>>66 のs_hskzさんのご質問にお答えします。
>場合A、場合Bが1:1で起こるからこそ、赤チョーカーか青チョーカーが、1:2の比率で起こるのでなないでしょうか。
この言葉を、言葉を足して考えると、こういうことだと思います。
【外の世界で】場合A、場合Bが1:1で起こるから、
【夢の世界で】赤チョーカーか青チョーカーが、1:2の比率で起こる。
要するに私は、【場合AかBか】ということと【チョーカーが赤か青か】ということは、
本質的には同じことだと見なしていて、ただ、
数学的にではなく、国語的に見て、【場合AかBか】の方は、より、【外の世界で】というニュアンスが強いな、と。そこで、
「場合Aである」という言葉には自動的に「外の世界で」をつけて解釈し、
「チョーカーが赤である」という言葉には自動的に「夢の世界で」をつけて解釈し、
No.24のような解答を、一度は作ったのですが、
あくまで「国語的に」判断したことですので、
【場合AかBか】と【チョーカーが赤か青か】の間に、本質的な違いがあるとは、
考えていません。あくまで私の立場は、
【本質的な違いとは、確率をどの時点で確定させるのか】です。
(ア)
あくまで、「夢の世界」で、目覚めさせられたときの、
目覚めを「一回」とカウントする立場を取るのであれば、
たとえ外の世界で、場合Bが1回しか起きていなくても、
夢の世界では2回とカウントしないと、つじつまが合いません。
(イ)
夢の世界の2回を、外の世界の1回と対応づける、と考えるのならば、
Aで目覚めた体験の重み付け1、
Bで目覚めた体験の重み付けは1/2と、
ちがう重み付けをしなければなりません。
(ウ)
これら(ア)も(イ)も受け入れないというなら、
それは、「眠り姫問題の、設問の条件云々は関係なく、単に、外の世界で起きていることの確率を求めただけ」になると思います。
つまり、(ウ)の立場というのは、すこし踏み込んで言えば、
眠り姫の条件で、主観的確率を求めることは、ありえない。
主観的確率は定義不可能、と言っているのと同じじゃないでしょうか。
(この主張も、ありうると思っています。但し明示的にそう言うべきでしょう)
↑
ちなみに(ア)が1/3派 (イ)が1/2派。 (ウ)は・・・(何派でしょう?)
このスレの内容に対して、私がずっと主張していることは、
(たとえばお金なら確率から期待値を計算出来るはずなので)
どの時点でその金額を確定するのか、すなわちどの時点で確率の値を確定するのかによって、数値が変わってしまうという点。
【全て実験が終わったあと、目覚めてからバイト代が確定していることを知る、という設定では、夢の世界の中で確率やバイト代の期待値の計算はできない】ということを主張しています。これだと単に外の世界での確率を求めただけになってしまいます。←それじゃ眠り姫問題じゃないでしょ、という主張。
私の、No.24の解答では、
場合A 場合Bについては、外の世界から見て答えていました。
つまり、眠り姫問題の色々な設定を無視して、外の世界で1/2なら1/2と答えた、ということになります。つまりこれは、(ウ)このような条件で、主観的確率は定義出来ない、という立場を取ったことになります。
ちなみに以前別のスレの囁きで「○っぱらい問題」がありましたね。あれは、どちらの駅に着いたか確定するのが「全て終わって完全に起きた後」だから1/2になるのだと思います。
確率をどの時点で確定させるのか
期待値をどの時点で確定させるのかこれを明確にしないと、答えが変わってしまう問題です、ということは、このスレでの、私の最初の解答からずっと主張していることなのですが。
設問を、
「あくまで起きた人の主観的な体験に基づく確率を求める」
=夢の世界の、ひとときの目覚めの瞬間に、確率を確定し、期待値も確定する
のか、
「客観的視点からの確率を求める」
=夢の世界から覚めて、元の「外の世界」に戻ってから確率を確定し、期待値も確定する
のか
明確にしないといけないのでは?
私の答えが変わったのは、場合A、場合Bという言い方を、どう解釈するかが変わったからです。
しかも、その理由は、1/3派の立場を取らないと、結局「眠り姫問題の世界では確率は定義出来ない」という結論になり、つまらないと思った、というものなのですが。
客観的視点からの確率を求め、問3と問6に、両方1/2と答えた瞬間に、眠り姫問題は、主観的確率を求められる設問とは認めない、したがって、客観的確率を答えるべきだ、と、認めたことになるのではないでしょうか。
↑もちろんこういう意見もあっていいんですが、今は、この立場は取らない方を選びました。
それだとつまらないので
>場合A、場合Bが1:1で起こるからこそ、赤チョーカーか青チョーカーが、1:2の比率で起こるのでなないでしょうか。
この言葉を、言葉を足して考えると、こういうことだと思います。
【外の世界で】場合A、場合Bが1:1で起こるから、
【夢の世界で】赤チョーカーか青チョーカーが、1:2の比率で起こる。
要するに私は、【場合AかBか】ということと【チョーカーが赤か青か】ということは、
本質的には同じことだと見なしていて、ただ、数学的にではなく、国語的に見て、
【場合AかBか】の方は、より、【外の世界で】というニュアンスが強いな、と。
そこで、
「場合Aである」という言葉には自動的に「外の世界で」をつけて解釈し、
「チョーカーが赤である」という言葉には自動的に「夢の世界で」をつけて解釈し、
No.24のような解答を、一度は作ったのですが、
あくまで「国語的に」判断したことですので、
【場合AかBか】と【チョーカーが赤か青か】の間に、本質的な違いがあるとは、
考えていません。あくまで私の立場は、
【本質的な違いとは、確率をどの時点で確定させるのか】です。
(ア)
あくまで、「夢の世界」で、目覚めさせられたときの、
目覚めを「一回」とカウントする立場を取るのであれば、
たとえ外の世界で、場合Bが1回しか起きていなくても、
夢の世界では2回とカウントしないと、つじつまが合いません。
(イ)
夢の世界の2回を、外の世界の1回と対応づける、と考えるのならば、
Aで目覚めた体験の重み付け1、
Bで目覚めた体験の重み付けは1/2と、
ちがう重み付けをしなければなりません。
(ウ)
これら(ア)も(イ)も受け入れないというなら、
それは、「眠り姫問題の、設問の条件云々は関係なく、単に、外の世界で起きていることの確率を求めただけ」になると思います。
つまり、(ウ)の立場というのは、すこし踏み込んで言えば、
眠り姫の条件で、主観的確率を求めることは、ありえない。
主観的確率は定義不可能、と言っているのと同じじゃないでしょうか。
(この主張も、ありうると思っています。但し明示的にそう言うべきでしょう)
↑
ちなみに(ア)が1/3派 (イ)が1/2派。 (ウ)は・・・(何派でしょう?)
このスレの内容に対して、私がずっと主張していることは、
(たとえばお金なら確率から期待値を計算出来るはずなので)
どの時点でその金額を確定するのか、すなわちどの時点で確率の値を確定するのかによって、数値が変わってしまうという点。
【全て実験が終わったあと、目覚めてからバイト代が確定していることを知る、という設定では、夢の世界の中で確率やバイト代の期待値の計算はできない】ということを主張しています。これだと単に外の世界での確率を求めただけになってしまいます。←それじゃ眠り姫問題じゃないでしょ、という主張。
私の、No.24の解答では、
場合A 場合Bについては、外の世界から見て答えていました。
つまり、眠り姫問題の色々な設定を無視して、外の世界で1/2なら1/2と答えた、ということになります。つまりこれは、(ウ)このような条件で、主観的確率は定義出来ない、という立場を取ったことになります。
ちなみに以前別のスレの囁きで「○っぱらい問題」がありましたね。あれは、どちらの駅に着いたか確定するのが「全て終わって完全に起きた後」だから1/2になるのだと思います。
確率をどの時点で確定させるのか
期待値をどの時点で確定させるのか
これを明確にしないと、答えが変わってしまう問題です、ということは、このスレでの、私の最初の解答からずっと主張していることなのですが。
設問を、
「あくまで起きた人の主観的な体験に基づく確率を求める」
=夢の世界の、ひとときの目覚めの瞬間に、確率を確定し、期待値も確定する
のか、
「客観的視点からの確率を求める」
=夢の世界から覚めて、元の「外の世界」に戻ってから確率を確定し、期待値も確定する
のか
明確にしないといけないのでは?
私の答えが変わったのは、場合A、場合Bという言い方を、どう解釈するかが変わったからです。
しかも、その理由は、1/3派の立場を取らないと、結局「眠り姫問題の世界では確率は定義出来ない」という結論になり、つまらないと思った、というものなのですが。
客観的視点からの確率を求め、問3と問6に、両方1/2と答えた瞬間に、眠り姫問題は、主観的確率を求められる設問とは認めない、したがって、客観的確率を答えるべきだ、と、認めたことになるのではないでしょうか。
↑もちろんこういう意見もあっていいんですが、今は、この立場は取らない方を選びました。
それだとつまらないので