そのあたりが私も難しいところだと思うんですよね(-へ-;)
私は、次のようにこの問題を考えています。
人間が質問した「〜と聞かれたら、〜」という質問は、
いわゆる、自然言語(日常用語)で使うところの「ならば」を使っていると思うんです。(-へ-;)
それを、正直村の人が、論理用語で使うところの「ならば」で解釈したからこんなことが起きているのではないかと思います。
一般に、自然言語で使う「ならば」は、偽だとわかっていることを仮定に置くことはほとんどありません。
(例外:宝くじ買ってないのに、「1億円当たったら〜」とか、子供に「パパがサンタクロースだったらどうする?」とか)
ところが、論理学的には、例えば「「1+1=3」ならば、神様は存在する。」
等という、明らかに「偽」なことを仮定した推論が普通に行われます。
そのあたりで、意味上のギャップが出来るのではないかと思うわけです。
あと、「1回しか質問できない」という仮定は、正直嘘つき問題で良く使われる仮定ですが、日常生活的には、あり得ない話ですので、実は相当強い制限だということがわかります。
(この問題では、門番自体が1回しか質問されない」という、すごく強い意味で解釈しています。つまり、質問出来る人間が沢山いても、門番に対しては全ての人間を合わせて1回しか質問できない)
それを逆手にとって、日常生活ではあり得ない結論が出てきて、これもまた意味上のギャップになっているのではないかと思います。
もちろん、私の感想ですので、違う可能性は高いです
メガネ好き 2010/02/10 14:06
実際に聞かれることがあるかどうかではなく、
聞かれたらどう答えるかを聞いているのに、
聞かれる事が無いからってとこで、話を展開するのは良いのでしょうか?
(聞かれたら、門Bは天国の門では無いと知っているから「いいえ」と答える。
「いいえ」と答えるのだから、「はい」と答えるかの問いに「はい」と答えれば嘘になる。
(この場合、聞かれる事の無いことが聞かれたらなので、
その状況においても、掟を厳守しなければいけないかは不明ですが・・・))