厳密に考えるとそうなりますね。
では、仮想世界のマッチャ君は、
シロー君が予知をしようと思ったことは読み取れるとしましょう。
この場合もマッチャ君は、シロー君が予知の結果を知ったことは読み取れません。
「パーを出したらどうなるかを予知した場合だけはチョキを出す」という作戦でしたが、
予知しようと思っただけでは予知したことにはならないと思います。
「パーを出したらシロー君が勝つと予知した場合だけはチョキを出す」という作戦なら
確実ですかね。
さらに、仮想世界のマッチャ君は、
シロー君が予知をしようと思ったが予知の結果は知っていないということから、
自分が仮想世界にいるということが分かることになります。
すると、
「仮想世界にいる場合はグーを出し、現実のときは勝てる手を出す」
という作戦でもいいですね
ボムボム 2010/08/03 22:57
>という主張ですね。
うーん、少し違います
仮想世界内では自由意思であり、予知の行動と同じ行動を現実でとらなければ一致することがないこと(つまりこの問題のグーやチョキのような予知)もあるので、このような内容を気にしているわけではありません。
そうではなくて、12:00に「パーを出したらどうなるか」を予知しようとして仮想世界を作り出そうと意図したことが、仮想世界を作るよりも時間的(原因と結果的)に先にくると思うのです。
No.33でも書きましたが「し始めている」ことが気になっています。
例えばパソコンか何かでシミュレーションをするとして、
シミュレーションをするためには、パソコンやソフトウェアを立ち上げる必要があって、それらを立ち上げたという事実はシミュレーションを行うよりも時間的・原因結果的に前に起きている、
という印象です。