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SHISHI1
永久駆動さん
>39の 「大円移動をうまくイメージしきれていないように思われます」
との事ですが、私の大円移動の基本認識は
”球面上に沿ってまっすぐ進むとそれは大円移動である」ということです。同時に
”赤道以外の緯線上移動は曲線移動である」も有ります。
ある方向に向かってまっすぐ進むことはその距離云々は関係なく大円移動になります。
>35の”つまり現実的な移動は大円上と緯線上の中間ではないかと思っています。”
の前に
途中の微調整が0回なら大円上で∞回なら緯線上になりますが、通常有限回の微調整を
行う為これらのどちらでもないと思われます。
の一文を入れておいたほうが良かったのかもしれませんね。
確かに巨視的に見ればこの回数が多くなり大円上よりも緯線上に近いものになるかも
しれませんが、微視的に見れば緯線上より大円上に近いものになるかもしれません。
(ボムボムさんの100m東の例などでは大円上ですし)
巨視的に見てこうだから微視的に見るのは間違いと言われるのでしょうか?
又、
>「この地面が球体だと知られていなかった時代からあります
だから「東に進む」に「大円移動」という意味があることはありえないのです」
にも少し疑問があります。これでは言葉足らずではないでしょうか?
「東に進む」に「緯線上移動」の意味は有るのでしょうか?
例えば普通の人に「東に○m進む時あなたはどうしますか?」とたずねた時
「常に東を確認しながら曲線状に進む」と答える人が何人いるでしょうか?
特に距離が短い場合には殆ど0だと思います。「東にまっすぐ○m進む」と
答える人が殆どではないでしょうか?これが△kmになると途中で確認をする
人が増え、何百kmになれば殆どの人が途中で確認するでしょう。
この例が正しければ微視的には大円上、巨視的には緯線上に近いとなるのではない
でしょうか?
又、昔は東の概念でさえあいまいなもので天測により方位を確認したのでしょうが、
もっと簡単な方法として日の出の方角を東、日没の方向を西としていたと思われます。
とすると春分秋分時には正しいのですが夏至、冬至時には大きく狂ってきます。
(方位磁石も日本では真北でない事を今でもどれだけの人が知っているでしょうか?)
この様に現実論で言うならばあいまいでいいかげんな点が多々ある事を地理的な
両極端である”緯線上”と”大円上”の2者択一的に考えるのは疑問だと思います。
>「東に進む」が99.9%「緯度線に沿った移動」を意味することになる大きな理由の1つは
私たちが普段目にする地図の99.9%が
真っ直ぐで水平な緯度線で東西を示しているからです。
ですから私達は普段の生活の中で
無意識に自動的に緯度線の先をイメージして東とか西とかいう言葉を使っているはずです
”そして結果論東とか西の方向にまっすぐ行き大円上の移動をしている”
とは考えられませんか?
>39の 「大円移動をうまくイメージしきれていないように思われます」
との事ですが、私の大円移動の基本認識は
”球面上に沿ってまっすぐ進むとそれは大円移動である」ということです。同時に
”赤道以外の緯線上移動は曲線移動である」も有ります。
ある方向に向かってまっすぐ進むことはその距離云々は関係なく大円移動になります。
>35の”つまり現実的な移動は大円上と緯線上の中間ではないかと思っています。”
の前に
途中の微調整が0回なら大円上で∞回なら緯線上になりますが、通常有限回の微調整を
行う為これらのどちらでもないと思われます。
の一文を入れておいたほうが良かったのかもしれませんね。
確かに巨視的に見ればこの回数が多くなり大円上よりも緯線上に近いものになるかも
しれませんが、微視的に見れば緯線上より大円上に近いものになるかもしれません。
(ボムボムさんの100m東の例などでは大円上ですし)
巨視的に見てこうだから微視的に見るのは間違いと言われるのでしょうか?
又、
>「この地面が球体だと知られていなかった時代からあります
だから「東に進む」に「大円移動」という意味があることはありえないのです」
にも少し疑問があります。これでは言葉足らずではないでしょうか?
「東に進む」に「緯線上移動」の意味は有るのでしょうか?
例えば普通の人に「東に○m進む時あなたはどうしますか?」とたずねた時
「常に東を確認しながら曲線状に進む」と答える人が何人いるでしょうか?
特に距離が短い場合には殆ど0だと思います。「東にまっすぐ○m進む」と
答える人が殆どではないでしょうか?これが△kmになると途中で確認をする
人が増え、何百kmになれば殆どの人が途中で確認するでしょう。
この例が正しければ微視的には大円上、巨視的には緯線上に近いとなるのではない
でしょうか?
又、昔は東の概念でさえあいまいなもので天測により方位を確認したのでしょうが、
もっと簡単な方法として日の出の方角を東、日没の方向を西としていたと思われます。
とすると春分秋分時には正しいのですが夏至、冬至時には大きく狂ってきます。
(方位磁石も日本では真北でない事を今でもどれだけの人が知っているでしょうか?)
この様に現実論で言うならばあいまいでいいかげんな点が多々ある事を地理的な
両極端である”緯線上”と”大円上”の2者択一的に考えるのは疑問だと思います。
>「東に進む」が99.9%「緯度線に沿った移動」を意味することになる大きな理由の1つは
私たちが普段目にする地図の99.9%が
真っ直ぐで水平な緯度線で東西を示しているからです。
ですから私達は普段の生活の中で
無意識に自動的に緯度線の先をイメージして東とか西とかいう言葉を使っているはずです
”そして結果論東とか西の方向にまっすぐ行き大円上の移動をしている”
とは考えられませんか?