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SHISHI1
2007/04/27 21:47
「THE CUBE」の頃から静かに地下で興味深く見させていただいておりました。
立方体の内部問題から定義へと移り、今は空間的四次元ですか?
(あえて”空間的”をつけさせていただきます。時空間的な表現での四次元と区別する為)
当初は領域論から境界論になるのかと思っていましたが話は発展するものですね。
さて、空間的四次元を論議されている皆さんに多少の質問をしても良いですか?
>21で永久駆動さんは ”「つづみ」の真ん中をスパッと切れば断面は小さな円です”
とかかれております。それはなぜですか?円になるように持ち上げたのならそうでしょうが
例えば四角くなるように持ち上げられないでしょうか?
同じく>23で”三次元人が円の真ん中をつまむともうそれは2次元図形の円ではなくなります
つままれた瞬間にもうそれは「立体」です”と書かれております。では二次元的な感覚では
それは何になったのですか?ここいらは誰も疑問に思っていないみたいなので・・・
(違っていたらごめんなさい)
つまり私が言いたいのは円子ちゃんの真ん中を三次元的に摘み上げても円子ちゃんにとっては
何ら状況は変わっていないはずです。もし変わっていると認識するならばそれは三次元的な
認識のはずです。例えばXYZ軸でz=0平面に円子ちゃんがいたとして真ん中をz=1に引っ張る
とします。z=0への投影した形状が変わりませんので何ら変わらないと思います。これは
座標表現で言いますと(x,y,0)⇒(x,y,1)としてもZ軸の認識が無ければ(x,y)⇒(x,y)で
変わらないからです。よって>21 に私は”任意の形状”と答えたいし、>23では”三次元的には
立体になったが二次元的には何ら変わっていない”と答えたい。
空間的な四次元の問題でも同様なことが考えられると思っています。例えば(x,y,z,ω)軸とすると
われわれはω軸の認識が無いので常に(x,y,z)=(x,y,z,0)にて考えていますがここでω軸に
数字が入っていたとして認識できるのか?(当然のごとく三次元的な連続性は守られている
ものとして)きっと出来ないと思います。入っていたとしても三次元座標的には認識できない
からです。歪み議論も同じ事で三次元的には歪んでいないものと思っております。
(空間的四次元的に見て歪んでいるのかの議論は一寸難しいので今はパスさせてください。
ただ(x,y,z)座標で一つの座標を無視して二次元座標に投影したもの=投影図(写真)
と考えるとω軸に数字が入っていて(通常はω軸は認識できない)このω軸以外の一つの軸を
無視して三次元投影された姿など想像したくもありません)
最後に最初の設問に一寸戻って
・空気は物体ですか?
・もしここに光の直進性を妨げず境界面で屈折、反射、吸収、周波数変化等の一切の
現象を起さないもので出来た(もちろん中は詰まっていても問題ありません)
立方体形状のものがあった時それを立方体と呼んでいいのでしょうか?
余談ですが私も”クラインの壷”は嫌いです。いやそれ以上に”メビウスの輪”が嫌いなんですが
と言うのも二次元的に考えると”紙の裏表”はあるのでしょうか?私は無いと思っております。
よく子供向けの説明で”メビウスの輪”の表面を二次元人が歩いて行き知らないうちに
裏に来ていてビックリするような説明がありますがあれはどう考えても?二次元はあくまでも
面ですから(x,y)をz方向から見ても-z方向から見ても同一だと思っているからです。
(裏表があるとはこれが違うと言うことだと思っておりますので・・・)
質問ばかりして申し訳ありませんでしたが皆さんの議論にこんなことを考えているやつも
いるといった認識の範囲で考えに入れてみてください。
立方体の内部問題から定義へと移り、今は空間的四次元ですか?
(あえて”空間的”をつけさせていただきます。時空間的な表現での四次元と区別する為)
当初は領域論から境界論になるのかと思っていましたが話は発展するものですね。
さて、空間的四次元を論議されている皆さんに多少の質問をしても良いですか?
>21で永久駆動さんは ”「つづみ」の真ん中をスパッと切れば断面は小さな円です”
とかかれております。それはなぜですか?円になるように持ち上げたのならそうでしょうが
例えば四角くなるように持ち上げられないでしょうか?
同じく>23で”三次元人が円の真ん中をつまむともうそれは2次元図形の円ではなくなります
つままれた瞬間にもうそれは「立体」です”と書かれております。では二次元的な感覚では
それは何になったのですか?ここいらは誰も疑問に思っていないみたいなので・・・
(違っていたらごめんなさい)
つまり私が言いたいのは円子ちゃんの真ん中を三次元的に摘み上げても円子ちゃんにとっては
何ら状況は変わっていないはずです。もし変わっていると認識するならばそれは三次元的な
認識のはずです。例えばXYZ軸でz=0平面に円子ちゃんがいたとして真ん中をz=1に引っ張る
とします。z=0への投影した形状が変わりませんので何ら変わらないと思います。これは
座標表現で言いますと(x,y,0)⇒(x,y,1)としてもZ軸の認識が無ければ(x,y)⇒(x,y)で
変わらないからです。よって>21 に私は”任意の形状”と答えたいし、>23では”三次元的には
立体になったが二次元的には何ら変わっていない”と答えたい。
空間的な四次元の問題でも同様なことが考えられると思っています。例えば(x,y,z,ω)軸とすると
われわれはω軸の認識が無いので常に(x,y,z)=(x,y,z,0)にて考えていますがここでω軸に
数字が入っていたとして認識できるのか?(当然のごとく三次元的な連続性は守られている
ものとして)きっと出来ないと思います。入っていたとしても三次元座標的には認識できない
からです。歪み議論も同じ事で三次元的には歪んでいないものと思っております。
(空間的四次元的に見て歪んでいるのかの議論は一寸難しいので今はパスさせてください。
ただ(x,y,z)座標で一つの座標を無視して二次元座標に投影したもの=投影図(写真)
と考えるとω軸に数字が入っていて(通常はω軸は認識できない)このω軸以外の一つの軸を
無視して三次元投影された姿など想像したくもありません)
最後に最初の設問に一寸戻って
・空気は物体ですか?
・もしここに光の直進性を妨げず境界面で屈折、反射、吸収、周波数変化等の一切の
現象を起さないもので出来た(もちろん中は詰まっていても問題ありません)
立方体形状のものがあった時それを立方体と呼んでいいのでしょうか?
余談ですが私も”クラインの壷”は嫌いです。いやそれ以上に”メビウスの輪”が嫌いなんですが
と言うのも二次元的に考えると”紙の裏表”はあるのでしょうか?私は無いと思っております。
よく子供向けの説明で”メビウスの輪”の表面を二次元人が歩いて行き知らないうちに
裏に来ていてビックリするような説明がありますがあれはどう考えても?二次元はあくまでも
面ですから(x,y)をz方向から見ても-z方向から見ても同一だと思っているからです。
(裏表があるとはこれが違うと言うことだと思っておりますので・・・)
質問ばかりして申し訳ありませんでしたが皆さんの議論にこんなことを考えているやつも
いるといった認識の範囲で考えに入れてみてください。