クイズ大陸



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?ボムボム 2009/07/03 15:56
現実世界で調べたものすべてにおいて成立しているからといって、そのことを論理に持ち込むことはできません。
それは上でも述べましたが帰納的推論です。

三段論法で有名な例でいうと、
「ソクラテスは人間である」が正しい前提だとして
「ソクラテスは死ぬ」
という結論は正しいかどうかの判定は不可能です。
もう一つの前提「すべての人間は死ぬ」が無いからです。

現実の世界で人間が死なない訳がないと思っても、書かれてもいないのに論理の前提にそのことを持ち込むことはできません。
書かれてもいないけども論証に使えるのは他のことから証明できる場合だけです。
今まで見てきた人間はすべて死んだ、だからすべての人間は死ぬ、というのは帰納的推論になり、証明とは違います。

いろいろな強弱の付け方をしているが、それらすべてが推移律を満たしていた、だから強弱は推移的、というのも帰納的推論です。
推移律の成立が常に真だろうと思っていても、それを証明できない以上、前提に書くことが必要になります。


>逆転がありうる、ような「強さ」というのは、
>「正しい」と断定するには「あやしい」強さ

僕の主張は「前提を正しいと断定できる強さ」⇒「逆転しない(推移律を満たす)強さ」である理由を知りたいのですが、その対偶
「逆転する(推移律を満たさない)強さ⇒正しいと断定できない強さ」を主張されても循環論法なだけで、元の命題の真偽はわかりません。


> いや、それでも、細かい証明をしろ、といわれたら…(略

現実の科学ではどのように「強さ」をつけるか定義されていますので、それに従って推移律の検証が可能です。
そうではなくただ「強さ」とか「強弱」と書かれてることに対して、暗に推移律を含めることもあってもいいと思いますが、それは物理や化学などと、論理学や数学などの違いであり、法則と定理の違いです。
物理や化学などでも、ある前提から何かしらの定理や結論を「証明」しようとするときに、推移律を書いていないとか、強さの定義を書いていないのに証明に使おうとするならば、そのときは文句をいいます。


>そういう単位が存在する世界で暮らしてる私としては。

ですから、そういう単位や概念の無い人々に聞いたとしても、同じ答えが返ってくるのか?ということがポイントなのです。
論理と現実は分けて考えてください。
「グーチョキパー」でじゃんけんをイメージしてはいけないように、「強い」という言葉が現実に持っているイメージを論証に持ち込むことはできません。
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