Re: “思索”にふけり“自作” 清濁の扉 ( No.49 ) |
- 日時: 2007/04/05 13:38
- 名前: たいふ
- 漸く時間が取れました。
>ダウディさん さて、何と比べましょうか…そうですねぇ、しばしばテレビなどでも用いられているタバコの箱と 比較しましょうか 
A:かなり大きいですよ、そして重いです。(タバコの箱よりは) 
B:比較のしようがありません。
では、私なりに纏めてみましょう。
A:それは場所や感情ではなく「物」である。小学生でも知っているにも関わらず、私自身は物 だという認識はしていなかった。日本に限らず世界各国にこの言葉の意味する物はある。 物である以上見ることも触れる事も可能であるが、様々な動きを見せますから…危険を伴う 場合もあるかも知れない。 家庭内には存在したり存在しなかったりそれぞれです。(私の家には存在しませんが) 人間が生きていく上で必要かどうかは判断の分かれるところではあるが、人間との関わりは かなり深いものがある。 これを考えてリラックスするにはかなりの想像力を要する、下手をすればストレスさえも感じ かねないタバコの箱より重く大きな…そんな「A」
B:それは、場所や感情でもなく物でさえない。従って動くことも大きさを見ることも触れる事も 出来ないが、感情でないにも関わらず、「感じる」ことは出来なくもないかも知れない。 家庭内に存在する…という言い方も違和感があるが、存在すると言えないこともない。全ての 家庭に存在しているとは決して言えない。小学1年生は恐らく知らないと思うが、人間が生きて いく上で、不必要だと言うものは先ずいないだろう。 A同様日本的ではなく、世界各国で確認され得る…人によっては癒しを感じたりもする…「B」
AB共に3文字以上で10文字未満(濁点を付けるだけですからね) 「物」であるにも関わらず、私が「物」ではないと判断したということは…A=生物
残り質問数「10」 回数に制限を設けず、かなりの数の解答が出たにも関わらず…ふっ… 
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