ビン・ボウ警部補の事件録・Q『二つの証言』 ≫No. 1
空蝉
2012/09/21 14:58
町外れの森の中――。
普段は滅多に人の近づくことのない、深閑とした佇まいのその場所は、町の人々の認識からすれば、今夜もまた、いかなる際立ちも見られない、変哲なき時間に運ばれるはずであった。しかし――
――今、そこには、対峙する二人の男がいた。
穏やかならぬ雰囲気の中で、夜間照明に照らされながら、二人は少しずつ口を開き始める。
最初は静かな言葉のやりとりから始められた二人の会話は、やがて熱を帯び、憎悪が剥き出され、相手に対する罵り合いと化した。
「てめえ、ぶっ殺してやる!」そのうち一人が、勢いよく言い放った。
――手を懐に忍ばせ、再び外に出したとき、そこには妖しく光るナイフが握られていた・・・・・・。
「なんでしょうね、あの人だかりは」ユーロ・ボウ夫人は、隣を歩く、古き良き、そしてお金の縁に極めて乏しい生涯の伴侶、ビン・ボウ警部補に言った。「あら、パトカーも来てるわ。事件かしら」
「だろうね」とビン・ボウ警部補は素っ気なく返す。警察業を生業として久しい彼としては、常に見慣れた光景だった。
「行かなくていいの?」夫人は訊くが、ビン・ボウ警部補は「わざわざ休日に働くこともないさ」と状況に関心を示さない。
『メインバーク森林公園』と書かれた石門の前には、大勢の野次馬、そして忙しなく動き回る捜査員たちの姿があった。
ボウ夫妻が門の前を通りかかったところで、捜査員の中から一人の男が近づいてきた。
「こんにちは。どうも先日は失礼しました、ビン・ボウ警部補」二人の前に立った男は恭しい態度で言った。
「君は確か、マルク巡査だったかな?」アッカ署署員、ケイン・マルク巡査の顔を見るや否や、ビン・ボウ警部補は、三週間前に起こった「悲劇」を思い出していた。彼はその事件で容疑者に仕立て上げられたのだ。事件の目撃者の証言の矛盾を突き止め、自分にかけられた容疑を晴らすことができたとはいえ、彼は、強盗事件とあらば否応なく自分が疑われ兼ねない自らの経済的状況を呪った。
「何の事件ですの?」ユーロ・ボウ夫人はマルク巡査に訊いた。
「殺人ですよ。実はこの先の森でですね――。あ、そうだ!」マルク巡査は明るい表情になり、ビン・ボウ警部補に向いた。「ビン・ボウ警部補、この間の罪滅ぼしと言ってはなんですが、ひとつ、謎をプレゼントしましょう」
「謎?」
「昨夜、この園内で殺人があり、亡くなったのは、株式会社ロンダ・リングの元最高経営者、故・トニー・ザンダカーン氏の息子です。そして、事件当時、園内には二人の目撃者がいました」
「・・・・・・ふむ(やれやれ、またロンダ・リングか)」
「それでですね、我々はその二人に話を聞いたのですが、なんと、二人とも全く異なる証言をしているのです。それは次のようなものでした」マルク巡査は、上着のポケットから手帳を取り出し、ページを捲ると、ビン・ボウ警部補の前に掲げた。
目撃者1:インフ・レーション(24歳・大学院生)の証言
「その日私は、自分のために冷蔵庫にとっておいたプリンを弟に食べられて、すごく落ち込んでいたの。だから一人になるために、昨夜、この森林公園を訪れたの。
そうしたら、公園の奥のほうから、声が聴こえたわ。なんだか、喧嘩みたいな、すごく刺々しくて、大きな声だった。
声のほうを目指して歩いていくと、そこには二人の男がいたわ。
しばらく見ているうちに、なんと、片一方の男が、右手にナイフを取り出すのが見えたの!
その男は、髭もじゃで、禿げ頭で、私的には生理的に悪寒のする風貌の男だったわ。今言ったように、彼は緑色の汚いコートから取り出したナイフで、もう一人の男の胸めがけて、それを思いっきり 突き刺したのよ!
刑事さん、私、嘘はついてないわよ。ふふ・・・・・・」
目撃者2:デフ・レーション(17歳・高校生)の証言
「俺は昨夜、姉貴が俺からむしり取った金で買ったプリンを冷蔵庫に保管するのを見て、むしゃくしゃしたからそれを食ってやったら、どうもそのプリン腐ってたらしくて、腹が痛くなったんで、公園のトイレに直行(うちのトイレは1カ月前から壊れているんだ!)したんだ。
裏門から入ってすぐ、二人の罵り合う声が聴こえたぜ。少し行くと、二人の男が対峙しているのが見えた。おもしろそうだったから、大石の影に隠れて、成り行きを見守ってたのよ。
しばらくすると、一方の男がコートのポケットからナイフを取り出して、左手に握るのが見えた。そんで、その後、そのまま相手の胸部めがけて思い切り突き刺したぜ。
え?男の風貌?・・・・・・う〜ん、顔はあまりよくなかったな。少なくとも俺は友達にはなりたくないタイプだ。髭は生やしてなかったと思う。身なり?・・・・・・ああ、黄色の派手なコートを羽織ってたぜ。
ちなみに俺は嘘なんてこれっぽっちもついてねえからな。へへ・・・・・・」
「・・・・・果たしてその証言は信用できるのか?どちらか一方が嘘をついているか、あるいは二人とも全くの嘘を述べているんじゃないか?」
「いえいえ、二人とも嘘はついていません」マルク巡査は意味ありげな笑みを浮かべた。「内容の異なる証言・・・・・・、でも二人は嘘をついていない・・・・・・。どういうことでしょう?鮮やかな推理を期待しますよ、ビン・ボウ警部補」
食い違う証言の真実とは?
普段は滅多に人の近づくことのない、深閑とした佇まいのその場所は、町の人々の認識からすれば、今夜もまた、いかなる際立ちも見られない、変哲なき時間に運ばれるはずであった。しかし――
――今、そこには、対峙する二人の男がいた。
穏やかならぬ雰囲気の中で、夜間照明に照らされながら、二人は少しずつ口を開き始める。
最初は静かな言葉のやりとりから始められた二人の会話は、やがて熱を帯び、憎悪が剥き出され、相手に対する罵り合いと化した。
「てめえ、ぶっ殺してやる!」そのうち一人が、勢いよく言い放った。
――手を懐に忍ばせ、再び外に出したとき、そこには妖しく光るナイフが握られていた・・・・・・。
「なんでしょうね、あの人だかりは」ユーロ・ボウ夫人は、隣を歩く、古き良き、そしてお金の縁に極めて乏しい生涯の伴侶、ビン・ボウ警部補に言った。「あら、パトカーも来てるわ。事件かしら」
「だろうね」とビン・ボウ警部補は素っ気なく返す。警察業を生業として久しい彼としては、常に見慣れた光景だった。
「行かなくていいの?」夫人は訊くが、ビン・ボウ警部補は「わざわざ休日に働くこともないさ」と状況に関心を示さない。
『メインバーク森林公園』と書かれた石門の前には、大勢の野次馬、そして忙しなく動き回る捜査員たちの姿があった。
ボウ夫妻が門の前を通りかかったところで、捜査員の中から一人の男が近づいてきた。
「こんにちは。どうも先日は失礼しました、ビン・ボウ警部補」二人の前に立った男は恭しい態度で言った。
「君は確か、マルク巡査だったかな?」アッカ署署員、ケイン・マルク巡査の顔を見るや否や、ビン・ボウ警部補は、三週間前に起こった「悲劇」を思い出していた。彼はその事件で容疑者に仕立て上げられたのだ。事件の目撃者の証言の矛盾を突き止め、自分にかけられた容疑を晴らすことができたとはいえ、彼は、強盗事件とあらば否応なく自分が疑われ兼ねない自らの経済的状況を呪った。
「何の事件ですの?」ユーロ・ボウ夫人はマルク巡査に訊いた。
「殺人ですよ。実はこの先の森でですね――。あ、そうだ!」マルク巡査は明るい表情になり、ビン・ボウ警部補に向いた。「ビン・ボウ警部補、この間の罪滅ぼしと言ってはなんですが、ひとつ、謎をプレゼントしましょう」
「謎?」
「昨夜、この園内で殺人があり、亡くなったのは、株式会社ロンダ・リングの元最高経営者、故・トニー・ザンダカーン氏の息子です。そして、事件当時、園内には二人の目撃者がいました」
「・・・・・・ふむ(やれやれ、またロンダ・リングか)」
「それでですね、我々はその二人に話を聞いたのですが、なんと、二人とも全く異なる証言をしているのです。それは次のようなものでした」マルク巡査は、上着のポケットから手帳を取り出し、ページを捲ると、ビン・ボウ警部補の前に掲げた。
目撃者1:インフ・レーション(24歳・大学院生)の証言
「その日私は、自分のために冷蔵庫にとっておいたプリンを弟に食べられて、すごく落ち込んでいたの。だから一人になるために、昨夜、この森林公園を訪れたの。
そうしたら、公園の奥のほうから、声が聴こえたわ。なんだか、喧嘩みたいな、すごく刺々しくて、大きな声だった。
声のほうを目指して歩いていくと、そこには二人の男がいたわ。
しばらく見ているうちに、なんと、片一方の男が、右手にナイフを取り出すのが見えたの!
その男は、髭もじゃで、禿げ頭で、私的には生理的に悪寒のする風貌の男だったわ。今言ったように、彼は緑色の汚いコートから取り出したナイフで、もう一人の男の胸めがけて、それを思いっきり 突き刺したのよ!
刑事さん、私、嘘はついてないわよ。ふふ・・・・・・」
目撃者2:デフ・レーション(17歳・高校生)の証言
「俺は昨夜、姉貴が俺からむしり取った金で買ったプリンを冷蔵庫に保管するのを見て、むしゃくしゃしたからそれを食ってやったら、どうもそのプリン腐ってたらしくて、腹が痛くなったんで、公園のトイレに直行(うちのトイレは1カ月前から壊れているんだ!)したんだ。
裏門から入ってすぐ、二人の罵り合う声が聴こえたぜ。少し行くと、二人の男が対峙しているのが見えた。おもしろそうだったから、大石の影に隠れて、成り行きを見守ってたのよ。
しばらくすると、一方の男がコートのポケットからナイフを取り出して、左手に握るのが見えた。そんで、その後、そのまま相手の胸部めがけて思い切り突き刺したぜ。
え?男の風貌?・・・・・・う〜ん、顔はあまりよくなかったな。少なくとも俺は友達にはなりたくないタイプだ。髭は生やしてなかったと思う。身なり?・・・・・・ああ、黄色の派手なコートを羽織ってたぜ。
ちなみに俺は嘘なんてこれっぽっちもついてねえからな。へへ・・・・・・」
「・・・・・果たしてその証言は信用できるのか?どちらか一方が嘘をついているか、あるいは二人とも全くの嘘を述べているんじゃないか?」
「いえいえ、二人とも嘘はついていません」マルク巡査は意味ありげな笑みを浮かべた。「内容の異なる証言・・・・・・、でも二人は嘘をついていない・・・・・・。どういうことでしょう?鮮やかな推理を期待しますよ、ビン・ボウ警部補」
食い違う証言の真実とは?