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永久駆動
2009/07/02 19:30
いはら さんへ
>どうしてABC間の強弱関係の推論ができないといけないのでしょうか。
推論の材料として提示された条件だからです
その中の表現を「こんな定義も成立する」として
推論不可能な内容に勝手に変えたのでは
当然推論は成立しません
そんなことをしても「その論理が間違っている」という指摘にはなりません
そもそも推論不能の定義の導入が不適当だからです
REE さんへ
>強さが毎日変化して何の問題があるのでしょう?
日常会話で使うのならいいのですが
まずそれが推論を成立させる条件として提示されている
そのことを無視してはいけません
定規で測ると101cmと100cm
「Aの棒はBの棒より長い」
この判断は合理的で妥当性があります
計測結果は何度くりかえしても変わりません
対戦成績が101勝100敗
「AはBより強い」
この判断は合理性を欠き、妥当性を欠き、事実に即しません
再び計測する(戦わせる)としてその結果は全く予測できない
それどころか計測する度に対戦成績はコロコロ変わる
「おかしいなAのほうが強いはずでは」と計測をやり直していると
いつのまにかBの対戦成績のほうが勝ち越している
まったく意味不明で無駄な判断です
こんな間違った「より強い」は
確かに日常会話で使われることがある
でもそんな事実に即さない誤用を論理条件の「より強い」に適用すべきではないのです
「ネズミはオオカミより強い」という論理条件があるとします
「ネズミの体調が悪ければ負けるのでは」
「オオカミが不意打ちすれば勝てるのでは」
「オオカミが自分の本拠地で戦えば有利になるのでは」
「まず前半はオオカミは逃げ回ってネズミのスタミナを奪うんだ
後半に勝負をかけてネズミの急所だけを狙えば勝てるはず」
そんな勝負テクニックや駆け引きはもちろん関係ありません
そんな卑近な些事を超越して「より強い」という事実だけがある
そう理解しなければなりません
そこには「勝率」も「対戦成績」も「相性」もありません
計測する(戦わせる)必要もありません
「ネズミのほうが強い」という結果がすでにでているのですから
>どうしてABC間の強弱関係の推論ができないといけないのでしょうか。
推論の材料として提示された条件だからです
その中の表現を「こんな定義も成立する」として
推論不可能な内容に勝手に変えたのでは
当然推論は成立しません
そんなことをしても「その論理が間違っている」という指摘にはなりません
そもそも推論不能の定義の導入が不適当だからです
REE さんへ
>強さが毎日変化して何の問題があるのでしょう?
日常会話で使うのならいいのですが
まずそれが推論を成立させる条件として提示されている
そのことを無視してはいけません
定規で測ると101cmと100cm
「Aの棒はBの棒より長い」
この判断は合理的で妥当性があります
計測結果は何度くりかえしても変わりません
対戦成績が101勝100敗
「AはBより強い」
この判断は合理性を欠き、妥当性を欠き、事実に即しません
再び計測する(戦わせる)としてその結果は全く予測できない
それどころか計測する度に対戦成績はコロコロ変わる
「おかしいなAのほうが強いはずでは」と計測をやり直していると
いつのまにかBの対戦成績のほうが勝ち越している
まったく意味不明で無駄な判断です
こんな間違った「より強い」は
確かに日常会話で使われることがある
でもそんな事実に即さない誤用を論理条件の「より強い」に適用すべきではないのです
「ネズミはオオカミより強い」という論理条件があるとします
「ネズミの体調が悪ければ負けるのでは」
「オオカミが不意打ちすれば勝てるのでは」
「オオカミが自分の本拠地で戦えば有利になるのでは」
「まず前半はオオカミは逃げ回ってネズミのスタミナを奪うんだ
後半に勝負をかけてネズミの急所だけを狙えば勝てるはず」
そんな勝負テクニックや駆け引きはもちろん関係ありません
そんな卑近な些事を超越して「より強い」という事実だけがある
そう理解しなければなりません
そこには「勝率」も「対戦成績」も「相性」もありません
計測する(戦わせる)必要もありません
「ネズミのほうが強い」という結果がすでにでているのですから