永久駆動さんへ
詳しい説明をありがとうございます
>>AはBを食べ、BはCを食べ、CはAを食べるという捕食関係
>そんな捕食関係はありません
まさか断言されるとは思っていませんでした。どうしてそう言い切れるのでしょうか。
全世界を徹底的に調査したのでしょうか。
ヘビクイワシ、ワシクイウシ、ウシクイヘビみたいな動物がいるかもしれませんよ。
現実に存在しないことを証明するのは難しいですよ。実質不可能でしょう。
>だからそんな「長い」「強い」を
>いはらさん自身がお使いになるのはご自由にどうぞ
>でもそれを論理に場に持ち込むのは勘弁してください
>論理すべてが崩壊します
大げさですね。言葉の定義を考えているだけなのですから、論理法則にはなんの影響もありませんよ。
私もあんな意味で「長い」を使いたいとは思いませんが、あんな定義も可能だと言っているだけのこと。
不自然だとか非現実的だと感じられても定義は定義、認めなければいけないのです。
そうした感情こそ論理の場に持ち込むのにはふさわしくありません。
「長い」はともかく「強い」は普通の人が普通に使っているわけですから、
それを無視するのはどう考えても駄目でしょう。
>「AはBより長い」
>(でも計測のタイミングによってはBのほうが長いです)
2つの「長い」という言葉は定義が異なりますから、何の矛盾も生じません。
例えば、直方体の長さを、最も長い辺の長さだと定義した場合、
1×2×4の直方体は3×3×3の直方体より長いことになります。
それを、2と3の辺を比較すると3の方が長いと言われても、それが何か?としか言えません。
>「AはBより強い」
>(でも対戦すれば4割の確率でBが勝ちます)
それが何か?
>論理とは厳然確固とした条件を
>堅固に積み重ねて築いていくもの
>それなのに
>確率や期待値などの異質な概念をもちこんだため
>事象認識が限りなく希薄になってしまった
>つまり「これは絶対の絶対の絶対だよ」のはずだった条件が
>ぶれてぶれてぼけてぼけて煙みたいになっちゃった
確率や期待値による定義は、明確で客観的、計算可能という意味で厳然確固とした条件といえます。
「試合をしなくても結果がわかるほどの実力差がある」「圧倒的な力の差」などというほうがよほど曖昧に聞こえます。
>まず「論理の問題」であることは前提とておさえましょう
>「AはBより強い」は論理条件であることは前提としておさえましょう
>そこからがスタートです
私は一貫して論理の話をしているつもりなのですが。
「AはBより強い」「BはCより強い」という前提自体を否定したことは一度もありません。
この前提から「AはCより強い」という結論を論理的に導くことはできない、と主張しているだけです。
その理由は、反例が考えられるから、です。
実に論理的ですね。
もっと反論を書きたいのですが、
「論理条件」「論理的条件」という言葉をどういう意味で使っておられるのかよく分かりません。
誤解していると無駄な議論をすることになりますので、誤解の余地のないように分かりやすく説明していただけますか。
いはら 2009/06/26 08:41
詳しい説明をありがとうございます
>>AはBを食べ、BはCを食べ、CはAを食べるという捕食関係
>そんな捕食関係はありません
まさか断言されるとは思っていませんでした。どうしてそう言い切れるのでしょうか。
全世界を徹底的に調査したのでしょうか。
ヘビクイワシ、ワシクイウシ、ウシクイヘビみたいな動物がいるかもしれませんよ。
現実に存在しないことを証明するのは難しいですよ。実質不可能でしょう。
>だからそんな「長い」「強い」を
>いはらさん自身がお使いになるのはご自由にどうぞ
>でもそれを論理に場に持ち込むのは勘弁してください
>論理すべてが崩壊します
大げさですね。言葉の定義を考えているだけなのですから、論理法則にはなんの影響もありませんよ。
私もあんな意味で「長い」を使いたいとは思いませんが、あんな定義も可能だと言っているだけのこと。
不自然だとか非現実的だと感じられても定義は定義、認めなければいけないのです。
そうした感情こそ論理の場に持ち込むのにはふさわしくありません。
「長い」はともかく「強い」は普通の人が普通に使っているわけですから、
それを無視するのはどう考えても駄目でしょう。
>「AはBより長い」
>(でも計測のタイミングによってはBのほうが長いです)
2つの「長い」という言葉は定義が異なりますから、何の矛盾も生じません。
例えば、直方体の長さを、最も長い辺の長さだと定義した場合、
1×2×4の直方体は3×3×3の直方体より長いことになります。
それを、2と3の辺を比較すると3の方が長いと言われても、それが何か?としか言えません。
>「AはBより強い」
>(でも対戦すれば4割の確率でBが勝ちます)
それが何か?
>論理とは厳然確固とした条件を
>堅固に積み重ねて築いていくもの
>それなのに
>確率や期待値などの異質な概念をもちこんだため
>事象認識が限りなく希薄になってしまった
>つまり「これは絶対の絶対の絶対だよ」のはずだった条件が
>ぶれてぶれてぼけてぼけて煙みたいになっちゃった
確率や期待値による定義は、明確で客観的、計算可能という意味で厳然確固とした条件といえます。
「試合をしなくても結果がわかるほどの実力差がある」「圧倒的な力の差」などというほうがよほど曖昧に聞こえます。
>まず「論理の問題」であることは前提とておさえましょう
>「AはBより強い」は論理条件であることは前提としておさえましょう
>そこからがスタートです
私は一貫して論理の話をしているつもりなのですが。
「AはBより強い」「BはCより強い」という前提自体を否定したことは一度もありません。
この前提から「AはCより強い」という結論を論理的に導くことはできない、と主張しているだけです。
その理由は、反例が考えられるから、です。
実に論理的ですね。
もっと反論を書きたいのですが、
「論理条件」「論理的条件」という言葉をどういう意味で使っておられるのかよく分かりません。
誤解していると無駄な議論をすることになりますので、誤解の余地のないように分かりやすく説明していただけますか。