クイズ大陸



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長編推理劇場 『役者失格』 ≫No. 1
?月光 2007/05/24 16:35囁き
[捜査編・開幕]

「お疲れ様です、警部。」
堤刑事は桐生警部を現場へ案内しながら状況を説明する。
「被害者は遠野圭介、32歳。2階の自室で胸を刺され死んでいるのを通いの家政婦さんが発見し通報しました。被害者の部屋は荒らされていて争った形跡もあります。」
「第一発見者は家政婦か。家族はいないのか?」
「被害者の父親がこの屋敷の主です。遠野宗一郎、有名な歴史小説家ですよ。」
僕大ファンなんですよ、と付け加えた堤に桐生は気の無い返事をする。
「遠野先生は5年前に交通事故に遭われまして、先生は右足を負傷しただけで済んだんですが、一緒にいた奥様が亡くなられています。それ以来家政婦さんを雇い、現在は被害者と2人で住んでいたそうです。」
「ガイシャはどんな奴なんだ?」
「定職にも就かず、ギャンブルで莫大な借金を抱えていたそうです。で、絶縁状態だった先生の元に昨年押しかけて強引に住み着き、先生に金をせびっていたそうで…。ここにも取り立て屋が来て「金を返せ」と騒いだり物を壊したりしていて迷惑していたそうです。」
「ふーん。関係者の話は聞けるのか?」
「はい、お二人共部屋にいらっしゃいます。」
現場は割られた窓ガラスが散乱し、棚も机も荒らされている。8畳ほどの部屋で裏庭に面して窓があった。桐生は遺体の側に屈みこみかけられたシートをめくる。派手な服を着た背の高い大柄な男だ。打撲痕がいくつもあり、激しい格闘の跡が伺える。胸の刺し傷が致命傷となったようだ。
「凶器は見つかっていません。犯人が持ち去ったのでしょうか?」
「まだ何とも言えんな。関係者の話を聞きに行こう。」
応接室に下りると小柄な中年の女性と、厳格な雰囲気を漂わせた年輩の男性が座っていた。桐生達が入ると女性が立ち上がり家政婦の酒井昌子と名乗った。遠野は70歳を越えているとの事だが、体格がよく武術の達人を思わせる。遠野の左側には立派な細工のされた木製の杖が置かれていた。
「発見時の様子をお聞かせ願えますか。」
酒井が青ざめた顔で口を開く。
「私は7時に来て、先生の朝食をご用意して部屋の掃除をしようと2階へ上がったんです。」
「圭介さんの部屋も酒井さんが掃除を?」
「はい。先生から言われておりますので。それに昨夜またガラスが割られたようだから様子を見るよう言われました。」
「それで死んでいる圭介さんを発見したのですね。」
「はい…本当に驚きました。黒ずんだ血が広がっていて…忘れられません。」
「お察しします。昨日は圭介さんに会われましたか?」
「いえ、私は17時に帰宅しましたが会いませんでした。圭介さんはいつも深夜に帰って来られるようですので。」
「そうですか。遠野さん、夕べ圭介さんは何時ごろ帰られましたか?ガラスの割れる音を聞いた時どちらにおられましたか?」
遠野は天井を眺め考えながら答える。
「夕べは早くに隣の自室で床についたので、あいつが帰って来た事は知りませんでした。夜にガラスの割れる音を聞きましたが、事故で足を負傷しましてな。杖があれば歩けますが2階へは誰かの手を借りねば行けませんので、どうせいつもの事だ、また修理屋を呼ばねばと考えながら眠ってしまったのです。」
「それでは酒井さんが発見されるまで圭介さんの死をご存知なかったのですか?」
「えぇ。酒井さんに2階の掃除を頼んだら真っ青な顔で彼女が下りて来て、2人で部屋に行くとあいつが死んでいて…情けない事に放心してしまいました。」
「他殺体を前にしたら誰でもそうなりますよ。最後に圭介さんと顔を合わせたのはいつですか?」
「2日程前です。昼間から酒の臭いをさせて金をくれとぬかしおるので、私はお前の借金など知らん、住まわせてやってるだけ有りがたいと思えと一喝してやったんです。お恥ずかしい話ですが、遅くに出来た一人息子でしてな。甘やかした結末がこれです。」
自嘲気味に言って遠野は桐生を見つめる。
「やはり圭介は金貸しの連中に殺されたんですかな?」
「まだ何とも言えません。怨恨や物盗りの犯行の可能性もありますし、圭介さんの部屋から無くなっている物がないか一緒に見て頂きたいのですがよろしいですか?」
「いいですよ。行きましょう。」
立ち上がる遠野の右側から酒井が手を貸した。堤が遠野の杖を取ってやろうと手を伸ばした瞬間、遠野が叫んだ。
「触るな!」
「あ…すみません。」
遠野の剣幕にびくりと手を止め謝る堤。緊迫した空気にはっとした表情で遠野は堤を見つめた。
「あ、すまない。これは、妻の形見でしてな。つい神経質に…。」
桐生が場を和ませるように口を開く。
「こんな状況ですから神経質になるのも無理はありませんよ。」
そして思い出したかのように言葉を続けた。
「そうそう、堤は遠野さんの大ファンだそうですよ。」
「ほう。小難しい物ばかり書いておるので、若い読者がいたとは嬉しいですな。」
「堤、せっかくだからサインを貰ったらどうだ?」
「桐生さん、こんな時に何を…。」
桐生は堤の言葉を遮り遠野に問い掛ける。
「遠野さん、よろしいですか?」
「構いませんよ。先程の親切に対する私の非礼をお詫びしなくては。」
遠野は堤から手帳を受け取ると左手に万年筆を取りサインをする。
「ありがとうございます!あっ、遠野先生は左利きでいらっしゃるんですね。」
「へぇ、遠野さんのお歳で左利きというのは珍しいのではないですか?」
「そうですな。筆も箸も全て左です。幼い頃親に矯正させられましたが直りませんでした。」
堤に手帳を返し大事そうに仕舞うのを見て遠野は桐生に視線を移す。
「では行きましょう。」
酒井に支えられ遠野はゆっくり階段を上がる。小柄な酒井は体格のいい遠野を支えて階段を上がるのに苦労している。現場はガラスの破片と遺体は片付けられていたが、荒らされた箇所はそのままでカーペットにも黒々と血の痕が残っている。
「何か無くなっている物がないか見て下さい。現場検証は済んでますので触っても構いません。」
頷いて遠野は杖を右手に持ち替え部屋を見て回る。酒井は発見時を思い出したのか、右手にハンカチを握り青ざめた顔で壁にもたれ掛かっていた。
「あいつの持ち物全てを把握してはおりませんが、安っぽい貴金属類が無くなっとるようです。」
「そうですか。圭介さんが使っていたのはこの部屋だけですか?」
「そうです。」
「わかりました。ありがとうございました。」
階段を下りながら堤は小声で桐生に問い掛ける。
「被害者の財布も見つかりませんし、やはり金貸し業者の犯行でしょうか?」
それには答えず桐生は遠野達に声をかけた。
「では何か思い出した事があればいつでも言って下さい。」
「わかりました。早く犯人が捕まるよう願ってますよ。」
「尽力します。」
遠野は新聞やぶ厚い書籍を右手に抱え杖をつきゆっくりと自室に向かって行く。検死の結果が出たと連絡を受け、桐生達は屋敷を出た。
[捜査編・閉幕]


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