nothing ( No.154 ) |
- 日時: 2009/07/01 17:37
- 名前: 永久駆動
- いはらさんへ
>「強い」を勝率によって定義した場合、「AはBより強い」は命題にならない >ということだと思われますが、明確に真偽が判定できますから立派な命題です。
真偽の判定についてではなくではなく 推論の材料にならないと言っています それができない事を示したのが下の例です
1 「Aは対戦成績でBに勝っている」 2 「Bは対戦成績でCに勝っている」 ここから ABC間の強弱関係の推論はできません
自分の望む結論が導けないという問題ではなく そんな定義で示された命題は まず「推論の材料」として妥当ではないと言っています
REE さんへ
>そういう強さの定義も考えられるからこそ
つまり「日本語解釈上特に違和感のない」 普段はそういう使われ方をする言葉だという事ですね
確かに「より強い」を考える推論で最大の障害となるのはそこです でも私はそれはあくまでも錯覚・誤解であり 誤った先入観に拠る誤った表現だと考えています
No.88でも書きましたが 私たちは毎日、野球やサッカーや相撲や将棋で 同じレベルの者同士が勝ったり負けたりするのを見ます そして「○○は強い」「○○は弱い」というコメントを毎日聞きます
そのためわずかでも勝ち越していれば「より強い」と思う 対戦成績は毎日のように変わり「より強い」「より弱い」もコロコロ変わる そして「より強い」という条件からの推論には違和感を感じることになる 「それってAとCが直接対戦しないとわからないでしょ」となる
私たちの身近な試合や対戦はすべて矮小な箱庭の中での戦いです すべてはそこから生じた錯覚です
私が前に書いた ボクシングのチャンプ と 一般主婦 との試合のような 片方が一方的にいたぶる結果になる対戦は モラル的にも興行的にも実現は不可能でしょう だから私たちは見ることができない
それでも自然界は文字通り「弱肉強食」 捕食関係は一方的であり強弱関係は明瞭です
もしテレビを知らない狩猟部族に 「AはBより強い BはCより強い さてここで AはCより強いといえますか?」 と質問すれば 彼らは「あたりまえだ」と即答するんじゃないかな
「強い」とは勝率とか対戦成績とかの 毎日コロコロ変化するような関係ではない 「強い」とは相手を倒してエサとできること ただその事実を示す それは彼らにとって身近で絶対の自然の掟なんですから
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