どうやら、kanさんとは論点が違っていたようですね。
反転が1つか2つかという言葉上の違いはあれど、
おそらく鏡の像については互いの理解は一致していると思います。
鏡に正対したとき、「前後」が反転し「左右」・「上下」は反転していない姿が目に映るのに、
私たちは自然と「前後」・「上下」を反転しておらず、
反転は「左右」について起こっていると考えてしまう。
つまりいつの間にか鏡像を「上下方向の軸」について半回転させてとらえてしまう。
この過程が問いの答えだと思われたわけですね?
省みると問題文にはあやふやな部分があり、そうとらえられてもおかしくありません。失礼しました。

逆に人間の「左右」のとらえかたは非常におもしろい問題だと思います。(たぶんその範疇は脳科学にまで発展するのではないでしょうか)
このことについて、kanさんのおっしゃられた前と上を先にとらえるという考えは、実に納得できる答えだと思います
反転が1つか2つかという言葉上の違いはあれど、
おそらく鏡の像については互いの理解は一致していると思います。
鏡に正対したとき、「前後」が反転し「左右」・「上下」は反転していない姿が目に映るのに、
私たちは自然と「前後」・「上下」を反転しておらず、
反転は「左右」について起こっていると考えてしまう。
つまりいつの間にか鏡像を「上下方向の軸」について半回転させてとらえてしまう。
この過程が問いの答えだと思われたわけですね?
省みると問題文にはあやふやな部分があり、そうとらえられてもおかしくありません。失礼しました。
逆に人間の「左右」のとらえかたは非常におもしろい問題だと思います。(たぶんその範疇は脳科学にまで発展するのではないでしょうか)
このことについて、kanさんのおっしゃられた前と上を先にとらえるという考えは、実に納得できる答えだと思います