ITEMAE
A 10は5より大きい。
B 5は2より大きい。 これが正しいならば、
C 10は2より大きい。 は正しい。
の例は三段論法ではない。
で
A 10は5より大きい。
B 5より大きいなら2より大きい。
でなくてはならない。
というのは、
単に、
「AならばB」
「BならばC」が正しいなら
「AならばC」が正しい
の、Bのところに「5より大きい」を言葉あてはめしただけ。
だから、日本語として主語述語がないおかしな文章になる。
理論的に比べるのは違うので、
最初の文章を否定することにならない。
A>Bである。
B>Cである。 が正しい
→だから、B>Cである、が導けない。
という主張でしょうか。
演繹的に大小関係が明らかであれば、
3つの関係は明確です。
直接2つのものが比べられないときに、間に何か使うのは、古代エジプト以前から使われてきたことです。
(ソクラテス・・・の理論は、それが前提にあって、包含関係のもとで
1「ソクラテスは人間である」
2「すべての人間は死ぬものである」
3「だからソクラテスは死ぬ」を示したもの。)
※「いや、2は【人間ならば死ぬ】でないと三段論法にならない」とクレームつけますか?
「帰納的説明」では
「Aさんも死んだ、Bさんも死んだ、Cさんも死んだ・・・ならDさんも死ぬ」
という理屈だった。
(ガキが「ゲーム買って〜・・・。みんな持ってるもん」というのと同じだな)
こみのち 2009/06/14 01:23
A 10は5より大きい。
B 5は2より大きい。
これが正しいならば、
C 10は2より大きい。 は正しい。
の例は三段論法ではない、という部分
REEさん>そのコメントの内容は結果的には正しいですが、それは三段論法ではありません。
うな丼さん>それは三段論法になっていない。
は、あってると思う。
二つ目
こみのち>…なら…が正しいなら という表現は論理として全く問題ない表現でしょう。
>(A⇒B)⇒C という形になるわけで、確かに「会話」としてはどうかと感じますが「論」としては不自然なところはありません。
>(A⇒B)⇒Cのカッコの位置が分からないような書き方だったら論としてもどうかという話になるんですが、そうでもないみたいですし。
>
>「会話」が自然に通じることを重視してもいいかもしれませんが、コメントの後半分を見ると「会話」より「論」を重視してると感じたので。
へのコメントが無いが、「特に言うことはない」と解釈していいのか