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謎の詩人
2005/04/13 21:52
不可能を可能にするのは可能だと思いますよ。
僕たちが不可能だと思っているのは、ただたんに、思い込みなのかもしれない。
無論、
思い込みだ。ということは立証できない。
しかし
思い込みではない。これも立証できない。
これも一見の事実。
人間の脳は、不可能ということを決め付けてしまいますが、不可能がありえるかもしれません。
確かに、今現在不可能なこともあるかもしれません。
しかし、未来には可能になるかもれない。
また、現在不可能だったことが、可能になってきたことは、今まで何回もある。
昔は、洗濯を機械ですることなど不可能だった。
機械がないから。
しかし、機械が作られたことで、可能になった。
つまり、不可能が可能になったわけです。
とはいえ、僕も超能力は信じていません。
千里眼とか、宇宙人とか。
それは信じていません。
しかし、それは自分の思い込みかもしれない。
信じない理由として、証拠がないから。
テレビで、やっていますが、事前に打ち合わせをしておけばいいだけです。
しかし、事前にうちあわせをしていたことを立証することは不可能。
ようするに、立証が可能なの物は、あまり無いということです。
たとえばです。
100メートルの道があるとします。
0メートルの部分から、100メートルわたりきったとします。
この中で、確かに67・23メートルの部分も歩いたわけです。
これは、事実ではありますが。
立証はできない。
ここにつくには、そこを通らなくてはならない。
これは、立証できていないと思う。
なぜなら、通らないといけないという証拠ではあるが、
そこを通ったという証拠ではないからだ。
どちらにしろ、不可能は可能にできるかもしれない。
立証できないことも、証拠があれば、立証は可能できる。
水と油は混ざらない。
これは常識であり、混ぜることは不可能とされている。
しかし混ざるかもしれない。
物理的に見ても、確かに混ざらないかもれない。
でも、条件さえ違えば混ざるかもしれない。
人間の常識とはその程度の範囲だ。
知っていることよりも、知らないことのほうが多い。
1年生は、分数の掛け算はできないが、
中学生はできる。
同じ人でもだ。
可能になったじゃないか。
無論、この考え方も思い込みかもしれない。
また、皆様の認めない。こちらのほうが正しいのかもしれない。
しかし、人間の思想である以上は、違う可能性もある。
なぜなら、人間が言うことには、すべて反論の余地があるからだ。
一見無いように見えたって、実はあったかもしれない。
喧嘩で使われる、なんで?がその典型的な語句だ。
たとえば
馬鹿
なんで?
あたまがくるってるから
なんで?
ばかだから
なんで?
うまれつき
なんで?
神が決めたから・
なんで?
一生終わらないですよ。
つまり、相手が、どれだけ筋の通ったことを言っても、筋が通っているだけで、反論の余地はあるということです。
たとえば、
1年生に、
角度190度の板に、ビー玉を転がす、初速は時速50cm、なお、空気抵抗、摩擦は無いものとする。
1年生に解けるわけが無い。
僕もわかりません。
しかし、
わかることがあります。
板から落ちる。
これは筋が通っている。
しかし、これは、答えとしては間違っている。
しかし、板から落ちるのも事実。
しかし、科学的には間違っている。
つまり、人間が用意する答えには、常に何個か答えがあるということだ。
人間は、未来を予測することはできない。
天気予報。
あくまで
予報なのだから。
しかし、予報することは可能になっている。
それだけ、技術が発達し、可能に近づいたということだ。
この意見は間違っているかもしれないが、
立証はできない。
不可能を可能にするならば、やるのは人間だ。その人間が不可能と決め付けては始まらない。
不可能は時によって可能になる。
以上
謎の詩人 2005/04/13 21:52
僕たちが不可能だと思っているのは、ただたんに、思い込みなのかもしれない。
無論、
思い込みだ。ということは立証できない。
しかし
思い込みではない。これも立証できない。
これも一見の事実。
人間の脳は、不可能ということを決め付けてしまいますが、不可能がありえるかもしれません。
確かに、今現在不可能なこともあるかもしれません。
しかし、未来には可能になるかもれない。
また、現在不可能だったことが、可能になってきたことは、今まで何回もある。
昔は、洗濯を機械ですることなど不可能だった。
機械がないから。
しかし、機械が作られたことで、可能になった。
つまり、不可能が可能になったわけです。
とはいえ、僕も超能力は信じていません。
千里眼とか、宇宙人とか。
それは信じていません。
しかし、それは自分の思い込みかもしれない。
信じない理由として、証拠がないから。
テレビで、やっていますが、事前に打ち合わせをしておけばいいだけです。
しかし、事前にうちあわせをしていたことを立証することは不可能。
ようするに、立証が可能なの物は、あまり無いということです。
たとえばです。
100メートルの道があるとします。
0メートルの部分から、100メートルわたりきったとします。
この中で、確かに67・23メートルの部分も歩いたわけです。
これは、事実ではありますが。
立証はできない。
ここにつくには、そこを通らなくてはならない。
これは、立証できていないと思う。
なぜなら、通らないといけないという証拠ではあるが、
そこを通ったという証拠ではないからだ。
どちらにしろ、不可能は可能にできるかもしれない。
立証できないことも、証拠があれば、立証は可能できる。
水と油は混ざらない。
これは常識であり、混ぜることは不可能とされている。
しかし混ざるかもしれない。
物理的に見ても、確かに混ざらないかもれない。
でも、条件さえ違えば混ざるかもしれない。
人間の常識とはその程度の範囲だ。
知っていることよりも、知らないことのほうが多い。
1年生は、分数の掛け算はできないが、
中学生はできる。
同じ人でもだ。
可能になったじゃないか。
無論、この考え方も思い込みかもしれない。
また、皆様の認めない。こちらのほうが正しいのかもしれない。
しかし、人間の思想である以上は、違う可能性もある。
なぜなら、人間が言うことには、すべて反論の余地があるからだ。
一見無いように見えたって、実はあったかもしれない。
喧嘩で使われる、なんで?がその典型的な語句だ。
たとえば
馬鹿
なんで?
あたまがくるってるから
なんで?
ばかだから
なんで?
うまれつき
なんで?
神が決めたから・
なんで?
一生終わらないですよ。
つまり、相手が、どれだけ筋の通ったことを言っても、筋が通っているだけで、反論の余地はあるということです。
たとえば、
1年生に、
角度190度の板に、ビー玉を転がす、初速は時速50cm、なお、空気抵抗、摩擦は無いものとする。
1年生に解けるわけが無い。
僕もわかりません。
しかし、
わかることがあります。
板から落ちる。
これは筋が通っている。
しかし、これは、答えとしては間違っている。
しかし、板から落ちるのも事実。
しかし、科学的には間違っている。
つまり、人間が用意する答えには、常に何個か答えがあるということだ。
人間は、未来を予測することはできない。
天気予報。
あくまで
予報なのだから。
しかし、予報することは可能になっている。
それだけ、技術が発達し、可能に近づいたということだ。
この意見は間違っているかもしれないが、
立証はできない。
不可能を可能にするならば、やるのは人間だ。その人間が不可能と決め付けては始まらない。
不可能は時によって可能になる。
以上