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ボムボム
もう少し、僕の思ったことを追記させていただきたいと思います。
僕のイメージでは(あくまで僕個人のイメージです)、「東に進む」のスケールが大切ではないかなと。
例えば、東に100メートルと言われたら、僕は目標を決めてそっちに100メートルという、大円のイメージに近いものを想像します。
ところが東に一万キロなんて言われると、どうも想像しづらいというか、大円に沿った移動でも緯線に沿った移動でもどちらも想像してしまいます。
現実的にいって、100メートルの移動ならほとんど同じ場所にたどり着くと考えてしまうのですが、これは日本にいるからではないかなと。
例えば北極圏や南極圏、極端な話では北極点から1メートルだけ離れたところをスタート地点にとると、それぞれでかなり離れたところに到達するので、僕の持っている「東に100メートル」は確実に大円イメージだと言えます。
このことが気になったとともにもう一つ疑問が湧いてきたのが、「例えば北極点近くに住む人がいた場合、その人はどちらをイメージするんだろうか?」ということです。
日本語の辞書での東は「太陽の昇る方向」っていう書き方がされていたと思うのですが、この北極点に近い人たちの辞書にはこうは書かれていないのではないかなと。白夜があったりして困りますからね。太陽の昇る方向=東のイメージは持っていないのではないでしょうか。
これは今議論になっていることとは関係ないかもしれませんが、こういう人たちはひょっとしたら僕たちとは違うイメージを持っているのかもしれません。
ボムボム
僕のイメージでは(あくまで僕個人のイメージです)、「東に進む」のスケールが大切ではないかなと。
例えば、東に100メートルと言われたら、僕は目標を決めてそっちに100メートルという、大円のイメージに近いものを想像します。
ところが東に一万キロなんて言われると、どうも想像しづらいというか、大円に沿った移動でも緯線に沿った移動でもどちらも想像してしまいます。
現実的にいって、100メートルの移動ならほとんど同じ場所にたどり着くと考えてしまうのですが、これは日本にいるからではないかなと。
例えば北極圏や南極圏、極端な話では北極点から1メートルだけ離れたところをスタート地点にとると、それぞれでかなり離れたところに到達するので、僕の持っている「東に100メートル」は確実に大円イメージだと言えます。
このことが気になったとともにもう一つ疑問が湧いてきたのが、「例えば北極点近くに住む人がいた場合、その人はどちらをイメージするんだろうか?」ということです。
日本語の辞書での東は「太陽の昇る方向」っていう書き方がされていたと思うのですが、この北極点に近い人たちの辞書にはこうは書かれていないのではないかなと。白夜があったりして困りますからね。太陽の昇る方向=東のイメージは持っていないのではないでしょうか。
これは今議論になっていることとは関係ないかもしれませんが、こういう人たちはひょっとしたら僕たちとは違うイメージを持っているのかもしれません。