) これから「AはCより重い」(Aから見て)を導けることが「推移性」です。 基準が違うのは「さっきは下になった方が重い」って言ってたのにいきなり「上になったほうが重い」に変えること、「二つの比較のしかた」を変えることです。 「円卓においてAがBより右側である」とは次のように定義する。 「円卓の中心Oを上から見て、OBから見てOAとのなす角を右回りと左回りで測ったときに、右回りの正の最小角度が左回りの正の最小角度にくらべて大きくないときに、AはBより右側である」と定義する。 任意の二つについて、このような比較のしかたを持ち込んでいるので、比較のしかたは常に共通のはずです。 例えば、途中で「正の最小角度」を「二番目に小さい正の角度」に変えること。 これが基準が違うことにあたります。
ITEMAE
というよりも、
さっきは「空中」で比べた天秤を、 こんどは「水中」で比べた、 というようなものかと思います。 「基点が違う」というのは、 ジョンさんは、グリニッジ天文台を基に地球を「東西」にわけ、 イチローさんは、明石天文台を基に地球を「東西」にわけているようなもの。 マゼランが「西へ西へ向かえば地球を1周する」というような、 地球的にみた「西」のモノサシを使うとか、 「共通の経度」で描いた地図を使うとか、 統一したモノサシをつかわなければ、比較の対象になりません。 >「基準が違う」ではなく「基点が違う」
違いますよ 「Aより」という基点の問題ではありません 「より右」という状態がどうやって決まるか その基準です 「〜は〜より右にある」 「〜は〜より右にある」 という条件がある場合 それぞれの基準の向きが 90度とか180度とか回転していては それぞれの条件の比較はできないと言ったのです 3人でも4人でも円卓につかせるのは自由ですが 「より右」という状態を比較するなら 当然みんな同じ向きを向かせましょう
ITEMAE
>当然みんな同じ向きを向かせましょう
みんな、円卓の「中心」を向いてるとは思うのですが、 だったら「円座標」で表示する統一がほしい、 ・・・ということを上のほうで言っております。 中心から見れば、右→右→右→・・・で一周するはずなんですが・・・。 >78コメントITEMAEさん
> →だから、B>Cである、が導けない。 ※1 > という主張でしょうか。 いえ、そんな主張はしてません。 私が言いたいのは「その推論は三段論法でない」です。 ※2 三段論法でなくても正しい推論はいくらでもあるでしょう。 そのうちの一つです。 調べてみましたが「三段論法外の推理」というらしいです。 ※1 「A>C」のミスだと思われる。 ※2 「その推論」は「A>BかつB>CならばA>C」という推論
ITEMAE
※1 「A>C」のミスだと思われる。
あ、失礼しました。A>C のつもりでした。 >調べてみましたが「三段論法外の推理」というらしいです。 三段論法「以前」の理屈ですかね。 >78コメントITEMAEさん
「三段論法ではないという部分はあってると思う。」 とわざわざ「部分は」と入れてるのに(しかも毎回入れてる)その部分じゃない 「(前略)5より大きいなら2より大きい(後略)」の文を持ってくるのはどうかと。 >※「いや、2は【人間ならば死ぬ】でないと三段論法にならない」とクレームつけますか? 付けませんよ。私は。 それと余裕があれば74の質問にも答えてほしいですね。 「まとめ」はしましたので 何かITEMAEさんは忙しそうなんで、こっちのレスに対しては 「そこはあまり重要なところじゃない」「言う必要はない」 と思うなら(もしくは思う部分は)無視してくれても構いません。 (正確にいえばNo.81のレスにもコメント付ける「義務」は無いんですが) >永久駆動さん
「円卓においてAがBより右側である」とは次のように定義する。 「円卓の中心Oを上から見て、OBから見てOAとのなす角を右回りと左回りで測ったときに、右回りの正の最小角度が左回りの正の最小角度にくらべて大きくないときに、AはBより右側である」と定義する。 で設定したので、右側左側は現実にイメージしやすい言葉だと右回り側左回り側という言葉を使えばいいでしょうか。 中心角を計るので右左はどこを向いているかで決めているのではありません。 どうしても全員同じ方向を向かせたいのであれば、例えば全員一列に並んだ横にドラえもんにどこでもドアを置いてもらって、一番端をどこでもドアで空間的につなげてもらえば円卓の場合と等価になります。 |をどこでもドアだと思っていただいて、 |ABC…Z|↑ A〜Zは等間隔。 みんな矢印の方向を向く。 どこでもドアからA(あるいはZ)までの間隔は各々の間の距離の半分。 これで向きは統一できると思います。 で任意の二点xyで、xから右方向にyを見たときの最短距離をL(xy)、yから右方向にxを見たときの最短距離をL(yx)で表し比較したときに、L(xy)>L(yx)のとき、xはyより右側と言うことにする。 こんな感じになるでしょうか。
ITEMAE
>どうしても全員同じ方向を向かせたいのであれば、例えば全員一列に並んだ横にドラえもんにどこでもドアを置いてもらって、一番端をどこでもドアで空間的につなげてもらえば円卓の場合と等価になります。
地球の「東」端がつながってるわけで、 「東、東・・・へいけば一周」するので、 Aの東にB、Bの東にC、 で、「Aの東にC」も、「Cの東にA」 でも正しいことになります。 >右回り側左回り側
その言葉はいいですね ならば円卓にそって逆時計回りに進んでいけば どこまでも右回り側でいいですよね 右回り右回りでつながっているんですから 途中でいきなり 「ここからはAさん位置からは左回り側になります」 そんな定義が不自然です Aさんの視点での右側という基準と Bさんから右回り側という基準 つまり Aさんの向いてる方向を基準とした左右の領域分割という基準 円卓にそった進行上の右回り側という位置的なつながりの基準 まったく違う2つの基準がそこで混ざっています >ドラえもんにどこでもドアを置いてもらって それは私が前にいった 「三すくみを無理やり作るためのルール」になります じゃんけんの強弱をルールで無理やり決めたのといっしょ 参考例にも例外にもなりません >永久駆動さんへ
>そんな定義が不自然 >ルールを無理矢理決めた 数学では無理矢理成り立たない例を作って、それを反例として挙げればそれで反証になります。 論理的証明のために、現実的におかしいかどうかはとりあえず別にして、前提の範囲内なら無理矢理作ることは考えていいと思います。 数3の話で例えば「右からの極限と左からの極限が一致するとき、関数は連続か?」という命題があったとして、反例に f(x)= x(x≠0) 1(x=0) と無理矢理関数を定義しても反証としてはOKです。 同様にここにおいても、現実的におかしくても、仮定を満たす範囲内で作れるのならそれが論理的反例ではないでしょうか? (今の問題で満たすべきは「AはBよりほにゃらら」「BはCよりほにゃらら」が真となるような「よりほにゃらら」の関係をつくること) 仮定を満たす範囲内でどんなに無理矢理考えてみても成り立たたない。 このとき命題が "きっと常に真であろう" と予想できて、さらにはちゃんとした論理的証明がある、このときに常に真と言えると思うのですが… 今回は「推移性が成り立つ」ことは「常に真」ではないのでは? 無理矢理作れる余地があるんだから「推移性」は前提に必要なのでは? というのが一番最初の疑問です。 …で、今までのように無理矢理な例を作っているので不自然な部分が出てくるかもしれません。 しかしそうして作った定義を「不自然」「参考例にならない」と言われては論理的議論の余地がありません。 確かにおかしくて不自然かもしれませんし、無理矢理な設定かもしれませんが、 現実的におかしいかはとりあえずおいておいて、不自然かもしれないけどそういう設定があると思った上で、真偽はどうなのかを考えて頂ければ、と思うのですが… どこでもドアの代わりに… ブラックホールのような大質量の近くでは空間が歪むため、光をある方向(右→)に飛ばすと逆(→左)から飛んでくるのを観測できることもありえると思います。 こんな場所を想定して上のような話をすればいいのですが、いずれにしても非現実的ではあります… 非現実で無理やりな設定を考えれば
どんな論理も崩壊します 「どこでもドア」や「ブラックホール」などを もちださなければ反例をあげられない時点で 推移性は認められるべきでしょう くりかえしますが 私たちは日常生活の中で数え切れないぐらい同じことをしてます ものさしを使って2つの長さを比べるとかです つまり何かを中において直接比べられない2つを比べてたりします それは我々の知るすべての価値観、評価、条件に推移性が あるから可能です ○まずは三すくみのサイコロについて
もう一度詳しく書きましょう。 正六面体の各面に自然数が一つずつ書かれているものをサイコロと呼ぶことにします。 二つのサイコロを転がしたとき、出た面に書かれている自然数の値が大きいほうを勝ちとします(等しいときは引き分け)。 二つのサイコロA,Bについて、AがBに勝つ確率が1/2より大きいとき、AはBより強いと言うことにします。 この定義はごく自然なもので、どの二つのサイコロについても強いか強くないか判断できますね。 A,B,Cの各面が次のようになっている場合を考えます。 A:4、9、2が2回ずつ B:3、5、7が2回ずつ C:8、1、6が2回ずつ この3つのサイコロについて調べると、 BはAより強く、CはBより強く、AはCより強くなっており三すくみが成立しています。 >三すくみになるように不自然に配置したサイコロの目のはずです と永久駆動さんの反論にありましたが、 考えられるサイコロの目の組み合わせの中から、三すくみになるものを選んで提示しているのですから、その目の配置がある意味特殊なものになるのは当然ですね。 三すくみになるような不自然な配置は認めないというのは、 三すくみになることを認めないと言っているのと同じで全く論理的ではありません。 ○次に戦績によって強い弱いを決めることについて 将棋でもボクシングでも、AさんがBさんより強いという場合、戦績をもとに判断しているとしか思えませんが。 戦績を基準にしないでどうやって判断するというのでしょうか。 仮に何らかの基準があってAさんがBさんより強いと言えたとして、 AさんとBさんが戦ったら100%Aさんが勝つなんて言い切れないでしょう。 ですので、永久駆動さんやITEMAEさんが想定している「強い」という言葉は現実の用法を無視した非現実的なものです。 ○最後に推移性の証明について ボムボムさんが再三要求していることですが、 AがBより強く、BがCより強いならば、AはCより強い ということを論理的に証明してみて下さい。 それができればもう何も言いません。 どんな場合でも成立するとか、反例が非現実的だとか言っているだけでは証明したことにはならないですよ。 >不自然な配置は認めないというのは、
認めないではなく それはじゃんけんのルールと変わりないという事です サイコロはもっと単純にそれぞれグーチョキパーの6面でいいしね A→B B→C という条件で 「C→Aは正しいとします これはルールです」 このようにルールで無理やり決められたらもう論理の進めようが無い じゃんけんとはそういう特殊なシステムです だから参考例とすべきではない >「強い」という言葉は現実の用法を無視、 野球でも将棋でもボクシングでも やる前から結果が決まってるような対戦は普通ありません そんな対戦は見てもおもしろくないからやりません だからどんな競技でも 同じレベルが揃ったリーグをつくって 実力の同じ同士が戦っています だから「AはBより強い」とは普通言えないはずです 逆にいえばどっちが勝つかわからないから 我々も必死で観戦し応援するのです 「より強い」と言い切れるのは やる前から結果がわかるような対戦 掛け率(オッズ)も成立しないような対戦でしょうね ボクシングのチャンプが一般の主婦と戦うとか アリクイ VS アリ とかです 対戦可能という意味では十分現実的な対戦ですよ >AがBより強く、BがCより強いならば、AはCより強い 「強い」を「多い」「長い」「重い」に置き換えれば 正しいといえますね 数字の大小に置き換えれば証明は自明です それならばなぜ「強い」のときだけ違和感を覚えるのでしょう それは一種の錯覚です 上で書いたように普段私たちが見ている試合や対戦は 同じレベルの者同士が勝ったり負けたりするものばかりです だからついこう思ってしまうのです 「AがBより強く、BがCより強い? よっしゃーA対Cで 総当りの仕上げ 最終決戦や!」 「多い」「長い」「重い」は数値で表現できるものを比べている。だから推移性が成り立つと自然に理解できる。
しかし「強い」は数値で表現できるものを比べているとは限らない。 そこに大きな違いがある。 「強さ」そのものについて、
「光の強さ」「音の強さ」「放射能の強さ」・・・などは、数値で表せます。 野球やボクシングの「強さ」は、 「パンチのスピード」「握力」「動体視力」「反射神経」・・・ 複雑な要素をふくんでいます。 だから「野球の強さ」「ボクシングの強さ」の数値化は無理。 (「面積と体積を合計する」ことはできないが、面積も体積も質量も密度も・・・すべてにわたって大きいものを「大きい」と表現することは、間違いではないはず) だから、試合で「勝った」ほうを「強い」といえないわけですが。 すべての要素をふくんで、本当に「強い」のなら、「確実に勝ちます」 (ワタシが白鵬と相撲対決したら、勝ちようがない。・・八百長しても無理かな ) 「勝ったほうを『強い』という」のは、単なる表現であって、 「態度が大きい」「顔が広い」「頭が高い」「肩が重い」「口が軽い」・・・みたいに、何をモノサシにしてるかわからない表現はあります。 だからといって 「大きい」「広い」「高い」「重い」・・・が推移関係かどうかわからん・・・なんていう理屈は通らない。 光、音、放射能、握力、動体視力、パンチスピード、反射神経、etc
の数値化できる「強さ」の関係は推移的 ⇒数値化できないものも含め、すべての「強さ」は推移的 というのは帰納的推論だと考えられますが…? 帰納的推論では前提が真であっても、結論が真であることは保証されていません。 あくまで結論が真であることの確からしさを高めていっているだけであって、「強さ」が推移的である保証はその論証からはいつまでたっても導けないと思います。 円卓の右左(あるいは地球の東西)において。 共通のものさしではなく、一番初めに必要なのは共通の比較のしかたです。 それは硬度のところでモース硬度のような決め方もあることで指摘したつもりです。 ずーっと右回り側で決めていく決め方も一つの決め方ですが、二点比較の決め方をしてもいいはずです。 上で僕が付けた「右回り側左回り側」への否定は、"定義の付け方" を "不自然" と否定しているのであって、「その付け方でも推移性が成り立っている」という否定のしかたではありません。 ですので、結局右回り側左回り側の推移性不成立への反証にはなりません。 「A⇒B」でA(二点比較の決め方)が偽だとしてもB(右回り側左回り側の推移性の不成立)の真偽はわからないということです。 決め方が不自然だとおっしゃられていますが、ずーっと右側に決めていく決め方にも不自然さはあります。 ずーっと二周目以降も右回り側で決めていく決め方だと、AはBより右回り側でもありBはAより右回り側でもあることが成り立ちます。 またA自身はAより右側である、これも成り立ちます。 普通の「よりほにゃらら」とは明らかに異質な関係です。 (Aの握力はBより強く、Bの握力はAより強い、これが同時に起こりえる。 Aの握力はAより真に強い、と言い換えられます) 僕の付け方では、AはBより右側であり、BはAより右側であるは三人等間隔の場合は成立しません。 またAはA自身より右側である、は推移性を捨てたため成立しません。 それから、ずーっと二周目以降も右回りに決めていく決め方だと、 A0°, 360°, 720°, … B120°, 480°, 840°, … C240°, 600°, 960°, … と角度を付けていくことになると思われます。 本来ABC三箇所の位置情報しかなく、三つの情報で済むはずなのに、無限個の情報を割り当てているのも不自然です。 >ずーっと二周目以降も右回り側で決めていく決め方だと、AはBより右回り側でもありBはAより右回り側でもあることが成り立ちます。
(再) ちゃんとモノサシとして、座標を設定して、 右回りでも左回りでも、位置を表せば A1→B1→C1→A2→B2→C2→・・・と続きます。 円の座標で0度、360度、−360度は、「同じところにある」点ではありますが。 A1→B1→C1→A2→B2→C2→・・ のうち、「3点」をとって、 「Ax→By 」であり、 「By→Cz 」であるならば、 どういうとり方であっても、 「Ax→Cz 」は成り立ちます。 >「右回り側左回り側」への否定は、"定義の付け方" を "不自然" と否定しているのであって
>「その付け方でも推移性が成り立っている」という否定のしかたではありません 私は書いたのはこうです >Aさんの向いてる方向を基準とした左右の領域分割という基準 >円卓にそった進行上の右回り側という位置的なつながりの基準 >まったく違う2つの基準がそこで混ざっています 同じ「右側」という言い方をしているけど そこにはまったく違う2つの意味がごっちゃになっている それでは各条件の比較はできないと言ったのです AはBより強い(ボクシングで) BはCより強い(雑学クイズで) つまりこれと同じです 「AはBの右回り側」という意味を 円卓に沿った右回り側という位置のつながり その1つの基準に統一すればもちろん推移的ですね >普通の「よりほにゃらら」とは明らかに異質な関係です。 いいえ これは単に位置関係です Aの持つ形質「強い」「硬い」「美しい」「優しい」を比較した場合なら 「AはAよりほにゃらら」はありえません 同じところをぐるぐる回るルート上でそれぞれの位置関係を 定義しようとしたんですから もうその時点ですべての位置関係が2重3重・・・・何重にも 複合するのは当然です ただそれだけの話 推移性も否定されません こちらは永久駆動さんへ
○三すくみのサイコロについて >それはじゃんけんのルールと変わりないという事です >サイコロはもっと単純にそれぞれグーチョキパーの6面でいいしね 今度は複雑な例は認めないと言うおつもりですか?論理的ではありませんね。 >A→B B→C という条件で >「C→Aは正しいとします これはルールです」 >このようにルールで無理やり決められたらもう論理の進めようが無い 私が書いた「強い」の定義のどこに、このようなルールが書かれているのでしょうか。 結果的に三すくみになるものは無理やりルールを決めているのだから認められない、 という意味のない主張をされているだけのように思えます。 ITEMAEさんがグー、チョキ、パーの強さについて、 > 強さのモノサシを「折った指の数」で表してみました。 > 5>3>0 ですから、5>0はもちろん正しい。 と書いておられましたが、こちらの方が無理やりだと思いますね。 ○推移性の証明について >「強い」を「多い」「長い」「重い」に置き換えれば >正しいといえますね >数字の大小に置き換えれば証明は自明です もちろん、「強い」ということを「強さ」という数値に置き換えることができるのであれば、 推移性が成り立つことは認めます。 しかし、私の挙げている例では、数値に置き換えることができないのは明らかですね。 ですから、「数字の大小に置き換えれば」と言われても納得できるはずがありません。 「数字の大小に置き換えることができる」ということを論理的に証明して下さい。 ○「強い」という言葉について 永久駆動さんの書いていることは矛盾しているように思います。 「強い」「弱い」を数値に置き換えることができるのであれば、いつでも強いか弱いか言い切れるはずです。 強さ129の人は強さ128の人に100%勝つということになりますね。 ところが、 >「より強い」と言い切れるのは >やる前から結果がわかるような対戦 >掛け率(オッズ)も成立しないような対戦でしょうね と、自ら比較できない場合があることを述べています。 これはどういうことなのでしょうか? --- ITEMAEさんのコメントについても追記しておきます。 「強い」が数値化できない場合があるということは、ご理解いただけているようでよかったです。 であれば、推移性を満たすことは自明ではない、ということもご理解いただけると思います。 >だから、試合で「勝った」ほうを「強い」といえないわけですが。 >すべての要素をふくんで、本当に「強い」のなら、「確実に勝ちます」 つまり、確実に勝つ場合にしか「強い」という言葉を使ってはいけないというわけですね。 そうなると「強い」という言葉を使える場面はごく限られたものになってしまいますね。 自分の都合のいいように言葉の意味を限定しては議論になりません。 >「大小関係」が、その時々の設定で決まらない、ということだと、 >そもそもの理論自体がつくれなくなります。 >何を証明するにも、「その前提は・・・かもしれない」 >(三角形の面積をいうのに、「辺は曲線でもいいように設定されることがあるかもしれない」とか。) 理論というのは、公理と定義から論理法則によって導くことができるものをいうのです。 三角形には「同一直線上にない3点と、それらを結ぶ3つの線分からなる多角形」という定義がありますが、 今回は前提となる定義がはっきりしていないので色々考えているのです。 じゃんけんのことを考えないのであれば、 グー、チョキ、パーの間の強い、弱いの関係がどう定義されているのか全く明らかではありません。 折った指の数で強さを決めるというのが、唯一考えられる定義だというつもりはないですよね? 他にも色々と定義が考えられますが、そのすべてにおいて成立することを証明して初めて正しいと言えるのです。 一つでも成立しない例があれば、正しくないというしかありません。 >つまり、確実に勝つ場合にしか「強い」という言葉を使ってはいけないというわけですね。
そのとおりです。 「強いものが勝つ」「勝つほうが強い」という前提に立つ以上、(そういう人は、) 「強いけれど負けることもある」は成り立ちません。 もちろん、そういう前提でなければ、自由ですが。 (「…巨人はロッテより弱い、と思ったが、そうではなかった」。日本シリーズ最終戦でKOされた「加藤哲」の反省です) 数値化できなくても、明白に一方向に推移することはあります。 一方向に推移しなければ、数値化できない、 からといって 数値化できないから推移しない、という「逆」の理論にはつながりません。 「硬度」が数値化できないものであって、 「直接の硬さ比べ」で設定するものであっても、 比べ方に一定の基準があって、常に硬さの差が明らかであれば、「硬度」の表は作れます。 「硬度」という言葉がある時点で、推移系が前提になっています。 「三すくみ」みたいなことは起こりえない。 もちろん、「ぶつけて傷つかなかったものが硬い」 というような、いいかげんな条件設定では、 「窓ガラスよりソフトボールのほうが硬い」ということはあります。 こういうのは「硬度」の基準にならんでしょう。 同じ「磁鉄鉱」でも、産地によって成分が違うから、 「磁鉄鉱の硬度」といったら、きちっとしたものにはならないと思いますが、 (ほぼ・・・のレベルで集団になってる?) 硬度表で差がつくような鉱物なら、ちゃんとした差があるでしょう。 (私は知りませんが、引用したボムボムさんはご存じでしょう。) >結果的に三すくみになるものは無理やりルールを決めているのだから認められない、
>という意味のない主張をされているだけのように思えます。 位置関係の条件が与えられていてそこから位置を推測しようとする場合に 「どこでもドア」や「ワープトンネル」がでてきたら もう推論もなにもあったものじゃないでしょ そう思いませんか? じゃんけんという特異なゲームの中だけにある ルール上の強弱関係もそのくらい反則技だと言っています そんなのを一般例みたいに持ち出すのは反則です 私は「強さ」が数値に置き換えることができるとは言ってません 「強さ」と同じように数値にできない「美しさ」「優しさ」「幸せ」なども きちんと基準を定めれば推移的だと思います >「強い」「弱い」を数値に置き換えることができるのであれば 私はそう言っていませんが >いつでも強いか弱いか言い切れるはずです。 >強さ129の人は強さ128の人に100%勝つということになりますね。 もし強さをどうしても数値で表すとするなら 129と128では数値的にあまり変わりませんね 「強さのランク レベル129」と「強さのランク レベル128」 こんな感じのほうがいいかなカッコいいし そしてレベルが異なる2者は 試合をしなくても結果がわかるほどの実力差がある そういうふうに「強さのランク」を定義すればいい 私たちがいつも見ている将棋、野球、ボクシングなどは みな「同じ強さのランク」の中での戦いとなります >グー、チョキ、パーの間の強い、弱いの関係がどう定義されているのか全く明らかではありません。
>他にも色々と定義が考えられますが、そのすべてにおいて成立することを証明して初めて正しいと言えるのです。 何の定義であっても、「ちゃんとした基準」で「強い」が規定されていれば、 「すべての定義」を持ち出す必要はありません。 「〜よりほにゃらら」でも、理屈としてOK。 >一つでも成立しない例があれば 「成立しないような定義」のほうに無理があるのです。 永久駆動さんへ
○三すくみのサイコロについて >位置関係の条件が与えられていてそこから位置を推測しようとする場合に >「どこでもドア」や「ワープトンネル」がでてきたら >もう推論もなにもあったものじゃないでしょ >じゃんけんという特異なゲームの中だけにある >ルール上の強弱関係もそのくらい反則技だと言っています 私が書いたサイコロの「強い」という定義の中に、じゃんけんを示唆するような無理なルールは書かれていないでしょう。 私が書いた定義に無理があるというのなら、どこに無理があるのか具体的に指摘していただけますか。 (私自身はじゃんけんのルールに無理があるとは思っていませんが、現時点ではそれについては論じないことにします) ○推移性の証明について No.88より >「強い」を「多い」「長い」「重い」に置き換えれば >正しいといえますね >数字の大小に置き換えれば証明は自明です No.96より >私は「強さ」が数値に置き換えることができるとは言ってません >「強さ」と同じように数値にできない「美しさ」「優しさ」「幸せ」なども >きちんと基準を定めれば推移的だと思います どちらも永久駆動さんが書かれたことですが、明らかに矛盾していますね。 推移性を証明して下さいと言ったところ、数字に置き換えれば自明、と言われ、 それなら、数字に置き換えられることを証明して下さい、と言ったら、 そんなことは言っていないと言われたわけです。 結局証明できておらず、「推移的だと思います」と言っているだけです。 推移性を満たすことを論理的に証明して下さい。 それから、「強い」と「強さ」は大事なところですから、しっかり区別して下さい。 「強さ」を数値で表すことができるかどうかという話しはしていません。 「強い」「弱い」という関係を数値の大小関係に置き換えることができるかどうか、ということです。 ITEMAEさんへ >数値化できなくても、明白に一方向に推移することはあります。 >一方向に推移しなければ、数値化できない、 >からといって >数値化できないから推移しない、という「逆」の理論にはつながりません。 「数値化できないから推移しない」とは言っていません。 「数値化できない場合もあるので、推移性は明らかではない」 と言っているのです。全然意味が違います。 明らかではないので、証明して下さいと言っているのです。 >「成立しないような定義」のほうに無理があるのです。 成立するような定義しか認めないのであれば、成立するのは当然です。 「成立するから成立するんだー」と言っているのと同じです。 「成立しないような定義に無理がある」と言いたいのであれば、 「無理がある」という言葉の意味をはっきりさせた上で、 考えられるすべての「成立しないような定義」について「無理がある」ことを証明しなくてはいけません。 >「数値化できないから推移しない」とは言っていません。
>「数値化できない場合もあるので、推移性は明らかではない」 数値化できるものは、当然、推移系である。が、 「数値化できない」なら「推移系」でない、というのでなければ、 なぜ、 「数値化できない場合もあるので、推移性は明らかではない」 をわざわざ持ち出したのか、理由がない。 「数値化できない場合もあるので、推移性は明らかではない」の「対偶」は、 「推移性が明らかなものは、数値化できない場合がない」 ですので、「数値化できなくても、推移性が明らか」なものを一つ反例にあげたのですが。 >基準を定めなければ推移的とは限らないという解釈でOK?
基準がなければ、 ヒツジよりキリンが長い(首が) キリンより象が長い(鼻が) 象よりヒツジが長い(毛が) 何でもアリになってしまう。 いはら さんへ
矛盾したことは言ってませんよ 「多い」「長い」「重い」は「数字の大小に置き換えれられる」 そして「その推移性は疑われない」 その後なぜ「強さの推移性は疑われるのか」という 話に続けています 文字数節約のため文章がやや飛躍した構成になった事 はお詫びします さて「三すくみサイコロ」の問題点は 「恣意的な目の配置」の問題もありますが 「勝率をもって強いとしている事」がまずダメです 私は何度も昨シーズンの巨人・阪神・広島は 三すくみではなく三すくみを思わせる結果にすぎないといいました 論理的な条件として 「ネズミはオオカミより強い」とあれば これは戦績78勝48敗で「強い」という意味ではありません 勝率6割5分で「強い」という意味ではありません もっと絶対的なものさしによる「強い」を意味します そうじゃないと他の条件と比較しようがないんです 3つのサイコロをそれぞれ転がして 「さあ勝負」とやるとそれぞれ勝ったり負けたりする 確かに目の恣意的な偏りで対戦勝率は 「三すくみ」的なものになります 野球チームの成績と同じです 「勝率」をもって「より強い」と定義されています 「三すくみサイコロシステム」では 「勝率が上を強いと決めた」のですから それはそれでかまいません でもそんな勝ったり負けたりのばたばたした「より強い」は 論理的条件にある「より強い」とは別物なのです だからそこから導かれた強弱関係は 論理的推論における反証にはなりません >でもそんな勝ったり負けたりのばたばたした「より強い」は
>論理的条件にある「より強い」とは別物なのです どこにそんな定義が? そもそも AはBより強い→AはBに必ず勝つ なんて誰が決めたんでしょう? ↑
>AはBより強い→AはBに必ず勝つ なんて誰が決めたんでしょう? 誰も決めてません。 >>37 あたりから、そういう「定義をしたら・・」という話が始まっています。 (なので、本当に「勝ち負け」が「強弱」で決まるのならば、 「強い」ものが「常に勝つ」でないとおかしい、ということになってます 「勝ったり負けたり」、では、「強かったり弱かったり」ですから) この出題では、 「強い」と「勝つ」は 別物です。(「勝つ」とはひと言も書いてない) 「じゃんけんルール」においては、 (>>44 参照) 「グーはチョキに勝つ」であり、「グーはチョキより強い」ではありません。 したがって、 「グーはチョキより強い」は正しい、 の前提は、単に、 (強←・・グー・・・チョキ・・→弱)の関係 を意味するだけだ、いうことだと説明しているのですが、 納得していただけない方がいる、という流れです。 ちなみにボムボムさん。「予想クイズ」で、
「北海道の予想」ですが、 「道大会」の前に「支部大会」があるので、開会が早くなるのに気づきませんでした。 申し訳ありません。 >AはBより強い→AはBに必ず勝つ なんて誰が決めたんでしょう?
そうは言っていません AとBとの対戦成績だけを根拠に 「AはBより強い」とは言えない場合が多いと思います 例1 A と B 戦績 501勝499敗 「AはBより強いといえますか?」 例2 A と B プロ戦績501勝499敗 ただし アマ時代を含めると 501勝502敗 「AとB より強いのはどちらですか?」 例3 A と B 501勝499敗 ただし 最近の100戦はBの100連勝 「AはBより強いといえますか?」 勝ったり負けたりする対戦成績はあくまで目安 多くの場合それだけをもって「AはBより強い」と いう比較条件にするのは妥当ではない だから「三すくみ」みたいなおかしな現象がおきます 「ネズミはオオカミより強い」といった場合 必ず勝つではなく ただ明確な基準があるべきです それを平易な言い方をするなら 「かなりの実力差」「圧倒的な力の差」 となると私は思います
ITEMAE
「かなりの実力差」「圧倒的な力の差」が、「どれだけ」かというと、 主観がはいると思いますが、
絶対に勝てるだけの「理由」が必要ですね。 何をモノサシにするかも含め。 推移性の証明の話ですが
やはり不可能に近いですかね 反証は反例を1つ挙げればいいけど 証明となるとあらゆる可能性をつぶさなければならない 例えば位置的推移性となると まず「空間はどこまでも連続性があるのか」 という問題にぶつかります 同様に 「時間はどこまでも連続性があるのか」 も難しい 形質の推移性も 例えば「より美しい」「より美しい」「より美しい」・・・・ と美しさを追求していく するといつか「神に等しい美しさ」とか 「美しいという意義の本質そのもの」とか なにか美しさの究極形があるかもしれない それはもしかしたら神学や哲学の話なのかな ITEMAEさんへ
>数値化できるものは、当然、推移系である。が、 >「数値化できない」なら「推移系」でない、というのでなければ、 > なぜ、 >「数値化できない場合もあるので、推移性は明らかではない」 >をわざわざ持ち出したのか、理由がない。 >「数値化できない場合もあるので、推移性は明らかではない」の「対偶」は、 > 「推移性が明らかなものは、数値化できない場合がない」 >ですので、「数値化できなくても、推移性が明らか」なものを一つ反例にあげたのですが。 推移性の証明をして下さいと言ったところ、数値化できるので推移性は明らか、 と言われたのだと思ったのです。 数値化できない場合もありますから推移性は明らかではありませんね、と反論したのです。 「数値化できなくても、推移性が明らか」なものの例を挙げられてもそれは証明にはなりません。 推移性を証明するためには、数値化できない場合も含めて、あらゆる場合に成立することを証明する必要があるのです。 永久駆動さんへ >「勝率をもって強いとしている事」がまずダメです 勝率が高い方を「強い」というのは普通だと思いますが。 >「より強い」と言い切れるのは >やる前から結果がわかるような対戦 >掛け率(オッズ)も成立しないような対戦でしょうね >ボクシングのチャンプが一般の主婦と戦うとか >アリクイ VS アリ とかです 私達はこんな特殊な場合にしか「強い」という言葉を使わないわけではありませんね。 どちらか強いのかよく分からないから、実際に戦って決めようということになるわけです。 そして、勝った方が強いというのはごく普通の言葉の使い方です。 勝率が高い方が強い、過去に多く勝っている方が強いというように「強い」という言葉を使っています。 永久駆動さんやITEMAEさんの言うところの「強い」は定義の一つではありますが、すべてではないのです。 じゃんけんで勝つ方を「強い」ということにする、というのも定義の一つなのです。 実際「グーとチョキはどっちが強い?」といきなり質問されたら、 普通の人はじゃんけんのことを考えて「グーの方が強い」と答えるでしょう。 定義の仕方によっては「大きい」「小さい」でも数値化できないことはありますし、推移律を満たさないこともあるのです。 「より大きい」「より小さい」は単なる二項関係であって、推移律などの性質は含んでいないのです。 例えば、次の例を考えてみましょう。 1.「xはyより大きい」 2.「yはzより大きい」 これが正しいならば、 3.「xはzより大きい」は正しい x,y,zが実数であると書かれていれば、これが正しいことは認めます。 それは、私たちが普段使っている言葉の使い方と一致しているからです。 ここで使われている「大きい」という言葉は実数の大小関係のことだということが明らかだからです。 しかし、x,y,zがグー、チョキ、パーであったり、クイズ、ネズミ、北海道だったりした場合、 「大きい」という言葉がどういう意味で使われているのか分かりません。 どのような定義を考えても、無理やりそう決めたことになります。 それを、推移律を満たさないものだけ無理があるとするのは不公平です。
ITEMAE
>定義の仕方によっては「大きい」「小さい」でも数値化できないことはありますし、推移律を満たさないこともあるのです。
そもそも、「大きさ」というものが推移する前提があるからこそ、 いろんなものの「大きさ」を表す単位が生まれてるわけで、 あえて「特殊な定義」をせずに「大きい小さい」をいえば、推移するのが当然。 証明しなければ単位が成立しないようでは、 「5L」と「10L」の大小でさえも「比べられるかどうかわからない」 ことになります。 >「大きい」という言葉がどういう意味で使われているのか分かりません。 どう使われてるかはともかく、 「・・・大きい・・は正しい」と断言できるなら、 ちゃんとした基準での大小関係がはっきりしてるのが前提。 >無理やりそう決めたことになります というような大小関係を「正しい」とは言えませんね。 >推移するのが当然
そうであっても命題として「証明」できないのであれば、前提に明記しておく必要があると思います。 実生活で「大きい小さいの推移性」が成り立っているだろうと思っても、命題の証明の中での「大きい小さい」の推移性の成立は「?」がスタートの段階のはずです。 大小関係は推移性を成り立つものと思っているが、どうも証明できそうにない。 だから公理で設定して、推移性を証明に利用できるようにしているのだと思います。 何か別の学問でも、証明の根本に推移性が必要だが証明できない場合は、問題の初めに 「〜の関係は推移性を満たすと仮定する」 という一文が入っていると思います。
ITEMAE
>「大きい小さい」の推移性の成立は「?」がスタートの段階のはずです
推移的でない「大小関係」があったとしたら、 その場合は、「・・・のほうが大きい」 は、正しい という前提が壊れます (どっちの味方か分からなくなるけど、外れた主張を正すべく)
・強さと勝敗の関係 「勝敗は強さだけでは決まらない。」 そう考えれば、永久駆動さんのように無理に強さを離散的にする必要はない。 スポーツのリーグ戦でも、きっと各チームに強さはあり、おそらく異なる強さであるはず。 実際のスポーツ勝負ではその強さ(これ自体もきっと時間の経過で変動する)に不確定要素(相性、天候、運など)が加わって勝敗が決まるので、強い方が必ず勝つとは限らない。プロチーム同士では勝敗が拮抗し、プロ対アマで勝敗が偏るのは、強さの差が違うから。 3すくみサイコロの強さは実は数値で表せて、それは期待値を使って表現するのが適当。 例の3つは期待値が同じ5なので、強さも同じとみていいでしょう。 同じ強さでも相手によって勝率が偏るのは、そこに相性があるから。 じゃんけんも同じで、結局「勝敗の3すくみは相性」と考えれば、3すくみは強さを推移的とみることの反例にならない。 さて、反例を崩したところでゴールが見えなくなった。 強さと勝敗 たまごとにわとり
ITEMAE
>外れた主張を正すべく
が、外れていってますね。 >3すくみサイコロの強さは実は数値で表せて、それは期待値を使って表現するのが適当。 目の出る数字と賭けの期待値は数値化できても、それが「さいころの強さ」 とはいえません。 いはら さんへ
>勝率が高い方を「強い」というのは普通だと思いますが。 それではNo.107で私が書いた例123について 「より強い」という判断できるのか それを教えてください 例123で「より強い」という判断ができないのであれば それは勝率100%のような極端な場合を除いて 対戦成績を根拠に 「AはBより強い」という判断はできない事を意味すると思いますが いかがでしょうか? >推移的でない「大小関係」があったとしたら、
>その場合は、「・・・のほうが大きい」 は、正しい という前提が壊れます 「3より5のほうが大きい」などのような前提、ということでしょうか? 推移的でなくても、この前提は別に壊れないと思いますが、どうして壊れるのでしょうか?
ITEMAE
・・・の時には成立するが、・・・の時には成立しない、ような関係の場合は、
・・・・・が 正しい、 に当てはまらない。 ということです。 早く言えば、 「・・・より・・・が強い」が、いろんな言い方があるとしても、 「・・・より・・・が強い、 は正しい」と断定した前提では、 「推移的でない強弱関係」みたいな、 (何を強さの基準にしてるかわからない)いいかげんな「強さ」はアウト。 そんなのは「正しくない強さ」 永久駆動さんへ
No.107の例1,2,3について。 すべての場合において、AとBのどちらが強いのか強くないのか判断することが可能です。 どちらが強いというのかは、使うデータ次第です。 戦績、勝率を使って強い弱いをいう場合、それは統計的、確率的なものですから、 使用するデータによって強い弱いが変わることがあるのは当然であり、何の問題もないと思います。 REEさんへ
>3すくみサイコロの強さは実は数値で表せて、それは期待値を使って表現するのが適当。 >例の3つは期待値が同じ5なので、強さも同じとみていいでしょう。 >同じ強さでも相手によって勝率が偏るのは、そこに相性があるから。 それは期待値を使って「強い」「弱い」を定義したらそうなるというだけのことです。 定義の一例を挙げているだけであり、私の提示した定義を否定するものではありません。 色々な定義が考えられますが、どのような定義においても推移性を満たさない限り、 推移性を満たすとはいえません。 ですので、三すくみのサイコロは立派に反例となっていると思います。 --- ↓REEさんへ はい。そのとおりだと思います(ここからで失礼します)。
ITEMAE
サイコロ自身に「期待値」があるわけでないので、
「サイコロの強さ」とはいえません。 (目の出方を、どういうふうに「強さ」と言うのが 正しい のかどうか?) たとえば「影の大きさ」「態度の大きさ」・・など、条件次第で何でも定義できるけど、 「大小関係は、定義によって例外があるから推移でない」 というようなもの。 >いはらさん
論理的意味の曖昧な「強い」という日本語がベースになっている時点で、 論理的に推移性は導けないってことでいいんでしょうかね? いはらさんへ
>すべての場合においてAとBのどちらが強いのか強くないのか判断することが可能です。 つまり例123すべてで「AはBより強い」がいえるとお考えですか? じゃあもっとわかりやすく説明します 「AはBより長い」 いやーぶっちゃけ言っちゃいますと AもBも伸び縮みしてるから 長さをきちんと比べられなかったんですね でもストップウォッチ使って計ってみたら Aが長くなってる時間のほうが多かったので まあAはBより長いとしておいたんですよハハハハ こんなぐずぐずの「AはBより長い」は 比較条件になりませんよね 「AはBより強い」 AとBは最近ずっと勝ったり負けたりですね でもまあトータルだと Aのほうがいくつか勝ち越してますから AはBより強いでいいんじゃないですかねー多分 同じなのがわかりますか これもまったく比較条件になりません 普通の会話の中で 対戦成績をもとに「より強い」「より弱い」を言うのは ご自由にどうぞ しかし論理条件として 「ネズミはオオカミより強い」とあれば それは厳然で確固とした強弱関係を意味することになります そうでなければ 他の強弱関係を推論する材料にはなりえません 勝ったり負けたりやれ判定勝ちだやれ時間切れ引き分けだ そんなぐずぐずの強弱関係とは性質が違います アリクイ VS アリ は「対戦」でも「試合」でもありません ただの「食事」です そこには「対戦成績」も「勝率」もない 実に明確でわかりやすい「より強い」ですね 永久駆動さんへ
>こんなぐずぐずの「AはBより長い」は >比較条件になりませんよね なります。 長さの平均値をその物体の「長さ」だと定義して、 その「長さ」をもとに「長い」「短い」ということにしたとすれば、立派な定義です。 もちろん、こう決めなければいけないということはありませんが、 こう決めれば比較できるということです。 これは自然な言葉の使い方ではありませんが、「強い」の方は自然ですから問題ないでしょう。 例えば、 過去一年の戦績で比較するとBはAより強いといえます。 過去一ヶ月の戦績で比較するとAはBより強いといえます。 両者は強い弱いを判断するのに使っているデータが異なるわけですから、 「強い」の定義が異なっているわけです。 定義が異なれば判定が異なるのも不思議なことではありません。 定義が異なるものの判定を一緒に考えようとするのでおかしなことになるのです。 >しかし論理条件として >「ネズミはオオカミより強い」とあれば >それは厳然で確固とした強弱関係を意味することになります >そうでなければ >他の強弱関係を推論する材料にはなりえません どうして、他の強弱関係を推論する材料にならないといけないのでしょうか。 材料になっていないので、注意書きをつけるなどの配慮が必要なのです。 永久駆動さんが主張しているのは、 「論理パズルであれば、書かれていることが他の強弱関係を推論する材料になっているはず」 ということですが、 「書かれていることが他の強弱関係を推論する材料になっていないので、論理パズルとして成立していない」 というのが正しいです。 論理パズルとして出題されているからといって、論理パズルとして成立している保証はありません。 >アリクイ VS アリ は「対戦」でも「試合」でもありません >ただの「食事」です >そこには「対戦成績」も「勝率」もない >実に明確でわかりやすい「より強い」ですね AはBを食べ、BはCを食べ、CはAを食べるという捕食関係があったらどうするのでしょう。 私はこのような例を知りませんが、絶対にないと言い切ることはできませんね。 つまり三すくみを否定できないということです。 強弱の定義(基準)が問題文にはないので、
特定の何かを使って比較したのではなく、 グーの全ての要素とチョキの全ての要素を比べて、 総合的にグーが強いってことかな? であれば、 強い>グー>チョキ>パー>弱い は、変わらないし、三つ巴関係でもないので、 「正しい」という本解は正しい こういうことかな? (全ての要素=ある期間での成績とか 足が速いとか泳ぐのが速いとかの 特定のじゃない、そのものの全て)
ITEMAE
特定の条件を設定してもいいんですが、
その比較条件のもとでは、それがなりたつ、 ということです。 (総合的に強いかどうかは、別) たとえば、「プラスチックの強度」で、 「耐熱」強度なのか、 「耐紫外線」強度なのか、 「耐圧縮」強度なのかは問いませんが、 AとBを比べるときは「熱」で、BとCを比べるときは「圧縮」 ・・では、基準が違うので「3者比較」にならないということです。 >「・・・より・・・が強い、 は正しい」と断定した前提では、
>「推移的でない強弱関係」みたいな、 >(何を強さの基準にしてるかわからない)いいかげんな「強さ」はアウト。 「AはBより強い」「BはCより強い」と言えるような「基準」=二つを比較する「比較のしかた」が共通していればいいので、推移性までは必要ないのでは? 「いいかげんでない」ような強さの比較方法に推移律を満たさないものがないと言い切れるのかがポイントです。 結局この問題の「強い」が推移律を満たすものしか考えなくていい、という理由がまだ不明です。 もしITEMAEさんが「そのように設定した」のであれば問題文に必要です。 そうでなはなく何かしらの論証によって「 "強い"(注:共通の比較のしかたを適用すること) は推移律を満たす」という命題を証明できるのであれば、僕はそれを知りたいのです。
ITEMAE
べつに「推移系」でなくても
(ボムボムさんが引用した「硬度」でもかまわない) 「きっちりした基準」で 強い、弱い、が決められるものであれば、 (それを、正しい、と言い切るなら) グー >> チョキ >>パー の順は成り立つはずです。 「推移率を満たす証明」などを言い出したら「大きさ」でも証明できません。 「公理」だろうが「公理」であるまいが、 ・・・が正しい、 という前提がある以上、 途中で逆転するようなことはありえない。 いはら さんへ
>AはBを食べ、BはCを食べ、CはAを食べるという捕食関係 そんな捕食関係はありません (別な理由で死んだ死体を食べるのは捕食ではありませんよ) >>比較条件になりませんよね >なります。 「AはBより長い」としながら タイミングによってはBはAより長いんですよ そんな場合を認めちゃうんですか?本当に? 勝率で「強い」を決める場合も同じです 「AはBより強い」としていても 昨日の試合でBがAに勝っていたりします だからそんな「長い」「強い」を いはらさん自身がお使いになるのはご自由にどうぞ でもそれを論理に場に持ち込むのは勘弁してください 論理すべてが崩壊します >「書かれていることが他の強弱関係を推論する材料になっていないので、 >論理パズルとして成立していない」 論理条件として示されてる条件ですよ それは論理的推論のために示されているんです 論理的条件として示された条件に対して 論理的条件ではないと考えられるとして否定するとするなら それはもう否定のための否定ではないでしょうか? まず「論理の問題」であることは前提とておさえましょう 「AはBより強い」は論理条件であることは前提としておさえましょう そこからがスタートです そこから 「論理に齟齬があるかないか」 「論理に矛盾があるかないか」 「論理に誤謬があるかないか」 それを議論しませんか?
ITEMAE
>「AはBより強い」は論理条件であることは前提としておさえましょう
いちおう、出題でも、「・・より・・が強い」 が正しい、 というのが前提ですので、それでおねがいしたいです。 (「前提」だから、それを証明しろというのはお門違いで… ) > 「きっちりした基準」で 強い、弱い、が決められるものであれば、
> (それを、正しい、と言い切るなら) > グー >> チョキ >>パー の順は成り立つはずです。 推移律が成り立つなら、その結論も成り立ちます。 >・・・が正しい、 という前提がある以上、 >途中で逆転するようなことはありえない。 どのような関係の付け方でも(いいかげんであろうと、いいかげんでなかろうと)「A>B」「B>C」の前提が逆転することはありえず、正しい前提ですが、「A>C or A<C?」は推移律無しの状態では判定不可能です。 推移律がなりたっておらず、「A>B」「B>C」だけど「A<C」の関係だったとしても、前提が偽になるようなことはありません。 前提を正しいものにするのに推移律は不必要です。 これとは違って 「5は3より大きい」「3より大きいものは0より大きい」 の場合は、後者の前提に推移律のような意味が含まれますので、「5は0より大きい」が推移律の仮定の有無にかかわらず正しくなります。 (大小関係の推移律の証明) 実数や自然数の大小は別の公理から証明可能な定理のようです。集合の包含関係についても別の公理から証明可能なので定理です。(実数:デデキント切断+集合の包含関係?、自然数:ペアノの公理?) 複素数についても大小関係を入れることは可能で、適当な大小関係の付け方によっては、推移律の成立も証明可能でしょう。 しかし複素数において大小関係をつけても、複素数での演算との関係から有用性がないと思われますが…
ITEMAE
>推移律が成り立つなら、その結論も成り立ちます。
ボムボムさんが例にあげた「硬度」は、 推移系でないけれど、 きっちりした基準で硬度として定められているから、 硬度3の鉱物と、硬度5の鉱物と、硬度9の鉱物で、順番がいれかわったりしない。 これは、基準として「正しい」ものを用いているからで、 順番が入れ替わるような「基準」が何なのか? ということを考えれば、 それは「正しくない」ものを「基準」にしてる以外にありえない、ということです。 途中で基準が変わったり、あやふやなものだったり、こじ付けだったり。 何をもって正しい、というかといえば、 正しいの条件をわざわざ入れなければ、理論的に正しい、しかありえん・・。 いはら さんへ もっとわかりやすい説明
「AはBより長い」 (でも計測のタイミングによってはBのほうが長いです) 「AはBより強い」 (でも対戦すれば4割の確率でBが勝ちます) こうやって書くと 確率とか期待値の考え方は 論理条件として妥当でないことは明白だと思います いはら さんは「長い」「強い」の定義次第なので 期待値や確率を含んだ定義を考えてもいいはずだといわれる 根本的なところでずれているようです 第一条件が 「AはBより長い」だとします そこがまず出発点なのに 「より長い」の定義次第、解釈次第で 「AよりBのほうが長い」場合が起きるという それはただその定義・その解釈が間違っているんです 論理とは厳然確固とした条件を 堅固に積み重ねて築いていくもの それなのに 確率や期待値などの異質な概念をもちこんだため 事象認識が限りなく希薄になってしまった つまり「これは絶対の絶対の絶対だよ」のはずだった条件が ぶれてぶれてぼけてぼけて煙みたいになっちゃった だから「計測のタイミングによってはAよりBのほうが長い」とか そんな馬鹿げたことになる 積み上げていくべきブロックを 形が似ているという理由で 豆腐やこんにゃくに勝手に変えてはいけません 「勝率による強さ」とか「期待値による長さ」は ただの四角い豆腐です そんなものを積み上げるのは不可能です 論理条件として与えられたブロックを どこに積めば次のブロックが乗せられるか それを考えるのが論理の問題です 少し前に出ていましたが「チョキは、パーより強い。」を正確に書くならば「チョキより強いならば、パーより強い」(・・・@)になりますよね。これと「グーは、チョキより強い。」(・・・A)の二つが正しいならば確かに「グーは、パーより強い。」(・・・B)が成り立ちます。ですが、本当に正しいのでしょうか。 Aが成り立つのは当然ですよね。それがジャンケンですし。では@はどうでしょう。 <証明> 仮定:チョキより強い(あえて付け足すならば「自分が出した手が」) 結論:パーより強い(上にあわせて言い換えると「パーに勝つ」) グーがチョキより強いのは明らかである。しかしグーはパーより強くない(パーに勝てない)。よって@は誤りである。 <証明終> 「反例」を使って証明しました。つまり、そもそも「チョキより強いならば、パーより強い」という仮定が間違っていた、ということです。 あ、答え見ていませんでした。なんか場違いなことかいてしまってすいません >ですが、本当に正しいのでしょうか。
出題では「正しい」ならば、 ですから、文句なしに「正しい」でなくては、意味がありません。 (「人を殺したら、殺人罪である」に対して、「本当に人を殺してるんでしょうか?」は かみ合いません。 「Aさんは、本当に殺したんでしょうか?」は、裁判ではありますが。) おまけで、 >「チョキは、パーより強い。」を正確に書くならば「チョキより強いならば、パーより強い」(・・・@)になりますよね 「正確に」書くならば、主語述語のある文章でお願いします。 永久駆動さんへ
詳しい説明をありがとうございます >>AはBを食べ、BはCを食べ、CはAを食べるという捕食関係 >そんな捕食関係はありません まさか断言されるとは思っていませんでした。どうしてそう言い切れるのでしょうか。 全世界を徹底的に調査したのでしょうか。 ヘビクイワシ、ワシクイウシ、ウシクイヘビみたいな動物がいるかもしれませんよ。 現実に存在しないことを証明するのは難しいですよ。実質不可能でしょう。 >だからそんな「長い」「強い」を >いはらさん自身がお使いになるのはご自由にどうぞ >でもそれを論理に場に持ち込むのは勘弁してください >論理すべてが崩壊します 大げさですね。言葉の定義を考えているだけなのですから、論理法則にはなんの影響もありませんよ。 私もあんな意味で「長い」を使いたいとは思いませんが、あんな定義も可能だと言っているだけのこと。 不自然だとか非現実的だと感じられても定義は定義、認めなければいけないのです。 そうした感情こそ論理の場に持ち込むのにはふさわしくありません。 「長い」はともかく「強い」は普通の人が普通に使っているわけですから、 それを無視するのはどう考えても駄目でしょう。 >「AはBより長い」 >(でも計測のタイミングによってはBのほうが長いです) 2つの「長い」という言葉は定義が異なりますから、何の矛盾も生じません。 例えば、直方体の長さを、最も長い辺の長さだと定義した場合、 1×2×4の直方体は3×3×3の直方体より長いことになります。 それを、2と3の辺を比較すると3の方が長いと言われても、それが何か?としか言えません。 >「AはBより強い」 >(でも対戦すれば4割の確率でBが勝ちます) それが何か? >論理とは厳然確固とした条件を >堅固に積み重ねて築いていくもの >それなのに >確率や期待値などの異質な概念をもちこんだため >事象認識が限りなく希薄になってしまった >つまり「これは絶対の絶対の絶対だよ」のはずだった条件が >ぶれてぶれてぼけてぼけて煙みたいになっちゃった 確率や期待値による定義は、明確で客観的、計算可能という意味で厳然確固とした条件といえます。 「試合をしなくても結果がわかるほどの実力差がある」「圧倒的な力の差」などというほうがよほど曖昧に聞こえます。 >まず「論理の問題」であることは前提とておさえましょう >「AはBより強い」は論理条件であることは前提としておさえましょう >そこからがスタートです 私は一貫して論理の話をしているつもりなのですが。 「AはBより強い」「BはCより強い」という前提自体を否定したことは一度もありません。 この前提から「AはCより強い」という結論を論理的に導くことはできない、と主張しているだけです。 その理由は、反例が考えられるから、です。 実に論理的ですね。 もっと反論を書きたいのですが、 「論理条件」「論理的条件」という言葉をどういう意味で使っておられるのかよく分かりません。 誤解していると無駄な議論をすることになりますので、誤解の余地のないように分かりやすく説明していただけますか。
ITEMAE
>反例が考えられるから
考えられる「反例」というのが、 基準が途中で変わっているとか、基準そのものがあいまいだとか、こじつけだとか、 そういうものでなく、 ちゃんと、 論理的に「正しい」 といえるものはないはずです。 ITEMAEさんのいう「論理的に正しい」っていうのは推移性があるかどうかが基準になっていませんか?
もしそうであるなら本末転倒だし、そうでないなら基準を説明してください。 そうしないと話が進みません。
ITEMAE
もし、何らかの基準で「強い」「弱い」が途中で逆転するような例があれば、指摘してください。
途中で基準が変わったり、あいまいであったり、こじつけでない「反例」があるなら。 たとえ推移的でなくても、「きちんとした基準があれば」、 ボムボムさんの引用した「硬度」でも、「強い」←・・・・・→「弱い」の関係はなりたちます。 この問題の場合の強弱の定義(基準)はどういうものなのでしょう?
どういう比較を行った結果で、 グーは、チョキより強いのでしょうか? それとも、こういうのは関係なく、 「グーは、パーより強い。」は正しいとなるのでしょか?
ITEMAE
>それとも、こういうのは関係なく、
>「グーは、パーより強い。」は正しいとなるのでしょか? 「強い」 が「正しい」というのが、「前提」です。 強さの基準は、「圧力」でも「磁力」でも「光」でもかまいません。 「グー」「チョキ」「パー」が何の名前なのかの指定はありません。 超伝導磁石かもしれないし、LEDライトかもしれないし… 「じゃんけん」には、「強さ」は規定されていませんので、 想像するのは勝手ですが、あてはめるのは、早とちりです。 >順番が入れ替わるような「基準」が何なのか?
>ということを考えれば、 > それは「正しくない」ものを「基準」にしてる以外にありえない、ということです。 > 途中で基準が変わったり、あやふやなものだったり、こじ付けだったり。 これらの文章は結局 「"いいかげんでない"基準のつけ方ならば、常に推移律を満たす」(命題A)の対偶を言っているだけです。 (Aの対偶)「推移律を満たさない場合があるような付け方ならば、それは"いいかげんな"基準だけである」 なぜAは正しいのか、という僕の問いにAの対偶を言うのは、その理由を説明することにはなっていないと思います。 対偶が正しいと証明した、というのであれば別ですが… >推移系でなくても… 1<2、2<3から1<3のように順番が入れ替わらないのであれば、それは推移系です。 「推移系でなくても」という部分と結論が矛盾しています。 モース硬度において、推移律は調べることが可能です。 標準試料等全部調べれば推移律の成立の有無は確認できます。 「比較の基準を決める」→「実際比較して調べてみる」→「推移律が成立しているか?」 という流れです。 比べる前から「推移律は成立している」と言い切ることはできませんが、調べてみた試料内においては成立していた、ということはあるでしょう。 またREEさんへのコメントの部分で > もし、何らかの基準で「強い」「弱い」が途中で逆転するような例があれば、指摘してください。 > 途中で基準が変わったり、あいまいであったり、こじつけでない「反例」があるなら。 とあり、これが「推移律を常に満たす」ということの根拠だと思います。しかし、 「いいかげんでない」基準をあれこれつけてみると、どうも推移律が成り立っていそうだ。 だからどんな「いいかげんでない」基準でも推移律が成り立つ。 という論証は、上でも書きましたが帰納的推論であって、その帰結は常に真という保証はされません。 反例が挙げられなくても、その命題が正しいとは言い切ってはいけない、ということです。 だからこそ証明が必要なので、それを要求していたつもりです。 ----- 「Bradley-Terryモデル」というものを発見しました。 総当たり形式の競技などの結果から「強さ」を推定するためのモデルだそうです。 興味がある方は検索してみてください。
ITEMAE
>反例が挙げられなくても、その命題が正しいとは言い切ってはいけない
出題の前提が「・・より 強い・・・が 正しい」ですから。 強度、という言葉自体の否定材料がない以上、「強いものは完全に強い」関係でないと成り立ちません。 (ほんとうに強いのか? という疑問は別として) 勝率、みたいに、勝ったり負けたり・・の結果判断、
というのは、 いわば、 集団の比較みたいなもんで、 エリアが重なってるものを、 西武と阪急が「どっちが東にあるか」、を論じるようなものです。 (とうぜん「西武のほうが東」だけれど、関西にも西武の店はある) たとえ「強弱」の比較はできても、「より強い」が「正しい」とはいえない。 いはらさんへ
>「論理条件」「論理的条件」という言葉を >どういう意味で使っておられるのかよく分かりません。 そうですねそこで話が噛み合っていないようです 例えば 条件1 山田さんは日本人です 条件2 日本人はみな朝食に味噌汁を飲む 結論 山田さんは朝食に味噌汁を飲む では論理条件に確率を導入してみましょう 条件1 山田さんは日本人です (確率83%) 条件2 日本人はみな朝食に味噌汁を飲む (確率71%) 結論 ??????? おわかりでしょうか 確率や期待値では「論理を積み上げられません」 >>AはBを食べ、BはCを食べ、CはAを食べるという捕食関係
>そんな捕食関係はありません なぜいないといいきれるかは理由があります しかし論理の話とは無関係なので書きません ただし A(成体) と A(幼生 または 卵) をごっちゃにした時にはありえます 集団の比較じゃなぜ駄目なの?
西武と阪急が「どっちが東にあるか」を論じるのにどんな問題が? 集団の中の一部を比べて逆になる部分があるからといって、集団としての比較には別に関係ない事。 >途中で基準が変わったり、あいまいであったり、こじつけでない「反例」があるなら。 前の二つはわかるけど、「こじつけ」は基準が曖昧です。 どういう場合に「こじつけ」になるんですか? >集団の比較じゃなぜ駄目なの?
>西武と阪急が「どっちが東にあるか」を論じるのにどんな問題が? 「基準」がしっかりしてれば問題はありません。 (平均的にどっちが東か、とか、本拠地がどっちが東か、とか) ただ、 「西武のほうが東だよな」 と確認しておいて、 「京都の阪急より大阪の西武のほうが西にあるから、逆転がある」 というような理屈は通用しない、 ってことです。 横から失礼します。
面白く読ませて頂いてます。 ITEMAEさんとボムボムさんとの議論、私なりに要点を考えてみました。 1.「グーは、チョキより強い。」 2.「チョキは、パーより強い。」 これが正しいならば、 3.「グーは、パーより強い。」は正しい。 ボムボムさんの意見 正しくない。 帰結3.を導くには、次の条件0.が必要である。 0.「『Aは、Bより強い。』かつ『Bは、Cより強い。』ならば『Aは、Cより強い。』」 0.は公理(推移律)ではないので条件として記述が必要。 ITEMAEさん 正しい。 0.「『Aは、Bより強い。』かつ『Bは、Cより強い。』ならば『Aは、Cより強い。』」 は公理(推移律)であって、前提として扱うことができる。 問題は、0.が公理なのかどうかという点に帰着するように思います。 お二人の意図をきちんと理解できていない場合はご容赦下さい。 >>135
少し表現が変でした。 >0.は公理(推移律)ではないので条件として記述が必要。 ではなく、 >「〜よりも強い」は推移関係ではないので0.は公理として扱うことができず、条件としての記述が必要。 です。
ITEMAE
補足すると、
0.「『Aは、Bより強い。』かつ『Bは、Cより強い。』 が正しい ならば 『Aは、Cより強い。』」 なので、 「強い」の条件を記述しなくても、「・・より・・である」 を正当にするためには、 途中で「逆転」があるようではおかしい。 ですね。 この問題の定義は「前提が真ならば結論は真」、仮定は「前提が真」です。
ならば、結論自体は前提や結論の内容の真偽に関わらず真になります。 例えば、「地球は猫である」、「猫は宇宙である」が真ならば「地球は宇宙である」等でも 前提が真という仮定ですから、定義から当然「結論は真」になります。 自明ですが、結論の内容は偽です。この問題において、結論の「地球は宇宙である」は 真なのでしょうか、偽なのでしょうか。また、偽であるならばこの問題の定義や仮定の 正しい解釈は何でしょうか。
ITEMAE
「地球は猫である」、「猫は宇宙である」が真ならば
の前提であれば、 結論の内容は偽です は、ありえません。 結論の内容が偽 だとしたら、 「地球は猫である」、「猫は宇宙である」が「真ならば」、がウソだからです。 地球という品種の猫がいるのかもしれないし、 宇宙という動物の分類があるのかもしれない。 そんなことは、関知しない。 ということです。 >出題の前提が「・・より 強い・・・が 正しい」ですから。
前提は正しいです。それは間違いないです。 ですが、正しいと言っているのは 「何らかの比較基準(これは常に共通なものにする)によってAB、BCの間の比較をし、その結果AがBより強い、BがCより強いとわかった」 ということです。 二項間の比較「BはCより強い」という内容が正しいと前提で書いていても、そこから「Bより強いものはCより強い」というように、他との比較への拡張が正しいと言えるかどうかは、推移律の成立が鍵になるのです。 「A>B」「B>C」 と前提をとるのと 「A>B」「B>C」「>という関係は推移律を満たす」 あるいは 「A>B」「任意のxについてx>Bならばx>Cである」 のように前提をとるのでは違うのです。 今回の問題で「>という関係は推移律を満たす」という前提がない状態でも論証に使えるのは、なんらかの証明によって「常に真」ということが言える場合、あるいは仮定として書かれている場合だけです。
ITEMAE
「何らかの比較基準(これは常に共通なものにする)によってAB、BCの間の比較をし、その結果AがBより強い、BがCより強いとわかった」
「わかった」が「正しい」ということは、何らかの形で「証明」があるのと同義であると思います。 ためしたら強かった、ではありませんので。 永久駆動さんへ
「論理条件」と言っているのは要するに「命題」という意味ですか? 勝率を使って「強い」「弱い」というのは、命題の真偽が確率で表されるということではありませんよ。 勝率が高い方を強いと定義した場合、 AさんのBさんに対する勝率が83%であったなら、 「AさんはBさんより強い」という命題は真です。 83%の確率で真になるということではありません。 おわかりでしょうか? それ(グーやチョキやパー)が何であるかとか、
何故その関係(グーは、チョキより強いとか)なのかとかに 一切、関係なく「〜〜」が正しいなら「〜〜〜」も正しいとしているのが、 ここでの問題と、その解答だと思うのですが どうでしょうか? だとすると 「〜〜」が正しいとき 「〜〜〜」も正しいと、いいきれない場合はありえないのだろうか?
ITEMAE
何故その関係(グーは、チョキより強いとか)なのかとかに
一切、関係なく「〜〜」が正しいなら「〜〜〜」も正しいとしているのが、 ここでの問題と、その解答だと思うのですが そういう問題です。 「いいきれない」のは、基準があやふやだったり、途中で基準が変わったり、基準にならないものをこじつけで設定したりした場合です。 いはらさんへ
>AさんのBさんに対する勝率が83%であったなら、 >「AさんはBさんより強い」という命題は真です。 それは強いを勝率によって定義した場合です 「AはBより強い」が確固たる強弱関係を表す場合 勝率83%なら 真となる確率は83%です いはらさんへ
もう一度説明します 論理条件にある「強い」「長い」を確率や期待値と解釈するとは 1 AとBを計って比べるとBのほうが長かったりもするけど だいたいAのほうが長い この条件は相反する「BがAより長い可能性」を含んでいます これはもう論理条件になっていません そこからどんな結論を導こうとも その結論にも「BがAより長い」という あるはずのない現象が内在することになります だから単に「強い」「長い」として提示された論理条件を 確率や期待値としてとらえるのは間違いです 論理条件で単に「強い」「長い」と言った場合は2者間の絶対的な関係だと そう解釈すべきです 例 1 「Aは対戦成績でBに勝っている」 2 「Bは対戦成績でCに勝っている」 この2つの論理条件からは何も結論を導けません いはらさんのされているのは 提示された論理の「強い」に勝手に意味をつけて 例の不適格条件と同じにしているだけです >>「何らかの比較基準(これは常に共通なものにする)によってAB、BCの間の比較をし、その結果AがBより強い、BがCより強いとわかった」
> 「わかった」が「正しい」ということは、何らかの形で「証明」があるのと同義であると思います。 「わかった」でも「正しい」であっても、結局言いたいのは前提が「論理的に真」であることであり、そのことへの反論はありません。 僕が言いたいのは前提である 「A>B」が真である ことと、 前提の中で使用した「なんらかの比較基準」が推移律を満たす この両者は関係ないということです。 永久駆動さんへ
「論理条件」という言葉の意味を分かりやすく説明して下さいとお願いしましたが、 言葉の意味の説明はされていませんね。 >「論理条件」と言っているのは要するに「命題」という意味ですか? という質問もしましたが、回答がありません。 自分の言いたいことだけ言って、相手の言葉に耳を貸さないのであれば議論にはなりませんよ。 >永久駆動 さん
>提示された論理の「強い」に勝手に意味をつけて 問題に「強い」の定義がないので、あらゆる場合を想定する必要があります。 その上で、反例のために日本語解釈上特に違和感のない意味をつけて何か問題あるでしょうか? いはらさんへ
>「論理条件」という言葉の意味を 論理を構築するための条件です できるだけやさしい言葉で説明したかったのですが 「命題」を使われたいのならどうぞ REE さんへ >問題に「強い」の定義がないので、あらゆる場合を想定する必要があります。 それも条件があります 1 AはBより長い 2 BはCより長い この「長い」をを勝手に翻案されて 1 AとBを計測するとそれぞれがより長い場合があるが Aが長い確率のほうが高い 1 BとCを計測するとそれぞれがより長い場合があるが Bが長い確率のほうが高い こんな確率を含んだ条件にしてしまうと そこから論理は構築できなくなりますね そんな意味付けは無意味です 「勝率によって判断するより強い」も同じことがいえます AとBは100勝100敗でずっと互角だった でも昨日の201試合目でAは微妙な判定でBに勝った こんなのが「より強い(勝率根拠)」です これを材料にした AとC BとD など他の強弱関係へ推論は不可能です 論理条件に「より強い」とあれば それは2者間の明確明瞭で絶対的な差を意味すると考えるべきです 「より強い」をあいまいで微妙で逆の可能性まで含む概念に 置き換えると当然論理は成立しません >>145
・・のほうが、・・より、ほにゃららである。 が 正しい という段階で、 「ほにゃらら」の中身がどうであろうと、 はっきりした、同じ基準のもとでの比較であり、 途中で逆転があったりしない、 という前提でないと 「・・より・・」、の存在そのものがありえませんが・・。 強いだろうと、明るいだろうと、東であろうと、そういう問題でなく。 (同じことを何度も繰り返すだけですが) >>148
>永久駆動さん >こんなのが「より強い(勝率根拠)」です >これを材料にした AとC BとD など他の強弱関係へ推論は不可能です そうですね。 そういう強さの定義も考えられるからこそ、問題の >1.「グーは、チョキより強い。」 >2.「チョキは、パーより強い。」 > これが正しいならば、 > >3.「グーは、パーより強い。」は正しい。 という推論も出来ないのですよ。
ITEMAE
>こんなのが「より強い(勝率根拠)」です
>これを材料にした AとC BとD など他の強弱関係へ推論は不可能です ですので、そういう材料をネタにした「強弱」を持ち出した場合は、 1.「グーは、チョキより強い。」 2.「チョキは、パーより強い。」 これが正しいならば、 の段階で、アウト、になります。 >>149
>途中で逆転があったりしない 逆転というのは、前提「A>B」が「A<B」のように逆転するということでしょうか? これは起こらないと思いますが…? 逆転というのはどういうことでしょうか? >「・・より・・」、の存在そのものがありえませんが・・。 二項比較できることと推移律の成立は無関係だと思いますが… 二項比較できれば「・・より・・」であると言えると思います。 そもそも要素が二つしかない場合には推移律自体が存在しませんが、二つの要素について比較はできます。 比較できることが即座に推移律の成立につながるとは考えられないと思います。 永久駆動さんへ
REEさんのご指摘と重なる部分もありますが反論です。 繰り返しますが、 勝率が高い方を強いと定義した場合、 AさんのBさんに対する勝率が83%であったなら、 「AさんはBさんより強い」という命題は真です。 83%の確率で真になるということではありません。 それに対して、 >それは強いを勝率によって定義した場合です >「AはBより強い」が確固たる強弱関係を表す場合 >勝率83%なら >真となる確率は83%です と書かれていますが、最初に「勝率が高い方を強いと定義した場合」と断っているのに、 なぜ他の定義を持ち出すのでしょうか。全く意味がありません。 永久駆動さんの主張は、 「強い」を勝率によって定義した場合、「AはBより強い」は命題にならない ということだと思われますが、明確に真偽が判定できますから立派な命題です。 最後に、 >例 >1 「Aは対戦成績でBに勝っている」 >2 「Bは対戦成績でCに勝っている」 >この2つの論理条件からは何も結論を導けません 二つの命題を並べているだけですから、何らかの(自明でない)結論を導けると考える理由がありません。 自分の望む結論が導けないので定義がおかしいというのは本末転倒です。 なぜ強いのかは不明(明確にする必要が有るかどうかもわかんないけど)だが、
「グーは、チョキより強い。」 「チョキは、パーより強い。」 ということ『だけ』が正しいと分かっている(定義されている) 状況で、 「グーは、パーより強い。」は正しいのか(正しいと言い切れるのか)? ってことだと思う なぜ強いのかが分からない強弱関係で、 AとB BとC の関係が分かったからといって AとCの関係が分かるのだろうか?
ITEMAE
「なぜ強いか?」が解らなくても、「たしかに強い」なら、関係だけはわかります。
本州が、九州より、なぜ広い?のかは解らなくても、 たしかに広いなら・・・。 いはらさんへ
>「強い」を勝率によって定義した場合、「AはBより強い」は命題にならない >ということだと思われますが、明確に真偽が判定できますから立派な命題です。 真偽の判定についてではなくではなく 推論の材料にならないと言っています それができない事を示したのが下の例です 1 「Aは対戦成績でBに勝っている」 2 「Bは対戦成績でCに勝っている」 ここから ABC間の強弱関係の推論はできません 自分の望む結論が導けないという問題ではなく そんな定義で示された命題は まず「推論の材料」として妥当ではないと言っています REE さんへ >そういう強さの定義も考えられるからこそ つまり「日本語解釈上特に違和感のない」 普段はそういう使われ方をする言葉だという事ですね 確かに「より強い」を考える推論で最大の障害となるのはそこです でも私はそれはあくまでも錯覚・誤解であり 誤った先入観に拠る誤った表現だと考えています No.88でも書きましたが 私たちは毎日、野球やサッカーや相撲や将棋で 同じレベルの者同士が勝ったり負けたりするのを見ます そして「○○は強い」「○○は弱い」というコメントを毎日聞きます そのためわずかでも勝ち越していれば「より強い」と思う 対戦成績は毎日のように変わり「より強い」「より弱い」もコロコロ変わる そして「より強い」という条件からの推論には違和感を感じることになる 「それってAとCが直接対戦しないとわからないでしょ」となる 私たちの身近な試合や対戦はすべて矮小な箱庭の中での戦いです すべてはそこから生じた錯覚です 私が前に書いた ボクシングのチャンプ と 一般主婦 との試合のような 片方が一方的にいたぶる結果になる対戦は モラル的にも興行的にも実現は不可能でしょう だから私たちは見ることができない それでも自然界は文字通り「弱肉強食」 捕食関係は一方的であり強弱関係は明瞭です もしテレビを知らない狩猟部族に 「AはBより強い BはCより強い さてここで AはCより強いといえますか?」 と質問すれば 彼らは「あたりまえだ」と即答するんじゃないかな 「強い」とは勝率とか対戦成績とかの 毎日コロコロ変化するような関係ではない 「強い」とは相手を倒してエサとできること ただその事実を示す それは彼らにとって身近で絶対の自然の掟なんですから A・B・Cがそれぞれどの様なモノか分からないので、
強さの基準も分からない。 問題中のグーチョキパーは、 どの様なモノなのか不明。 (ジャンケンのグーチョキパーではないそうです) よって基準がどの様なモノであるかを考えるのは 無意味。 永久駆動さんへ
>真偽の判定についてではなくではなく >推論の材料にならないと言っています >それができない事を示したのが下の例です >1 「Aは対戦成績でBに勝っている」 >2 「Bは対戦成績でCに勝っている」 >ここから ABC間の強弱関係の推論はできません どうしてABC間の強弱関係の推論ができないといけないのでしょうか。 単なる命題なのですから、それを使って何か推論できると決まっているはずがありません。 >もしテレビを知らない狩猟部族に >「AはBより強い > BはCより強い > さてここで AはCより強いといえますか?」 >と質問すれば >彼らは「あたりまえだ」と即答するんじゃないかな それは単に感覚で答えているだけですね。 論理的な推論による結論と感覚が一致しないのはよくあることです。 もし普通の人に 「パイナップルはリンゴより強い リンゴはバナナより強い さてここでパイナップルはバナナより強いといえますか?」 と質問すれば 彼らは「それってどういう意味?」と答えるのではないですかね。 >>154 永久駆動さん
>「強い」とは勝率とか対戦成績とかの >毎日コロコロ変化するような関係ではない >「強い」とは相手を倒してエサとできること >ただその事実を示す 強さが毎日変化して何の問題があるのでしょう? ボクシングのチャンプだって昔は赤ちゃんだったはずで、その時は相当弱かったはずです。強さは変化するものです。 たとえ明白な捕食関係があったとしても、片方が怪我や病気をすればその関係が変わることもあります。 むしろ永久駆動さんに強さに関する先入観があるように見受けられます。 強い、弱いが「推移」か否かを証明しなければ、話がすすまない、
ということが幾度となく言われていますが、 私なりに整理すれば、 一般的に「強い弱い」というだけで、推移か否か、を証明することはできない。 (これは強弱にかぎらず。「大きい小さい」「広いせまい」についても同じことで、 「体積」やら「面積」やらであれば、推移系だが、 「態度が大きい」「顔が広い」・・については成り立つかどうか怪しい) ただし、大小関係2つを拾って、これが「正しい」というからには、 「あやしい関係」での比較は、除外。 「一般」的に「強弱」を言ったとき、 「野球の強さ」などは「あやしい関係」だけれど、 「正しい」と断定できる「強さ」関係であるならば、それは「光の強さ」「放射能の強さ」など、ちゃんと基準をもった「強度」で表されるものである。 (でなければ「強度」という単語が生まれない。) ちゃんと基準をもって「強い・・・・弱い」を言う以上は、 「強←・・・グー・・・チョキ・・・パー・・・→弱」 途中で逆転がある、とかいう関係を、「正しい」と言えるのであれば、 それは言うほうが正しくない。 耐震強度をいくら設定しても、手抜きができちゃう。 (モチロン、耐震強度は、「一定の条件」のもとでの強度なので、 「実際の地震」に対して、「弱い」建物が残って、「強い」建物が壊れることはあります。 それは、「強度」の矛盾ではない) はじめまして。
論理とかは全然わからないんですが 皆様が仰っている事はおぼろげながら理解できます ちょっと思ったんですが 「ティラノサウルスはライオンより強い」 「ライオンは人間より強い」 が正しいならば 「ティラノサウルスは人間より強い」は正しい 皆様の話だと論理ではそのままこうなるんですよね? 人間は身体能力では恐竜に劣るものの 戦い方を考えられる生き物でしょうから 武器を使うなりその場の空間を利用するなり すればそうとも言い切れない場合もあるかと考えてしまいます。 恐竜やライオンは戦い方の幅では遥かに人間より 劣ると思われますので。 (いい例が思いつかなかったのは勘弁下さい。 そんな事言ってたらライオンが人間より強い前提自体が 成り立たないではないかと言われそうなので そこは無視の方向で ) となると、 「但し密閉空間かつ素手で戦う事」みたいな 前提や基準をきめ細かに決めないと解答が出てこない んでしょうか?この「強い」と言う言葉は。 (問題では但しジャンケンではない場合みたいな) どなたか優しい方がいらっしゃいましたら もやもやを解決していただけないでしょうか? なお、ティラノサウルスとの戦い方については その時考えます
ITEMAE
「いろんな意味」で、「強い」を言うことはできます。
ただし、3者比較をするのに、途中で基準を変えるのは反則です。 (不正) たとえば「脚力だけ」で比べるとか。 (「チラノサウルスの代表」が、すべてのチラノサウルスを代表するのか?というのは、また別に考えて) 野球でも、 ピッチャーの球は速いがコントロールが悪い。 〜相手が振り回してくる打線なら抑えられるが、じっくり狙う相手には弱い。 外野手の守備力が劣るが、ホームランなら守備には関係しない・・・ などなど、様々な「相性」というのがあるので、 何をもって「強いチーム」というかは別になります。 ITEMAEさん、返信ありがとうございます
自分なりに考えて解答を得たのでありがとうございました 要するに 「いろんな意味」で計れてしまう「強い」と言う言葉を 「推移関係が当然成り立っている」と言う基準のみで前提を 組んでしまったので色々な考えに至る訳だと。 もちろん、2は1より大きいなどわかり切っている 推移関係はITEMAEさんが言うように記述する必要がない という事も。 「強い」と言う言葉単体で推移関係があるのは自明だと 言うのには少し弱いのかな?と思いました。 ありがとうございました >>158
>ただし、大小関係2つを拾って、これが「正しい」というからには、 >「あやしい関係」での比較は、除外。 何を以て「あやしい関係」なのか分かりませんが… 前提は正しいとしており、それは異論ありません。 しかしそのことと「比較方法が "正しい" 」こととは関係ありません。 前提文から分かるのは、 「ある共通の比較方法によって二つの間に強弱の関係をつけられること」 です。 それ以上の情報を前提文の「AはBより強い」から引き出すことはできないはずです。
ITEMAE
>「ある共通の比較方法によって二つの間に強弱の関係をつけられること」
これだけでじゅうぶんでしょう。 比較方法が正しくなければ「正しい」といえませんから。 >No.161
>もちろん、2は1より大きいなどわかり切っている グーチョキパーがジャンケンでないのと同様に、 2が皆の知っている2なのか? 1が皆の知っている2なのか? ってなるので、 分かり切ってはいない (話をややこしくしようとしてみる) いはら さんへ
>どうしてABC間の強弱関係の推論ができないといけないのでしょうか。 推論の材料として提示された条件だからです その中の表現を「こんな定義も成立する」として 推論不可能な内容に勝手に変えたのでは 当然推論は成立しません そんなことをしても「その論理が間違っている」という指摘にはなりません そもそも推論不能の定義の導入が不適当だからです REE さんへ >強さが毎日変化して何の問題があるのでしょう? 日常会話で使うのならいいのですが まずそれが推論を成立させる条件として提示されている そのことを無視してはいけません 定規で測ると101cmと100cm 「Aの棒はBの棒より長い」 この判断は合理的で妥当性があります 計測結果は何度くりかえしても変わりません 対戦成績が101勝100敗 「AはBより強い」 この判断は合理性を欠き、妥当性を欠き、事実に即しません 再び計測する(戦わせる)としてその結果は全く予測できない それどころか計測する度に対戦成績はコロコロ変わる 「おかしいなAのほうが強いはずでは」と計測をやり直していると いつのまにかBの対戦成績のほうが勝ち越している まったく意味不明で無駄な判断です こんな間違った「より強い」は 確かに日常会話で使われることがある でもそんな事実に即さない誤用を論理条件の「より強い」に適用すべきではないのです 「ネズミはオオカミより強い」という論理条件があるとします 「ネズミの体調が悪ければ負けるのでは」 「オオカミが不意打ちすれば勝てるのでは」 「オオカミが自分の本拠地で戦えば有利になるのでは」 「まず前半はオオカミは逃げ回ってネズミのスタミナを奪うんだ 後半に勝負をかけてネズミの急所だけを狙えば勝てるはず」 そんな勝負テクニックや駆け引きはもちろん関係ありません そんな卑近な些事を超越して「より強い」という事実だけがある そう理解しなければなりません そこには「勝率」も「対戦成績」も「相性」もありません 計測する(戦わせる)必要もありません 「ネズミのほうが強い」という結果がすでにでているのですから >これだけでじゅうぶんでしょう。
でしたら推移律の成立は勝手な推測になります。 「二つを比較できる」≠「推移律の成立」 です。 >比較方法が正しくなければ「正しい」といえませんから。 何を以て「比較方法が "正しい" 」のかよくわかりませんので説明して頂けませんか? 上で「あやしい関係」とも書かれていましたが、こちらについてもよくわかりませんので説明して頂きたいです。
ITEMAE
「大きい小さい」も同じでしょう。
面積や体積が、「実数で表されるから」、というのは、「推移であるから」成立することであって、 「実数で表されるから」推移である、わけではありません。 本質的に「大・・・・小」の関係に逆転がないからこそ、大きさを「実数」で表すことができる。 (「態度の大きさ」などは、基準があやしいから、実数で表せない。実数で表せないからあやしい、というわけではない) 「光」や「音」の「強さ」を表す単位がある、ということは、「強さ」が基本的に推移するものだから。 さらにボムボムさん引用の「硬度」のように、推移でなくても、一定基準で「逆転」などの起きない前提である。 逆転がありうる、ような「強さ」というのは、 「正しい」と断定するには「あやしい」強さ、ということです。 いや、それでも、細かい証明をしろ、といわれたら、 「強さ」を表す単位を設定した人にクレームをつけていただくか、 そういう単位を使う人にクレームをつけていただくしかありません。 そういう単位が存在する世界で暮らしてる私としては。 >永久駆動さん
>対戦成績が101勝100敗 >「AはBより強い」 >この判断は合理性を欠き、妥当性を欠き、事実に即しません >再び計測する(戦わせる)としてその結果は全く予測できない もう一度戦えば逆になるかもしれません。 でもそんなことはどうだっていいんです。 この時点で「AはBより強い」と決めました。それで充分です。 別に推論の途中でAとBの関係を逆転させるわけではありません。 今回は、強さの決め方の妥当性や合理性を論じることが目的ではありません。 「そういう決め方もある」それだけで充分です。 「ネズミはオオカミより強い」のどこに妥当性があるのでしょうか?事実に即しているのでしょうか? でもそんなことはどうだっていいんです。 「ネズミはオオカミより強い」と決めました。それで充分です。 >ITEMAEさん >「光」や「音」の「強さ」を表す単位がある、ということは、「強さ」が基本的に推移するものだから。 これは「光や音の強さ」として推移するものが定義されているだけです。勝手に一般論にしないで下さい。 現実世界で調べたものすべてにおいて成立しているからといって、そのことを論理に持ち込むことはできません。
それは上でも述べましたが帰納的推論です。 三段論法で有名な例でいうと、 「ソクラテスは人間である」が正しい前提だとして 「ソクラテスは死ぬ」 という結論は正しいかどうかの判定は不可能です。 もう一つの前提「すべての人間は死ぬ」が無いからです。 現実の世界で人間が死なない訳がないと思っても、書かれてもいないのに論理の前提にそのことを持ち込むことはできません。 書かれてもいないけども論証に使えるのは他のことから証明できる場合だけです。 今まで見てきた人間はすべて死んだ、だからすべての人間は死ぬ、というのは帰納的推論になり、証明とは違います。 いろいろな強弱の付け方をしているが、それらすべてが推移律を満たしていた、だから強弱は推移的、というのも帰納的推論です。 推移律の成立が常に真だろうと思っていても、それを証明できない以上、前提に書くことが必要になります。 >逆転がありうる、ような「強さ」というのは、 >「正しい」と断定するには「あやしい」強さ 僕の主張は「前提を正しいと断定できる強さ」⇒「逆転しない(推移律を満たす)強さ」である理由を知りたいのですが、その対偶 「逆転する(推移律を満たさない)強さ⇒正しいと断定できない強さ」を主張されても循環論法なだけで、元の命題の真偽はわかりません。 > いや、それでも、細かい証明をしろ、といわれたら…(略 現実の科学ではどのように「強さ」をつけるか定義されていますので、それに従って推移律の検証が可能です。 そうではなくただ「強さ」とか「強弱」と書かれてることに対して、暗に推移律を含めることもあってもいいと思いますが、それは物理や化学などと、論理学や数学などの違いであり、法則と定理の違いです。 物理や化学などでも、ある前提から何かしらの定理や結論を「証明」しようとするときに、推移律を書いていないとか、強さの定義を書いていないのに証明に使おうとするならば、そのときは文句をいいます。 >そういう単位が存在する世界で暮らしてる私としては。 ですから、そういう単位や概念の無い人々に聞いたとしても、同じ答えが返ってくるのか?ということがポイントなのです。 論理と現実は分けて考えてください。 「グーチョキパー」でじゃんけんをイメージしてはいけないように、「強い」という言葉が現実に持っているイメージを論証に持ち込むことはできません。 >「強い」という言葉が現実に持っているイメージを論証に持ち込むことはできません。
「強い」の意味が現実とは違うってことでしょうか? だとすると、問題文中の言葉全てが怪しくなり、 問題の意味が分からなくなりますが・・・ 現実の「強い」のイメージを排除した「強い」は、どんなモノなのでしょうか? REE さんへ
>でもそんなことはどうだっていいんです。 >「ネズミはオオカミより強い」と決めました。それで充分です。 まったくそのとおりです 必要なのは「ネズミはオオカミより強い」 その事実だけです でも考えてください 「より強い」に勝率的な概念を持ち込むということは 「何試合かしていくらか勝ち越してるだけ」ということになります つまり「オオカミ側もネズミに対してそれなりの勝算がある」 そういう意味に変えられているんです そうではなく ネズミはオオカミに無条件で、まぎれもなく、誤差もゆるぎもなく 「強い」としなければおかしいのです オオカミ側の逆転の可能性は絶対にありえないんです >永久駆動さん
「強い」ならば「必ず勝つ」は正しいとはいえないし、そうである必要もありません。 別に強い方が負けることがあってもいいのです。 もちろん負けたとしても依然として「強い」ことには変わりありません。 >メガネ好きさん
「ネズミはオオカミより強い」 と比較し決定した「強い」というのが、どういうものかイメージできますでしょうか? 言葉の意味というよりも、今は「強い」というのがどういう比較方法から出てきのか?というところがポイントです。 その判定結果に現実に使っている言葉の中から近いニュアンスを持っている言葉を選んでいるだけで、もっというと「強い」自身に特に意味はありません。 例えば百メートル走のタイムを比較することで「AはBより速い」というとしても、時間の短かった方を「足が速い」と言うことにしています。 これを時間が短かった方を「足が強い」と言い換えても、現実ではあまり使いませんが構わないと思います。 「◯◯」という比較方法で「強い」ということにする、その「◯◯」がどういうものか? 今回の問題では書かれていないので、僕は推移律の成立は不明だと考えています。 例えば「位相が強い、弱い」という言葉を聞いてどんな「強弱」なのか?これをどんな強弱の定義かも聞かずに推移律が成り立っていると考えていいのかどうか…? >これをどんな強弱の定義かも聞かずに
いちおう「正しい」といえるだけの根拠をもっている定義がある、という前提。 「強弱そのもの」が、逆転のあるいい加減なものであるなら、「強さの単位」を設定することが意味のないことになります。 「それ」に外れた「強い弱い」があるのは勝手ですが、 そういうのを出して「・・が正しい」という条件には使えない、 ということです。 「早く走る足」を強いと言おうとどうしようと勝手ですが、 逆転のあるようないいかげんな基準では・・「正しい」という条件のある例には使えないだけです。 ちゃんとした定義であれば、3者比較で「3すくみ」はありえない。 REE さんへ
>もちろん負けたとしても依然として「強い」ことには変わりありません。 つまりまだ勝ち越し数(貯金)があればでしょうか? それ「強い」と判断してるのは誰なのでしょう それは客観的で実際的な見方ではないと思います 今目の前でAがBに何もさせてもらえず一方的にけちょんけちょんに敗れたら どう考えても「BはAより強い」ですよね 「いや過去の対戦成績があるからまだAのほうがBより強い」 これはまったく実体のない数字の上だけの「より強い」であり 勝率で順位を決めなければならないリーグ戦の中でのみ 便宜的にだけ成立する「より強い」です AがBに何もさせてもらえず一方的ににけちょんけちょんに敗れたのを見たら 「いまのところBはまだAより順位は下だがBの強さはA以上だ」 これが率直で現実的で堅実で事実に即した見方です ちょっと整理します
1 AはBより強い 2 BはCより強い 私とITEMAE さんは この2つの論理条件から 結論 AはCより強い を推論できると考えています もしその推論が正しくないと考える人がいれば たった1例を示せばいいんです 反証はたった1例で成立します 1 AはBより強い 2 BはCより強い 「でも私1回だけだけど CがAに勝ったのを知ってるよ」 もうこれで私もITEMAE さんも謝るしかない 「すみません 参りました」 しかし「1 AはBより強い」に勝率や対戦成績の考え方を導入すると いきなり最初からつまづきます 実際に戦うと場合によっては「BがAに勝つ」というのです もういきなりスタートで推論が崩壊してしまいました なぜこんな意味不明でナンセンスなことがおきるのでしょう? それは示された論理条件を確率的概念に置き換えたのが間違いだからです 確定した事実を積み上げていくのが論理の概念です その条件の確定性を確率の概念は弱めます 命題の真偽の境界を広げます 相反し並び立つことのない条件同士を並立させてしまいます 論理条件で単に「大きい」「長い」「強い」と示された内容は 決して確率的概念に置き換えてはいけないのです 再掲
>「強い」ならば「必ず勝つ」とは限りません。 だから強さが勝率で定義してある場合には、 >「でも私1回だけだけど CがAに勝ったのを知ってるよ」 これだけでは、CがAより強いなんて言えません。 たとえそれがけちょんけちょんだったとしてもです。 現実だってそうです。 たとえばプロ野球のリーグ戦の途中で完全試合があったとしても、それだけではその試合で勝ったチームの方が(総合的に)強いなんて言いませんよ。 >その条件の確定性を確率の概念は弱めます >命題の真偽の境界を広げます >相反し並び立つことのない条件同士を並立させてしまいます それは思い込みです。 つまり、たとえ確率で定義した強さであっても 1 AはBより強い 2 BはCより強い は揺るぎません。(だって仮定ですから) ただ、AはCより強いという結論が導けないだけなのです。
ITEMAE
>1 AはBより強い
>2 BはCより強い >は揺るぎません。(だって仮定ですから) そういうので決めた「強さ」は「正しい」とはいえません。 「阪急より東にある西武」と同じようなもんで。 強かったり、強くなかったりしたけど、トータルでは強かったかな・・・ という中身です。 永久駆動さんへ
他の方々が私の言いたいことを言って下さっているので他のところを指摘します。 >>どうしてABC間の強弱関係の推論ができないといけないのでしょうか。 >推論の材料として提示された条件だからです >その中の表現を「こんな定義も成立する」として >推論不可能な内容に勝手に変えたのでは >当然推論は成立しません >そんなことをしても「その論理が間違っている」という指摘にはなりません >そもそも推論不能の定義の導入が不適当だからです 例えば、論理パズルとして、 1.AはBより強い 2.BはCより大きい このとき、AはCより強いと言えるでしょうか? と出題されていたとしましょう。 AはCより強いと言えるわけがないですね。 1、2は推論の材料として提示された条件ですが、 この条件からABC間の強弱関係は推論できません。 従って永久駆動さんの反論は反論になっていません。 >しかし「1 AはBより強い」に勝率や対戦成績の考え方を導入すると >いきなり最初からつまづきます >実際に戦うと場合によっては「BがAに勝つ」というのです >もういきなりスタートで推論が崩壊してしまいました >なぜこんな意味不明でナンセンスなことがおきるのでしょう? それは、「絶対に勝つ方を強いとする」という定義と、 「勝率の高い方を強いとする」という2つの定義を混同しているからです。 ある定義だとAはBより強いが、別の定義だとそうではないというだけのことです。 一度「強い」という言葉を定義したら、その後の議論ではその定義だけを使わないといけません。 他の定義を持ち出して矛盾すると言っても意味不明でナンセンスです。 >再掲
>>「強い」ならば「必ず勝つ」とは限りません。 どうもそこが違うようですね 「より強い」は「必ず勝つ」という意味ではありません 正確に言えば「戦う必要もなく無条件で強い」です 「AはBより長い」という論理条件があれば どんなにAの運が悪い場合でも どんなに確率的に低い状況でも 何度計測しても必ず「AはBより長い」という結果になる そういう意味です 「ネズミはオオカミより強い」 これが論理条件なら オオカミの勝つチャンスはゼロです 何試合しようとオオカミの逆転の可能性はありません もしたった1回でもオオカミがネズミに勝つことは 論理条件に反します 「ネズミはオオカミより強い」とはそういう意味です どんなにネズミの運が悪くても どんなに確率の低い事態になっても 逆転はありえません 対戦成績うんぬんは 「より強い」と示された2者の決定的上下関係を 「やや分がいい」くらいのわずかな優位性にしてしまった オオカミが十分勝てる状況にしてしまった それでは意味がぜんぜん違います 定義の許容範囲を大きく逸脱しています さて私は確率的概念の特殊性
そして論理的概念と確率的概念は水と油だと 何度か説明してきたつもりですがなかなかうまく伝わりませんね 「AがBに勝つ確率は50%だ」 なんかすごい説得力のある分析に聞こえますが 要は「どっちが勝つかはわからない」と言ってるのにすぎません 確率的分析って見た目は説得力があり納得させられるんですが 中身というか内容までしっかり見ないとだまされやすいんです 「AはBより強い」(勝率 50.1%) 「BはAより強い」(勝率 50.1%) まったく相反する2つの事実ですがその差はわずか確率0.2%です 長さの差が0.1mmだとか 重さの差が0.1gだというのとは違います 発生確率の0.2%って意味のある差といえるでしょうか? REE さんは 実際に戦ってBがAに勝っても 「AがBより強い」それに変わりはないとおっしゃいましたが それは間違いです 0.2%の差なら1回負ければひっくりかえります なにより実質的に AとBが戦うとどっちが勝つかまったく見当がつきません あるのは過去の対戦を分析してだしたわずかな数字上の差 微妙で変化をし続ける「ちょっと分がいいかな」です それを「勝率」とか「対戦成績」とか呼ぶと なんかそこに確かな差があるように聞こえるだけ 論理条件で「より強い」とあれば そこに確実な差があるということです 永久駆動さんへ
勝率というのは勝つ確率という意味ではありませんよ。 全試合数に対する勝ち試合の割合という意味です。 言葉は正確に使ってもらわないと議論する気になれません。 ABCが何であるかも
強弱の定義(基準)が何であるかも 分からない問題で、 3すくみかどうかとか 推移律が成り立っているかどうかとかを 判断出来る(関係を断言できる)のだろうか?
ITEMAE
これは、
ネタが「何」であっても、 強弱の関係性が「正しい」という前提のもとでは、何が基準であっても、 成り立つ理屈です。 「大きい」の中身が、「体積」であろうが「重力」であろうが、 3者関係はかわりません。 これが途中でひっくりかえるような関係を持ち出すなら、 しれは「・・が正しい」とき、という前提を満たしませんのでアウト。 「強い」と「勝つ」の関係を勝手に決めないで下さい。
永久駆動さんは「勝つ方を強い」としていますが、 勝率定義の場合は「勝ちやすい方を強い」としています。 論理的だからとかいうのなら、論理的に関係を導いて下さい。 >REE さんは 実際に戦ってBがAに勝っても >「AがBより強い」それに変わりはないとおっしゃいましたが >それは間違いです >0.2%の差なら1回負ければひっくりかえります 既に強弱判定は終了しています。 この一回は、強弱判定の基準に含まれていませんから、強弱関係には影響ありません。 >なにより実質的に >AとBが戦うとどっちが勝つかまったく見当がつきません >あるのは過去の対戦を分析してだしたわずかな数字上の差 >微妙で変化をし続ける「ちょっと分がいいかな」です 勝率で定義した「より強い」は、 まさに「戦った時に分がいい方」を「より強い」と判断しています。 分がいいだけですので、必ず勝つとは限りません。 >全試合数に対する勝ち試合の割合という意味です。
そこで挙げた例ではAとBしかいません その後の説明でCもDもでてこない点をよくお読みください AB同士で勝つ確率ですから勝率です またちょっと長文です ごめんなさい 一本の大きな木があります そこへABCの3種の野鳥がきます ある1日、どの種の野鳥が多く来てるのか個体数を計測しました A 257羽 B 246羽 C 233羽 もちろん A>B B>C A>C です 同時に別な方法でも計測しました 「AがBより数が多い時間」と 「BがAより数が多い時間」をストップウオッチで計測し それぞれ1日トータルの総時間を比較します そして時間が長いほうを「より多い数が来た」と判断するのです パッと木を見たときに「Aの数がBより多い確率が高いか低いか」という そんな期待値的確率的な分析による計測です さて同様に BとC AとC でも同じ計測を行いました その結果は 1 Aの数はBより多い 2 Bの数はCより多い 3 Cの数はAより多い こんな「三すくみ」の結果になる場合があります (「こんな感じかな」とグラフを描いてみるとわかりやすいです ぜひグラフを描いてみてください) 「三すくみ」になるということは別な言い方をすると 1 Aの数はBより多い 2 Bの数はCより多い ここから「Aの数はCより多い」という推論が成立しない状態です 「重さ」「長さ」「個体数」などは数値に置き換えられます だから 1 Aの数はBより多い 2 Bの数はCより多い ここから 「Aの数はCより多い」という推論が真であることは容易に証明できます それなのにおかしいですね? 唐突に推論不可能現象が起きてしまいました 実は期待値・勝率・対戦成績といった確率の考え方で 計測分析を行ってみると「三すくみ」は簡単に作れるんです 「より強い」という推論では 「長さ」や「重さ」を比較する場合とは異なり 「三すくみ」になって成立しない場合がある いはらさんは その例として「三すくみサイコロ」と 「対戦成績を根拠とするより強いの定義」をあげられました でもそれは間違いです 「より強い」という関係だから「三すくみ」になるのではありません 妥当な推論であったはずの 1 Aの数はBの数より多い 2 Bの数はCの数より多い 結論 Aの数はCの数より多い この「より多い」という推論でも または「AはCより長い」という推論でも または「AはCより重い」という推論でも または「AはCより大きい」という推論でも 期待値・勝率・対戦成績といった 確率的分析・確率的計測を活用すれば いくらでも「三すくみ」がつくれます 確率という考え方そのものが 確率的分析それ自体が 「論理壊し屋(ロジッククラッシャー)」だという話だったのですが いかがだったでしょうか? (自分の出題なんですが、横入りみたいに。)
「勝ち負け」の結果の理屈というのは、 あくまで、2者独自の比較です。 たとえば、西武、日ハム、楽天が戦ったとしても、 「西武−楽天」戦に、ダルビッシュが登板するわけでないので、 「西武−楽天」戦と、「楽天−日ハム」戦は「別のモノサシ」になります。 さらに、同じ「西武−楽天」戦でも、 「昨日の中島」と「今日の中島」が「同じバッティング」をするわけではありません。 (のばしたゴム同士を比べた後、縮んだゴム同士を比べるようなもの) 同じモノサシで比べられない時点で、比較の前提から除外してください。 確率を問題にするのであれば、 いかさまサイコロで「1」の出る確率にA,B,Cそれぞれ偏りがあって、 A>B 、 B>C というような場合を想定するのがベターではないかと思います。 もちろん、Aが20%、Bが15%、Cが10%であっても、 「次に1が出る」のが、この順かどうかは分かりませんが、 「1の出やすさ」の順位が変わるbわけではありません。 永久駆動さんへ
>>全試合数に対する勝ち試合の割合という意味です。 >そこで挙げた例ではAとBしかいません >その後の説明でCもDもでてこない点をよくお読みください >AB同士で勝つ確率ですから勝率です 意味不明な反論ですね。 私は言葉の使い方が間違っているという指摘をしただけですよ。 ここでも確率と勝率の使い方が間違っています。 言葉を正しく使うというのは論理以前のことです。 ITEMAEさんへ >「勝ち負け」の結果の理屈というのは、 >あくまで、2者独自の比較です。 何の問題もありません。 「より強い」とか「より大きい」は二項関係ですから、二者の比較ができれば十分です。 >同じモノサシで比べられない時点で、比較の前提から除外してください。 同じモノサシと言っている時点で、数値化できるもののみを対象としているように思えます。
ITEMAE
「より強い」とか「より大きい」は二項関係ですから、二者の比較ができれば十分です。
ですから、「同じ基準」で、 たとえば。球場はすべて札幌ドーム。 楽天打線対ダルビッシュ。西武打線対ダルビッシュ。日ハム打線対ダルビッシュ。 バックはすべて西武の守備陣。 配球もシフトも同じ、 というような条件一定で比較するなら、 楽天打線、西武打線、日ハム打線の「順位」はつくでしょう。 平均すれば、そこそこ固定された「順位」がつくとは思いますが、 この順位が「逆転」することはないはずです。 >永久駆動さん
・「数が多い時間が長い方をより多い数が来た」とする。 既に定義されている言葉の再定義になっています。 これこそまさに「こじつけ」です。 言葉の再定義を許すと、それこそ何でもありになってしまいます。 ・「勝ちやすい方を強い」とする。 これとは明らかに違います。 物の数などの既に一般的に定義されているものと、 強さという一般的には未定義の物を混同していませんか? いはらさんへ
大辞泉 【勝率】試合などに勝った割合。 大辞林 【勝率】全試合数に対する勝ち試合の割合。 挙げた例ではAB間の対戦の話しかしていません 以下で論じているのも2者間の話だけです ABがリーグ戦の中で他者と戦っているのか、またはいないのか そんなこととは関係のない話をしています 戦うのはABの2者だけですから ABの対戦成績=勝率です 「勝率」とい言葉は 「対戦成績」や「AがBと戦って勝つ確率」という表現も考えた上で ここで「勝率」を使っても誤解は招かないという判断であえて使いました それまでの私の書き込みを読んでもらえれば 「勝率」と「対戦成績」は注意深く使い分けていることが わかるかと思います その下には「1回負ければひっくりかえります」 がありますね もちろん「(AがBと戦って)1回負ければひっくりかえります」 の意味です AB間の対戦の話しかしていませんから()内を省略しています すべて言葉・文章が冗長にならないための配慮です しかしそんな箇所で引っかかる方がおられるとは 私の浅慮だったようです REE さんへ
あー違います違います やってる事はすごく単純なんです 原理は「三すくみサイコロ」と同じですよ じゃあもっと簡単な例を 今度は「より重い」を比較します A子B子C子の3人は いつも新しいダイエット法に挑戦しては 失敗しリバウンドするを繰り返しています この3人は誰が一番デブかを決めることにしました 毎月一日にシーソーで A子とB子 B子とC子 A子とC子 それぞれの重さを比べます 3ヶ月後の集計結果は A子はB子より重い(3回中2回A子のほうが重かった) B子はC子より重い(3回中2回B子のほうが重かった) C子はA子より重い(3回中2回C子のほうが重かった) こうなる組み合わせをみつけるのは簡単なので 数値をいちいち書きませんが 「三すくみサイコロ」と基本の原理は同じです 3人の体重の同時比較ではなく 2人を組にしての「対戦成績」なのがポイントですね 昨シーズンの巨人・阪神・広島の「三すくみ」も 2チーム同士の対戦成績の比較でした http://d.hatena.ne.jp/alchymia/20040325
および元となるNature誌の要約部分を和訳した文章です。 (Nature vol.428 (6981), 412-414 , (25 Mar 2004)) コリシンは作用範囲の狭い狭域抗生物質で、大腸菌とその近縁種によって産生され、またこれらに対して抗菌作用を示す。コリシン産生株は、よく混合した培養内では感受性株や耐性株と共存できないが、これら3種の表現型はすべて自然個体群で採取される。最近のin vitroで得られた結果から、古典的な非推移的じゃんけん(RPS=rock,paper,scissors)モデルの場合と同様に、空間構造をもった非推移的な相互作用でコリシン産生によって菌株の多様性が促進されうるとする結論が出されている。RPSモデルのコリシン版では、コリシンを産生する(C)株が感受性(S)株を殺し、S株は耐性(R)株を打ち負かすが、R株はC株を打ち負かす。これら3種の株をin vitroで1対1で競わせると、予測可能な順に帰着する(CはSに勝ち、SはRに勝ち、RはCに勝つ)が、3菌株のそろった系は動態の平衡を生み出すきっかけとなりうる。今回我々は、in vivoではコリシンをめぐる拮抗的な役割が存在することを結論づける証拠を提出し、コリシンは(またおそらく他のバクテリオシンも)環境中の微生物多様性を排除するよりはむしろ促進させる可能性があることを示す。
ITEMAE
引用ご苦労様です。
バクテリアも、好適環境というのがあるので、 組み合わせで、有利不利がでることはあるでしょう。 「ひとつの2者比較」 と、「もうひとつの2者比較」があるのは、 日ハム−楽天、西武−日ハム、楽天−西武の関係みたいなもんです。 (だから、どうだ・・・というレベルの話です) 「何らかの客観的基準」〜例えば、耐熱性とか、対ストレプトマイシンとか〜 きっちりきめて比べたら、「3すくみ」にはなりません。 >その新たな例のどこが>>182の鳥の例と違うんでしょうか?
同じです わかりやすくシンプルにしただけです >一般的な比較方法が確立してるものを捻じ曲げてはいけません。 いはらさんの例にあげた「三すくみサイコロ」は 「サイコロの目の大小」の「勝つ確率」で「より強い」を定義するものでした (これは勝った割合ではなく 勝つ確率ですね) そもそもサイコロの目が大きいは「強い」じゃないと思いますが まあそういう定義だった訳です 同じことをしているんです ではここで「三すくみサイコロ」の話に戻ります 「多い」「長い」「重い」と違って 「強い」は数値に置き換えることができない だから「三すくみ」になる場合がある そんな話の流れがあったと思うけど そもそも「サイコロの目」って「数」だよね ABC3人がそれぞれ長さの違う6本の鉛筆を持っている 誰の持っている鉛筆が長いか比べることにしました AとBが自分の鉛筆をランダムに1本選び2本の長さを比べる この長さ比べでAの鉛筆のほうがBより長い確率が Bの鉛筆のほうがAより長い確率よりも大きければ Aの鉛筆はBの鉛筆より長いとします・・・・・・ こうすれば「三すくみサイコロ」はそのまま 「より長い」を比べた場合の「三すくみ」の話になりますね 「より強い」ではなく「より長い」にしてもまったく同じ話です 「強さ」の推移性は証明できるかと議論をしていたこのスレで 「三すくみサイコロ」は的をはずれた無関係の例証だったんです まあ「三すくみ」の話ですから関連ネタではあったのですが ボムボム さんへ
貴重な報告ありがとうございました とても勉強になります 私が浅学であるため不明な点があるのですがよろしいでしょうか コリシンを産生する (C)株 は コリシン耐性をもたない 感受性(S)株 を殺せる ここまでは理解できます なぜ S株 は 耐性(R)株 に勝つといえるのか なぜ R株 が C株 に勝つといえるのか その理由・根拠があれば教えていただけませんか >永久駆動さん
同じような例をいくつ作っても意味がありません。 その鉛筆も鳥&デブと同じです。 >そもそもサイコロの目が大きいは「強い」じゃないと思いますが 強さを定義する場合、何に関する強さかを決めなければ話になりません。 そのためには特定の基準を定義する必要があります。 一方、長さや重さは比較方法が一般的に決まっています。 (長さに関しては測定する部分を決める必要はありますが) 三すくみサイコロは目の大きさで三すくみなのではありません。 >「サイコロの目の大小」の「勝つ確率」で「より強い」を定義 したことによって強さで三すくみになったのです。 >永久駆動さん
英語からの解釈なため、誤訳・誤認識があるかもしれません。 たぶん下のような内容だと思います。 「毒産生(C)が毒感受性(S)に勝つ」 これはいいと思います。 「毒感受性(S)が毒耐性(R)に勝つ」 Rの毒耐性を担っている細胞膜上のレセプターが生命活動にも関連していて、栄養摂取という面でSに負けます。 栄養面でSとRは競争関係にあるため、SはRに排除されることになります。 「毒耐性(S)が毒産生(C)に勝つ」 コリシンは自分にも有効な毒なようで、コリシンと結合するタンパク質を同時に細胞内に生成して防いでいるようなのですが、自分が出したコリシン自体によって死ぬ菌もいるようです。 そのため成長のスピードが劣って競争関係ゆえ排除されるようです。 生存競争という観点から見ると、CSRは二つ同士では共存できず一つが生き残るが、三つでは共存できるようで、「二種間での生存競争を考えて生き残る方」を「勝ち」と言っているようです。 「in vitro」とは「体外で」という意味なので、おそらくシャーレなどに二種の株をのせて生存競争させたのだと思います。 >ITEMAEさん 「生存競争の強さ」ではいかがでしょうか? 「シャーレに二種の株を載せて排除される方が弱く、残った方が強い」というのは客観的だと思いますが… 論文として投稿されているということは、実験再現性があると考えられるので、どちらが残るか必ず決まっている(誰がやっても同じ結果)と思います。
ITEMAE
>「生存競争の強さ」ではいかがでしょうか?
2者比較は「別々に」できると思いますよ。もちろん。 ただ、西武、楽天、日ハムの比較と同様、 土俵が違います。 REEさんへ
>一般的な比較方法が確立してるものを捻じ曲げてはいけません。 百歩ゆずって「サイコロの目」での「より強い」の定義が妥当なのものだとします それでも3つのサイコロを同時に転がして 「さあどの目が一番大きいか?」が単純で自然ですよね 2者間の対戦成績で決めるというのは不自然で変則とは思いませんか? 野球の「三すくみ」も変ですよ 昨シーズンなら勝率による順位はついています 昨シーズンの3チームの強弱を知りたければ 順位を調べるのが当然であり合理的であり 「一般的な比較方法」です わざわざ2チームを組にしてから いちいち2チーム間の対戦成績で「より強い」を考えるのは 不自然で変則的で一般的ではありません No.117で私はこんな話をしました 「AはBより長い」 いやーぶっちゃけ言っちゃいますと AもBも伸び縮みしてるから 長さをきちんと比べられなかったんですね でもストップウォッチ使って計ってみたら Aが長くなってる時間のほうが多かったので まあAはBより長いとしておいたんですよハハハハ それに いはらさんはこう応えています >比較条件になりませんよね なります。 長さの平均値をその物体の「長さ」だと定義して、 その「長さ」をもとに「長い」「短い」ということにしたとすれば、立派な定義です。 ここにきて 「一般的な比較方法が確立してるものを・・・・・」 はいただけませんね 「三すくみサイコロ」が出たときとか せめて私がNo.117を書いたときに指摘すべきでした 問題内で
じゃんけんではないと言い切っては、いないので、 じゃんけんで有る可能性が有ると考えるのは、間違いではないと思う。 (3すくみで有ることの完全否定は問題内の情報では出来ない) なので、 「グーは、パーより強い。」は 正しい場合と正しくない場合があると考えるのは 間違いではないと思うので、 「正しい。」という本解は正確ではないと思う。 皆さんの議論も有意義なものであると感じつつ、
>>195 に賛成。 じつは国語の問題なのかも。 > では、以下の理屈はいかがでしょう。 と問われているので、 「三段論法ではない可能性もある。」が答えだったり。 ↓ REEさんからリアクションがあったので、 いまさら言うべきか迷っていた、文系の人間の考えを追記。 >「三段論法」ってご存じですか? > ひらたく言えば、 >1.「コーギーは犬である。」 >2.「犬は哺乳類である。」 > これが正しいならば。 >3.「コーギーは哺乳類である。」は正しい。 > というような理屈です。 そもそもこの出題文自体が、「この出題は論理問題である」と断言できなくさせるような、 「国語問題的な曖昧さ」を含んでいるから拙いのではないか と思うのですが。 REEさんの>>4 >1の結論は 「チョキより強い」2の条件は「チョキ」。 の意味するところは、 2.「犬であるならば哺乳類である。」 と書かなければ そもそも三段論法ではない。ということですよね。 > ご存じですか? > というような理屈です。 と書かれたことで、前提の正しさが曖昧になってるんですよ。 「「犬は哺乳類である。」と(雑に)書かれていても、ここでは 「三段論法」として正しいという前提で、ひとつよろしく。」という ITEMAEさんの含みを、読み取ることが可能かどうか。 文系脳の人は読み取れるが、理系脳の人は読み取れない。そんな感じ。 # さらに追記 > 理系の人間は「言葉の意味」=「定義」だと信じています > それに対し「言葉の意味」とは つまり用例だと考えるのが文系の人間 どこで読んだかと思ったら、永久駆動さんの立方体でした。
ITEMAE
>そもそもこの出題文自体が、「この出題は論理問題である」と断言できなくさせるような、
>「国語問題的な曖昧さ」を含んでいるから拙いのではないか と思うのですが まあ、「クイズ」ですから。 そんな完璧な論文にはなりません。 したがって、想定した答えでなければバツ、なんてリアクションはしていないつもりです。 >永久駆動さん
別に3者の順位をつけたいわけではないですからね。 今回の基本は2者の比較ですから。 AとBを比較するのに、わざわざCを持ち出す方が不自然です。 No.117の話のやりとりは、いはらさん宛の質問にいはらさんが答えただけですので、 私は直接は関知していませんが、 >Aが長くなってる時間のほうが多かったので の方は不適だと思います。 >長さの平均値をその物体の「長さ」だと定義して、 の方はありだと思います。 >かえるの妻さん >「三段論法ではない可能性もある。」が答えだったり。 明確に三段論法ではないです。 もうすぐ200レスでの打ち止めでしょうか。
ITEMAE
いやー、私自身、ピンクになったこと、初めてです。
ボムボムさん 丁寧な解説ありがとうございました
とても興味深い内容でした ケチをつけようとかそういう意図はありません あくまでも私の拙い感想ですが 「三すくみというにはかなり微妙かな」 コリシン を使って直接相手を殺す (C) と (S)の関係にくらべ あとの2つの関係は 「時間をかけて観察していたら片方の数だけ増えていた」ですね 細菌の繁殖って温度、水分量、栄養分、phとか 空気成分とか二次生成物とか、 いろんな物が関係しますよね たまたま片方に有利な環境だったとか あるいは片方の繁殖を要因として もう片方の繁殖が抑えられる環境ができたとか まあそれを「勝った」と言えば言えないこともないのですけど 私的にはすごく微妙です 生存競争での勝ち負けまで含めて考えれば 自然界には三すくみとか四すくみ五すくみとかいっぱいありそうです まあしかし「じゃんけん」や「三すくみ」の話から こんな面白い話も知ることができるんですね うまくいえないけど 揚げ足取りばっかりみたいな不毛な議論もあるじゃないですか でもやっぱり「生産的な議論」 「お互いの足りない知識を補いあうような議論」ていいですよね REEさんへ
「確立」しているかはわかりませんが 2者の強さを比べる方法は基本的に1つだけです 「両者が直接戦う」 これしかありません いまAとBが戦おうとしています そこでREEさんは言います 「対戦成績はAの6勝3敗。AはBより強い。」 これを聞いたBはREEさんに激しく抗議します 「おい待ってくれ。俺はこの日の対決のために 猛練習してきたんだ。Aに勝つ自信ががある。」 しかしREEさんは 「これからAとBが戦ってBがAに勝とうが AはBより強い。それに変わりはない。」 Bが激怒するのも当然です 一般的でも合理的でもなく実に不当で理不尽な判定です しかし「強い」を対戦成績で定義しているのであれば これで正しいんですよね? 「AはBより強い」をあくまでも率直にシンプルに解釈すれば 「戦えばAはBに勝つ」です しかし「対戦成績の定義」では 戦えばどっちが勝つかわからない せいぜい“すこし分がいい”という意味でしかありません でもREEさんはそういう定義をした場合なのだから それで正しいといわれました 「三すくみサイコロ」の手法を使って 3者を2者づつバラバラにしてから 「どちらが○○か」の計測を繰り返し 結果を対戦成績的に集計すれば 「多い」でも「重い」でも「長い」でも「三すくみ」を作れます 何のことはない野球の話ででてきた「三すくみ」と同じです つまり捻じ曲げたような定義ではなく十分ありうる計測手法です 3人がシーソーで体重を比べる話も 普通にありえるケースだったでしょ? 最も一般的だとはいえませんが 一般的に使われても不自然ではない計測法だと思います 私が「より強い」でなくても「三すくみ」になる例をあげたとたん 重さなら体重計だけを使え 長さならものさしだけを使え 「確立した一般的な計測法」しか認めないですか? 唐突にでてきた指摘でびっくりしました 私が論理条件の「より強い」は絶対的な強弱関係だけを意味する そう解釈するのが正しいと書いたときには No.147 で REEさんはこう反論しています >問題に「強い」の定義がないので、あらゆる場合を想定する必要があります。 「強い」には「一般的な比較方法が確立していない」から あらゆる定義、変則的定義も想定しなさい 「重さ」「長さ」ならただ普通に測るべきだという ・・・・なんだか後付けみたいな理屈だと 私は感じましたがいかがでしょう さてそろそろ打ち止め終了ですね と思ったら私が2つ使ったのでラス1? あーどうしましょう 誤解されているようなので
>重さなら体重計だけを使え >長さならものさしだけを使え 重さ(体重)をシーソーで比べることは問題ありません。 長さを並べて比較するのもありです。 私が否定したのは、上記で比べて重い/長いことが多い方を重い/長いとする という再定義部分です。 REE さんへ
何度もダイエットやリバウンドしてる 女の子たちの体重は日々増減がありますね シーソーで何度か体重を比べたとします A子はB子との体重のくらべっこを10回やって A子のほうが重かったのが8回 B子のほうがが重かったのが2回 この結果を見て 「A子はB子より重い」 これは十分ありうる判断ではないですか? 普通にやっておかしくない判定であり 不自然な判定、捻じ曲げた定義とはいえないのでは? 考え方は対戦成績を参考に 「AはBより強い」というのと全く同じですよ 現実には例えばサンプル調査として行われます AとBの2店のスーパーがあって 明治ブルガリアヨーグルト A店のほうが安かった 解凍サンマ一匹 B店のほうが安かった 国産牛肩切り落とし A店のほうが安かった 3品中2品A店のほうがB店より安かった 結論 A店のほうがB店より安い とかね ほら普通にやっているでしょ >多い方を重い/長いとする という再定義部分です。 それが私が論理にもちこんではいけないと 何度も言ってきた「確率的な分析手法」です 「10回中8回勝ってる方をより強いとする」 この定義が成立するなら 「10回中8回重かった方をより重いとする」 この定義を排除する理由はないと思います ↓おっと書き込みエラー返信不可でした 残念水入りです >1枠増やしました。 ありがとうございます でも REEさんが反論を書けないのでは 私だけ書いても意味がない まだまだ書きたい事はたくさんあるけど いずれにせよどこかで終わらなきゃだしね 最後の1枠はITEMAEさんが締めてください
ITEMAE
1枠増やしました。
いい加減>>185からずっと言い続けているポイントを理解して欲しいのですが…
確率・統計的な定義を否定しているのではなく、「再定義」を否定しています。 「重い」は定義済みです。「強い」は未定義です。 ○「10回中8回勝ってる方をより強いとする」 ×「10回中8回勝ってる方をより重いとする」 ×「10回中8回重かった方をより重いとする」 ○「10回中8回重かった方をより強いとする」 重いの再定義を許すなら、「重くない方を重いとする」とかも成立してしまい意味が分からなくなります。 ----------------- きりがないのでこのまま終わりでもいいと思います。
ITEMAE
「パスワード方式」の書き込み提案がありましたが、
消させていただきました。 それをやっちゃうと、そのコメント欄は永久に「ロック」できませんので、 出題者が管理できません。 どうしても、議論を続けられたい方は、 ご自身の過去コメントを1つ削除して、枠を増やしてください。 (基本的に同じ内容の模様替えのものが多いので、それで不自由はないはずです。) ★「初登場」の方のために、1枠はあけておきます。ご協力ください。 論議は尽きませんが、「ふたつの中身」があり
1:>「強い」の推移性について これは、光の強さ、音の強さ、とかに、計測単位がつく時点で、 そういうものの「強さ」については、「重さ」や「広さ」と同程度の基準があると解釈していいと思います。 (いや、駄目だ、というなら、私に言われても困りますので単位を作った人にクレームを…) 出題が、「理屈として、・・が正しいなら・・」ということですので、単位があるのが理屈に合わない、 ってことはないでしょう。 「硬さ」は比較の単位であるのですが、いちおうの基準ははっきりしていますので、 例えば、Hの鉛筆と、2Hの鉛筆と、6Hの鉛筆で、順番はキッチリしています。 2:「3すくみ」の問題。 直接対決の「勝ち負け」を、「強い弱い」というかどうかの問題は、私としては、 「2者だけで言うのならば、あり」としても、 「3者」になった段階で「基準が変わる」ので、 同じ基準での「3すくみ」はありえないと思います。 「確率論」で言った場合でも、たとえば、「100m走勝負」みたいな、 公認コースで条件のはっきりしている場合、「3すくみ」にはならんと思います。 いろんな例を出されて論議されてるんですが、 結局は、 「世間でそのモノサシが認められているのか?」 の問答になっちゃいますかねー。 |